片麻痺になった日

右片麻痺(ステージ3)の「第2級身体障害者」となって、今日で9年目(anniversary day)。東京・あきる野市の友人宅で、脳出血(cerebral hemorrhage 左視床下部に37㍉)を起こして倒れた日だ。2014年、50歳の誕生日の2日前だった。

都落ちから自己破産、熊本地震、認知症・寝たきりになった両親の、それぞれの介護と看取り…実にいろいろとあったと思う。

とりあえず、体幹やバランスを鍛えることとウォーキング、自重とダンベルを使った筋トレがメインのハードなリハビリも、ノートをつけて続けてきた。

人間の脳は未知数で、回復の可能性は無限にあるとは思うが、まず、ステージ3以上の麻痺で完全回復に成功した例を聞いたことも、目にしたこともない。今では、無理矢理にでも、右片麻痺の身体は、俺のひとつの“個性”だと考えてる。時々、この身体に嫌気がさして激しく落ち込むことはあっても。

俺自身は、今では、片麻痺になったことは自分の身体を深く知る機会を与えてくれたと思ってる。これまでの取り組みで10Kg以上痩せて、高血圧症、ドロドロ血だったものが、医者に“麻痺以外は、全て基準値内で、すこぶる健康”と言われるまでに回復できた。

右片麻痺・復視でも、ハンドルスピナーのみとプリズム入りメガネで、身体をちょっとズラしてクルマを運転、福岡から鹿児島まで走ったし、左側をメインにして、ほとんどのことは健常者と同様にできると思う。スピードは遅いけど。

脳卒中で、機能障害以外に、性格が変わったり、ある特性が極端に出たりすることはよく知られていることだが、ここ数年、1ヶ月に本はだいたい20冊くらい読んで、映画は30本程観ることを続けているのも、もしかしたらそれかもしれない。てか、それだったらイイな。

脳の損傷部位も位置、障害の程度も、人それぞれ違う。よって個人の経験が絶対だとは決していえない。脳のことだから精神主義やカルトに陥りやすいと思うし。脳って本当にムズイものだ。

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倒れた時

東京の友人の店で夜勤が終わり、昼くらいに起きた俺はメールが来てないかとiPadをチェックしてた。
すると、急に頭の後ろに暖かい水が漏れたように感じた。そして、だんだんと身体が動かなくなってきた。右手に力が入らなくなった。そして、ベッドにもたれかかった。
これはヤバイ、動けるうちにと左手でガラケーを取り、友人に電話した。「頼む、すぐ来て。動けない。助けて」。
それから、友人が来て、救急隊員がドヤドヤ部屋に入ってきて、自分が布みたいなものに包まれ、外に運ばれていくのがわかった。救急車に乗ったところまでは覚えてる。血圧は上220を超えてたらしい。
それから約一週間ほど記憶がない。

左視床下部に37ミリの脳出血。

なんとなく覚えてるのは病院のベッドに寝てる時。
浴衣?みたいなものに着替えさせられ、オムツをしてた。メガネもないのであまりわからなかった。看護師さんらと話したが、自分でも変なこと言ってるなあとわかってて、意味の通じない話をしてた。
親、親戚、友人らが多数来てくれたが、断片的に覚えてるけど、細かくは記憶がない。その月のガラケー代がめちゃめちゃ高く、履歴を見るとあちこち電話してたらしいが、ほとんど記憶がない。
病院では、なぜか夜がとても怖く、ほとんど寝れなかった。あとで睡眠薬をもらうことになるが。一人優しい看護師がいて、食事から何から、親身に世話してくれた。

それから飛行機で実家のある熊本の病院に転院して、約半年の長期入院となった。熊本の病院でも最初のリハビリ等はあまり記憶がない。だんだんとはっきりしてきて、若くて可愛いリハビリスタッフに囲まれて、意外と入院生活は楽しかった。

そして、退院、現在に至る。

そういえば、かなり前から高血圧だった。滞在先のフィリピンで数日、入院したこともあった。上200超えて、友人が何回も警告してくれたが、大丈夫だよと聞き入れなかった。自業自得だったね。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。