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デザインは、新しいコミュニケーションの言語。言葉以外の「ことば」を得ている気持ちがする【#モンアカ 2week】

私の仕事の中心は、なんだかんだ言っても、文筆と撮影にあると思う。書いたり、撮ったり、作ったり、伝えたり。WEBを軸にそういった活動をすること数年、いつのタイミングからかは忘れてしまったけれど、おぼろげに「デザインを学んでみたいな」という気持ちが芽生えていた。

理由は、今振り返っても、なんでだろう? そうだな、たとえば、仕事に活かせそうだから。新しいことを学びたいから。デザインができると、かっこいい気がするから……
そのどれもが本当だったと思うけれど、実際にデザインを学び始めて数日したら、私でさえ気づいていなかった、デザインを学びたい理由があったことに気がついていく。

デザインって、「表面を綺麗にデザインすること」ではどうやらないらしい。「モンスター・アカデミア」=私が通うことを決めた、フィリピンに拠点を置くデザイン学校(授業は日本語で、先生も日本人の方です)のCOO・神子さん(すごく素敵な名前)は、授業初日のガイダンスで言っていた。

デザインとは、「相手に伝えるための、コミュニケーションの手段です」と。

聞いた日は、わかったような、わからないような心地だった。授業を受けて数日経った今も、わかったとは言えないと思う。けれど、その言葉への解像度が、確かに上がってきた感触がある。

モンスター・アカデミアに通い始めて、まだ数日。けれど、毎日3時間半、平日夜の時間をかけて、みっちりと、じっくりと、けれどスピーディに進行される授業を受けて、世の中の「デザインされたもの」に対する、私の「目」とか「意識」みたいなものが、着実に変わり始めた音がするのだ。

「わかる」と「できる」は違うので、そこはまだご容赦願いたいのだけれども(笑)

たとえばそれに気が付く時は、授業で課題をこなしてみたり、試行錯誤したり、同期の何気ない発言のかけらからだったり、いろいろだけれど。
デザインとは、「誰かに」「届ける」ために、「潜在」を「健在」化するフローなのかもしれないと。

私がデザインを学んでみたかった理由の、奥深くのところには。ことばや、写真や、動画や、モノを作ったり、することとはまた別の場所にある。
デザインという、新しい「伝える」手段を、得たかったから。その違う世界の入り口に、立ってみたかったからなのだなと、今ならやっと、わかる気がした。

物事は、やってみる前よりも、一歩踏み出してみた場所で考えたり、感じたりする方が、格段に、「手触り」を持って学べることが多いよなぁ、と、沖縄の端っこでZoom画面とにらめっこしながら、生徒をしていて、想う。


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