わたしの看取り : ミニマリストの娘ともったいないが口癖の母との終活日記(第12話)
みなさんこんにちは。
いつもお読みいただきありがとうございます。
今日は、久しぶりの投稿になります。
「ミニマリストの娘ともったいないが口癖の母との終活日記」に度々登場していた父が、他界しました。まだ、心の整理はついていませんが、終活とは切り離せない部分もあり、少しずつお話しできたらと思い投稿しました。
https://note.com/tomomina1971/n/n5053d90b51f5
終末期は突然やってきた
父の食道がんが再発して、入院。
先進医療と呼ばれる治療も試しましたが、もはや、父の体には効果がなく、逆に残っていた体力を使いきってしまうことに。
そんなとき、父からメールが届きました。
「俺はあと6ヵ月か、長くても1年くらいしか生きられないらしい」と。
何度も見直し、これは余命宣告だ!と気づいて、急いで病院へ。
父は、自分の限界をうすうす感じていたのか、直接、担当医師に聞いたそうです。
医師からも、同様の宣告があり、最期のときを自宅で迎えるための準備へと方向転換です。
悲しむ間もなく、訪問医療・介護の契約など。
やらなければならないことはたくさんです。
悲しんでいられない。
この忙しさで、「死」という現実から逃げられる。
この時のために終活してきたのに・・・
向き合えない。
時間もないのに、もどかしい気持ち。
家族が心も体もふわふわと不安な状況のなか、父はしっかりしていました。
自分が管理している、お金や保険などをどうするのか指示し、車の処分、お世話になった人たちへの連絡など、自分ができる人生最後の整理を、着々とベッドの上でこなしていました。
なぜ、こんなに冷静でいられるのだ?
すごいよ、お父さん。
我が家では、生前会議なるものも、何度もおこなってきました。
家族で「最期はどうするか」を共有できていたはずなのに、それを守っているのは父だけ。
母など、毎日泣きながら何もできず、私も父に言われるがまま動くだけ。
情けない。
動こうにも、動けないですよね。
もうすぐいなくなるかと思うと、父のそばから離れられないです。
父は、自分のやるべきことを終えると、後は家に帰るだけだと、静かに待っていました。
しかし、体調が急変、余命宣告から10日で、帰らぬ人となりました。
急変後は、生前会議で話し合った本人の希望通り、痛みや苦しもを緩和することに専念し、家族にそばにいて欲しいという父の願い通りに数日を送りました。
最期の様子は、まだ心の中にしまっておこうと思います。
ただ、言えるのは「最期の看取り」は、どんな状況でも「後悔」が残るものではないでしょうか。
先進医療などしないで、穏やかに自宅で生活した方がよかったのでは・・・
意識がしっかりしているうちに、もっと感謝の気持ちを伝えるべきだった・・・
もっと〇〇すれば、もしかしたら・・・、あの時こうしていれば・・・
気が付くと考えてしまう後悔、後悔、後悔。
しばらくして、ようやく気付きました。
「どうやっても後悔する。人の最期はやり直しがきかないもん」
だから考え方を変えました。
父の最期にやってあげたことは何か?
家族で終活の準備をしてきた通りのことができました。
なにより、そばにいたのです。
手を繋ぎ、話しかけ、父の顔を見ながら家族が共に過ごしたのです。
それだけでいいのではないか。
私の看取りはこれでいい。
生きているうちに、しっかり家族でいることが大事なんですよね。
終活を通して、家族が「死」について話し合ってきたこと以上に、その時間が大事でした。
父の死を通して、終活していてよかったな~と思うと同時に、生きている今がどれだけ重要か、「生きる意味」を父が「死」をもって教えてくれたような気がします。
「死」を語るのは難しいことですが、今を生きる私たちのためになるならと思い、正直な気持ちを書かせていただきました。
悲しい話でも、お役にたてればうれしいです。
これからの終活日記には、父の幽霊が登場するかもしれません。
トモミナの終活日記は、第二章に入ります。
「母と娘と、幽霊の父による終活日記かな」、これからもよろしくお願いいたします。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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