見出し画像

人格形成に影響を与えた教師3選

私の人格形成に影響を与えた教師が3人いる。

・小学校1年生のときの担任M先生(当時50歳前後の女性)

・小学校6年生のときの担任O先生(当時50歳前後の男性)

・高校2〜3年生のときの担任T先生(当時40代半ばの男性)

小学校6年間、中学校3年間、高校3年間、計12人の担任がいるとして、上の3人以外はほぼ記憶にない。

まず、小学校1年のときの担任M先生。1年生なんて幼稚園から上がったすぐの6歳。生まれて6年しか経っていない幼子。そんな幼子相手にM先生は容赦なかった。簡単に言えば怖い厳しい先生。見た目は上沼恵美子のような、浅香光代のような、分かりやすい怖い女教師。

クラスいちの悪ガキの男の子なんて、授業中、教壇の隣に黒板を背にして座らされていた。ある時、悪ガキがまた悪さをした。先生はその子の頭をはたき、運悪く頭が教壇の角にぶつかり、出血した。それはそれは衝撃的なシーン。今でも同じクラスだった子たちはみんな覚えている。悪ガキだった当の本人も覚えているらしい。

その先生に教えられたことで一番記憶に残っていること。誰かが授業中に「先生、トイレ行ってきていいですか?」と言った。6歳にしては上出来かと思える言動。そんなとき、M先生はこう答えた。「先生が行ったらダメと言ったら行かないんですか?そういう時は『トイレ行ってきていいですか?』ではなく、『トイレ行ってきます』と言いなさい」。

ほぅ。6歳の私はそこで「なるほど、確かに」と納得してしまうのである。私の他人への細かい厳しさはそこからきてるように思える。なんでも他人の許可を得たり、指示を待って行動するのが正しいとされている日本の社会ではちょっとやりづらい。「自分がやるべきことなのにいちいち聞いてくるなよ」「私がダメだと言ったらやらないのか?そんなことなら最初からやろうとするな」と思ってしまうのだ。M先生はこんなにも自分の発言が影響を与えていると自覚はあるのだろうか。

次に小学校6年生のときの担任O先生。見た目は、小太り。頭からポマードの香りが漂ってくるようなテカテカの七三ヘア。修学旅行には薄茶のサングラスをかけてくるとても気質には見えない。これまた怖いタイプの先生。

生徒を褒める時は男女関係なくハグをし、ダメな時は自分で自分の頬をビンタするという謎ルールがあった。

とりわけ道徳の授業に熱心で、差別をすることを厳しく指導された。教科書にある差別に関する物語なんかを読んで、生徒に感想を述べさせる。道徳の授業なんて一番発言しにくい授業だ。それでも必ずみんなの前で発言させる。すぐに手を挙げる者がいないと校庭を走らされる。分かるまで(発言出来るまで)走ってこい、ってなもんだ。

M先生といい、O先生といい、今の時代では考えられない。

私は道徳の授業なのに校庭を走らされるという理不尽さが嫌だったので、割とすぐに感想を述べることにしていた。なんでもいい、ほんの少しでも発言をすれば、先生も無闇に否定することはないというのも分かっていた。思考を休めることなく、何かしらの感情を抱かせたかったんだと思う。

この頃から私は合理的で無駄を嫌う人間になっていった。「こんなことを人前で発言するの恥ずかしい」という気持ちより、無駄に校庭を走らされるほうが嫌だった。このぐらいの時期からすべての事象について深く考えるようになった。同時に、何も考えない人に対して嫌悪感を抱くようにもなった。

同じ先生から学んだとしても、時間が過ぎるまで走るほうを選んだ人もいただろうけど。そして、道徳の授業本来の目的であった闇雲に差別しない人間にもなっていた。

3人目は高校2、3年生の担任T先生。見た目は某宗教団体の教祖に似ていたので陰のあだ名もそれだった。T先生は先の2人と打って変わって話の通じるいい先生。(きっとM先生とO先生も高校の先生として会っていたら印象は違ったんだろう)

例えば、学校としてはルーズソックスが良しとされていなかったが、T先生は「あれは足首を冷やさないのは身体にいいからね、とても理にかなっているんだよ」みたいなことを言ったりする。校則でNGとされていても、「なぜダメなのか」「本当に校則を破ってまでやりたいことなのか」を生徒自身に考えさせる。今思えばホリエモンのようなことをいう人だったなあ。

私の進路にも大きな影響を与えた。私が志望してた大学は私の偏差値では到底無理だったんだけど、先生は志望校を変えろとは言わず、最後の最後まで勉強に付き合ってくれた。後期日程で私が「合格しました!信じられません」と先生に電話したとき、「俺も信じられへんわ。笑」と笑ってくれたことは今でも忘れない。

そんな無理矢理入った大学だから、受験以上に厳しい勉強勉強の日々だった。そのようなことを年賀状に綴り、先生に送った。先生からの年賀状の返事には「好きで選んだ道だからやり通せると信じています」と書かれてあった。

人には節目節目で出会う人がいる。きっと誰しも同じように用意されている。そこで何を得るか、何も得られないかは自分次第なんだろう。得られなかったほうがフワフワした可愛い女子になれたかもしれないけど、今の自分を気に入っているので過去に出会ったすべての人たちに感謝だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?