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大人のデザイン留学、はじめました@自宅リモート【#モンアカ day1】

突然だけれど、大人になって、「何かを学ぶ」ということが、とてもとても贅沢で、それでいて非常に有意義で、ある意味なんだか「生きる意味を取り戻す」みたいな感じであることを、知った。

それはたとえば、語学留学だったり、最近だとオンライン英会話だったり(言語ばかりだ)、歴史の本を読んだり、ちょっと普段とは違う世界の、まったく興味のない分野に触れてみたり、とかで、私の場合は実現されることが多かった。

でも、だからと言って、「学生の間に、もっと学んでおけばよかった」という風に思ったことは一度もない。学生は、学生の間にやるべき「最高の怠惰の満喫」みたいなミッションがあると思っているし、何者でもない私と真っ白な状態で出会ってくれた友人たちは、今からでは得難いものがある。

▼週5日、大人のリモートデザイン留学、はじめました

……何の話をしているのかと言えば、今日から1ヶ月間、フィリピン・セブに拠点を置くデザインスクール「モンスター・アカデミア=愛称 モンアカ」さんにて、デザインを学ぶことにした、という話。

フィリピンのデザインスクールと言っても、何もセブに移動したわけではなくってね。沖縄の自宅にて、Zoomを駆使したオンライン留学。時間は19:15〜22:45の3時間半(!)、日程は、平日全部の週5日(!!)、期間は1ヶ月間。まずは、というところで、もしかしたら2ヶ月とか、3ヶ月とか、通いたい、と思ってしまうかもしれないけれど(モンアカさんは柔軟で、2週間のトライアルから1ヶ月コースに変更する、とかでも対応してくれるらしい、すごい)。

と、と、とにかく。今日はday1だったのだ。私は久しぶりに、学生、みたいな「学ぶ方の人」になる。

デザインは、やったことがない。学んだことは、一度もない。けれどじつは、いつかきちんと学びたい、と、この数年でずうっと思っていた。

「なぜだろう」と問うた時、「仕事で密接に関わっているからかしら」、と自分では考えていた。編集者として、ライターとして、メディア運営者として、書籍や紙モノを作る人として、クリエイティブ、バナー、デザイン、というものは、いつもいつも、隣にいる存在だ。デザインがなければ、私の仕事は成り立たない、と言ってもいいほどだと思うくらいのリスペクトがあるから。「知りたい」「彼らの迷惑にならないように、編集者としてデザインを理解して、会話ができるようになりたい」のだと思っていた(いや、もちろんnoteのサムネイルとか、ウェブショップのクリエイティブとか、Indesignとかを、自分で作ったり触れるようになれたら、もっと仕事に役立つな、という下心もあるとは思うけれど)。

だけど! 今日、初めてday1のモンアカさんの授業を聞いて(3時間半!!しつこい笑)、もう少し、違う理由が私の中に潜んでいたのだな、と早速気がつく。

私は、人生で愛している、旅と、写真と、文章と、の組み合わせで表現する、すでに取り組んでいた「伝える行為」の、「ほかの手段を知りたかったのだ」ということに。

デザインの力は、きっと私がおぼろげながら理解している以上に、すごいだろうということに、その深淵さに、少し眩暈がする気持ち。

以下、day1:ガイダンス的役割の授業を受けて、印象に残ったことを書き記しておきたいと思う。正直、初日を受けて頭は少し朦朧としているので(笑)、文章が美しく整っていないことがあったら、ふふふと笑って、見なかったことにしてくれると、嬉しい。


▼day1:ガイダンス的役割の授業を受けて、印象に残ったこと

・これからの日々で、私たちは「デザインを楽しむ」のだということ。

・デザインを学んだ先で、「ウェブデザイナーになろう」「デザイナーとして稼ぎましょう」「独立しましょう」とかではなく、「ものを作るすべての人に向けたデザインスクール」として、その思考を学び、身につけ、世界と人生の選択肢を広げるために、モンアカは在る、ということ。

