おれの人生__3_

自分の人生を振り返ってみた【第3回】

サワディーカップ。タイのバンコクからごきげんよう。

突然ではあるが、自分の人生を振り返ってみた。今回は第3回。自分の高校時代について、備忘録的な感じで当時思っていたことを素直に書き記してみた。

本文に入る前に、まずは簡単に自己紹介を。

高橋智喜(たかはしともき)
・1994年千葉県生まれ。
・タイのバンコク在住。
・明治大学法学部を卒業後、新卒でフリーターに。
・フリーター期間中は東京都内のベンチャー企業で働く。
・その後「海外で暮らしたい」という想いを捨てきれず、日系のタイ法人への就職が決まりバンコクに移住。今に至る。

自分で書いていて思ったが、レールを大幅に外れた人生を送ってきた自信は少なからずある。

構成は全6回でざっくり以下のような形。

・第1回:幼少期〜小学生時代
・第2回:中学校時代
・第3回:高校時代←今回の記事
・第4回:大学生時代前半
・第5回:激動の留学時代
・第6回:留学後〜現在(25歳)まで

自分がその当時、どんなことをして何を感じていたのかについて、赤裸々にまとめてみた。楽しんでもらえれば、これ幸いである。

前回の人生記録は、以下の記事を読んでいただきたい。

それでは、さっそく本題に入っていこう。


◇高校時代

中学を卒業したおれは、高校受験を経て千葉県内の公立高校に入学した。

「受験」というフィルターを通したからだろうか、中学とは違い、高校では知り合った生徒のほとんどと気が合った。類友である。似たような思考パターンを持った人間は集まりやすいのだなと衝撃を受けたのを覚えている。

さて、高校に入ったおれは、「自分の頭で考える」という能力を身につけた。中学校までのおれは、言われたことはしっかりやる。裏を返せば指示があるまでは自分で動けない指示待ち人間だった。そんなおれが、自分で考え、自分で行動を起こすようになったのには、高校時代の「自由な環境」が影響しているのではないかと思う。

勉強しかり、部活動しかり、休日の過ごし方しかり、生活におけるあらゆることに対して、義務教育を抜け出したことによりケタ違いの自由を手に入れた。高校からは電車通学ができるようになったため、毎日が小旅行の気分だった。

さて、高校時代のトピックは2つある。「高校野球」「大学受験」だ。


◇野球と自分に向き合った2年半

高校時代は部活に励んでいた記憶しかない。所属していたのは中学時代と変わらず野球部だ。入部してから引退する高校3年の夏まで四六時中、自分自身と野球に向き合ってきたつもりである。

高校に入学した当時のおれは「イップス」と呼ばれる投球障害に苦しんでいた。簡単に説明すると、イップスとは、精神的な原因などによりスポーツの動作に支障をきたし、突然自分の思い通りのプレー(動き)や意識が出来なくなる症状のことである。

元々は、ゴルフ用語だったとのことだが、現在は野球をはじめスポーツ全般で広く認知され始めているとのことである。※YouTubeで動画を検索するとショッキングな動画がヒットする。ひとつの事実として認識してもらえると幸いである。

野球に関していえば、「暴投したらどうしよう…」「ここぞのタイミングで失敗したらどうしよう…」とネガティブなイメージが頭にこびりついて離れなくなり、ボールを投げる時に体が硬直してうまく投げれなくなる。その結果、さらにネガティブな考え方が頭に染みつき、負の連鎖に陥っていく…。

ある意味地獄のような心境だった。

「走攻守」のバランスが必要とされる野球において、投球が当たり前のようにできないということは致命的であった。

中学校から未経験で野球をはじめ、やっと上達してきたと思ったら今度はメンタル面の問題で悩まされる。それに加えて投球障害からくるケガや故障にも悩まされていた。一難去らずにまた一難である。

人生の中で「どん底」を経験することはそれほど多くはないが、当時のおれは毎日がどん底だった。どんなに調べても人に聞いても解決策が見つからない。「暗中模索」という四字熟語があるが、当時のおれはまさにそんな状況だった。やるせなさしか感じない、そんな心境だった。

