シツコク読書の効果について

若い頃から、率先して本は読んできたつもりだけど、それは読書が好きだということよりも、知的に見られる、頭が良く見られるという、他人目線の邪推な考えによるところが大きかったようにと思う。

もとより徹底して怠け者の自分であるが、それでも、これまでかなりの数の本を
読んできたつもりだ。そこで本を読むとは、読書とは一体なんだろうかを考えてみた。

人は何のために読書をするのか?その本の内容が面白いから、作者のファンだから、知識を得るため、暇つぶしに…人によって様々だろう。最近は、読書の効果をいう指南書もたくさん出版されている。しかし、読書の目に見えての効果って、ハッキリとはわからない。本で得た知識も日にちが経つと忘れてしまう。

俺は、とにかく活字を読んで頭に入れていくことで、片っ端から忘れていこうとも、何かがほんの少しでも残っていくものだと考えている。その何かは、もちろん知識であり、あるいは考え方であったり、モノの見方であったり、豊かな感情であったり、人によって様々だろう。その蓄積こそが読書の効果であると考え
る。

頭の中に、知識や思考、感情、その人なりの哲学など、なるべくたくさんの材料があった方が、社会においても、人の接し方においても、生きる上でも、絶対に有利に働くと思う。それこそが読書の最も大きな効果であると考える。

何かに対して、一方的な、一面的な見方だけではなく、想像力を働かせて、様々な見方ができるようになったり、事物に対して想いを馳せることができたり、相手の立場に立って考えることができたり、いざというときに的確な判断が可能になったりするものだと思う。

俺自身は、目的を持った読書はあまり好きではない。知的に見られるのは気持ちが良いが、本を読んで知識を得ようとか、学生時代のように何かを勉強しようなどの目的を持つことはあまりない。好みはあるけど、特別に読み込むようなジャンルもない。まるで好きな音楽を聴くように文字を頭に入れていくことが好きだ。

だから買って読み始めたものの、つまらなかったり、合わなかったりして、読むことが苦痛になってくると、かまわずに途中で止めることにしている。その本は中古本屋行きとなる。ただ読んでいく中で目的が湧いてくることがある。あ、このことをもっと知りたいとか、もっと関連の他の本も探してみようとか。

昔は、せっかく買った、借りたのだからもったいない、よくいえば作者に失礼、出版社に申し訳ないと考えて、とにかく苦痛であっても最初の目次から最後の解説まで、全てを読み通していた。

最近は、中年になって時間をムダに費やすことはなるべく避けた方が良いと考えている。人生は短い。生きている間に読める本も限られている。読書はあくまで読み人が主体の自由な行為だ。作者には悪いが、面白くなければ途中で投げ出しても全然OKだろう。

それに一字一句、全部頭に入れて理解しよう、覚えようとするから苦痛になる。時に、全体を意味がわかる程度に流し読みするのでも、目次を見て気になるところだけを拾い読みするのでもかまわない。もちろん時間をかけてでもジックリと隅々まで読みたくなる、熟読したい本はあるのだが、やっぱり圧倒的に少ない。

本を読んでると、頭の中で、書かれた世界がどんどん動いて広がっていくような気がする。脳から人間の持つあらゆる感情が溢れ出るような感じもする。本を読むことで、小さな狭い限られた脳の中で、とてつもなく広い、実際には行くことなんて叶わない宇宙の果てまで認識することが可能なのだから、読書という行為はスゴい。人類が獲得した最も偉大な行為だと思う。

俺は、どんな本でも読み終えたら、SNSにその感想を書くことにしている。俺が勝手に思ってるアウトプット行為だが、それをすることで頭の中に残るものも大きいと考えている。

これからも、死ぬまで一生、本に接していきたいと思う。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。