・モンアカは、「デザインを、キャリアチェンジやライフスタイルの幅を広げていくためのスキル」という捉え方をしているのではなく、「すでに持っているキャリア、強み、活動領域に掛け算してほしいという願いを持っている」らしいこと。

・デザインとは、「相手に伝わるための、コミュニケーションの手段」であること。

・いいデザインをするためには、いいデザインは何かを知ること、いいデザインに触れること、いいデザインを経験すること、など、自分にストックがなければならないこと。

・これからの授業で、デザインに対する目の解像度が徐々に高まり、深く理解をしていくことで、きっと私たち生徒の目に映る日常の景色や考え方が、変わってくるであろうこと。

・デザインの持つ価値は、人生を豊かにすること。

・私(伊佐)が好きなデザインは、と聞かれて一番最初に思い浮かび、やっぱり考えてずっと頭に残ってしまうのは、西山勲さんの「Studio Journal knock」であるという事実。その理由を紐解いて階段を降りていくと、「以下のようであること(長いので、記事末尾にオマケのように記載します)」、そして、私はいつも、いいデザインやいいプロダクト、いいテキストなどから、「音楽を聞いているのだ」ということ。

***

音楽……については、本筋と違うので(笑)またいつか、別の日に話せたらいいなと思うのだけれど。

今日は、とてもとても、新しい学びを得られた夜だった。大人になって、何かを学ぶ機会を得られて、その時間を作れて、実行できる、ということは、冒頭でも言った通り、なんて贅沢なことなのだろう。

デザインを学ぶ。このことが、私の日々とこれからに、どういう化学反応を起こしていくのか、私自身が知りたくて、少しずつ、その変化と発見を、ゆっくり綴っていけたらいいなと想う。

兎にも角にも、day1、終了。正直、眠い。使ったことがない頭の部分を、起こされた気配が遠くでする。

▼「Studio Journal knock
デザインが好きだと感じる理由について考える

好きなデザインは何ですか、と聞かれて、西山さんの「Studio Journal knock」が思い起こされた。その後、何度か考えたけれど、私が好きなのは、「Studio Journal knock」の空気感なのだよな、と思った。デザインが好き、というよりも、私は西山さんが表現されている世界観に、南国の風味を加えてやっていきたい、という理想形を持っているのだろうな、と思い当たる。

写真と、余白と、コンセプトと、字体と、色味と、リズムなどなどが。ちょうどよく、すべてちゃんと合わさっている感じがするのだと思う。そして、私は、そういう「きちんとおさまるべきところにおさまって、世界観をなぞっている表現」、デザインが、とても好きなのだろう。

写真と言葉と、デザインの調和が取れている。最高点に達していると感じる。クリエイターたちが載っている、ということも納得できる。華美ではないところもおそらく好ましい。

個人的なことだけれど、私には、いいデザインや文章から、音楽を感じる、という習性?がある。「Studio Journal knock」からは、静かな音楽が聞こえて、それが心地よく、私がちょうど求めているものなのだと思う。音楽は、ボサノバの小さな音だったり、誰かが街角で自分のために弾いているギターの音だったり、時々、海だったり風だったりの音がする。デザインの中に閉じ込められている、どこか違う場所の声がする。

心が落ち着くけれど、どこかへ行きたくなる、フラットに戻しつつも、前に進ませてくれる。

繰り返しになってしまうけれど、写真で表現したい世界観、コンセプトが、ロゴ、色味、余白、フォント、サイズ、テキスト、言語、すべての要素に遺憾なく発揮されている、浸透している、統一されている、という点に、美しさや調和、落ち着くべきところに落ち着いている感じ、を感じるのだと思う。

そしてそれこそが、次に私がへ表現したい世界観の理想形に近いのだ、ということに、なぜこのデザインが好きなのか、を考えて、たどり着く。きっとそこに、鮮やかさや南国の風味、という要素が加わえたいと浮ついてしまうのは、もう避けられない己の業だとは理解しつつ。


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