しかし、現実はそう甘くはない。周りに頼ることはもちろん必要であるが、自分で何かアクションを起こさない限りは、飛躍的な成長は見込めない。

そんな時におれが目をつけたのが「ひたすら観察すること」である。状況を改善するにはどうすればいいか考えた結果、周囲の状況や他人のプレーを観察することで、自分に生かせる部分を発見できるのではないかとという仮説を立てた。

部活がある日は、自分より上手で結果を残している人のプレーをひたすらに観察し続けた。部活が終わったあとは家に帰ってYouTubeで、ひたすらプロ野球選手や全国の高校の注目選手たちのプレーやファームを見まくった。そう、おれはこの頃からYouTubeのヘビーユーザーだった。

人間観察や状況判断能力が格段に向上したのも、ちょうどこの頃だった。

その甲斐あってか高校時代も最後の大会でレギュラーの背番号をもらい、公式戦に出場することができた。打撃成績は6打数2安打。結果だけ見ると3割バッターだが、2安打の内訳はライト前ポテンヒットと内野安打だ。いかにも、おれらしい不器用さがにじみ出た結果である。自分の成績はさておき、最後の大会ではチームの勝利やメンバーの活躍を素直に喜ぶことができた。中学時代から1番成長したことはこの点だろう。どうやらおれは、自分だけが結果を出すよりも、他の人が結果を出して喜んでいるのをみている方が、モチベーションが上がるらしい。

余談にはなるが、引退をすることが決まった最後の試合、最後のバッターとして打席に立ったのがおれだった。結果は空振り三振。ただひとつ心残りなのは、この時ネクストバッターズサークルで待っていたチーム1番のムードメーカーに繋げなかったことだ。自分の無力さを1番実感したのはこの時だった。

唯一の後悔とともに、おれの高校野球生活は終わりをむかえた。


◇大学受験モード突入

部活中心の生活が終わるとすぐに待ち構えていたのが、受験勉強である。予備校に通い目標としていた大学の過去問を解きまくり、1日のうちの大半を受験勉強に費やした。とはいっても、怠け癖のあるおれは、省エネ作戦で無理のない範囲で勉強をしていた。ゆとり教育を体現したような生活を送っていたような自信は少なからずある。正直なところ、受験シーズンは特段辛くもなかったし、程よいバランスを保ちながら毎日の生活を送っていたように思う。

そうこうしているうちに、年が明け本格的に受験シーズンがやってきた。この時のクラスの様子は非常にピリピリしていた。教室の中では物音ひとつ立てられない状況だ。小さい頃から、じっとしていることが苦手なおれにとっては、ある意味苦行だった。予備校にいるときも定期的に抜け出して、近所をフラフラ歩いていたのが懐かしい。

さて話を戻そう。

大学受験に関しても実体験から得られた教訓がひとつある。それは「慣れれば案外どうにかなる」ということである。

「住めば都」ということわざがあるが、イメージ的にはだいたいそんな感じである。説明が雑だが、この文章を読んでいるあなたなら理解してくれると信じている。

"慣れれば案外どうにかなる"

" "」をつけたらなんだか格言みたいになった。後世に語り継いでくれる勇者がいたらぜひ名乗り出て欲しい。

冗談はさておき、人間回数をこなせば、感覚が麻痺してなんとも思わなくなる。これがストレスの多い環境だったら最悪だが、自分が成長するために必要な環境であれば、ある意味最高ではないだろうか。

記憶が正しければ、受験シーズン中に10回以上受験を受けに行った。浪人になることは意地でも避けたかったおれは「数打ちゃ当たる作戦」を取り、いくつかの大学に合格した。最初は緊張していた受験も何回も繰り返すことで自然と慣れる。親戚の家に行くような感覚で受験会場にたどり着けたら、勝ちはもう見えている。合格した大学の多くは、中盤から終盤にかけて受験した大学がほとんどだった。もし、この文章を読んでいる高校生がいたら参考にしてもらえれば幸いである。

なんだか、前回、前々回と比べて真面目な感じになってしまったが、これがおれの高校時代である。


【第4回】大学時代前半に続く。


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