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会いたい人は会いたい時に

実家を離れるということは、世間一般の大学生にとって何も不思議なことではないだろう。地元の仲間たちと集まることになれば、必ず帰省シーズン中に。懐かしい人たちと集まってともに時間を過ごすことは、想像以上のリフレッシュになったりもする。大好きな人たちと過ごす束の間の時間が私は好きだ。そんな現在、私自身も実家から離れた場所で生活をしているが、ほかの同級生と比べたときに実感として大きく異なる点がある。それはやはり海を越えた言語文化の違う場所に拠点を置いて生活をしているということだ。

自分の慣れ親しんだ文化圏から抜け出して生活することは、基本孤独だ。異質な文化を受け入れようと歩み寄り、いくらその言語文化に対する理解が深まってきても、自分の心底にある故郷や深く焼きついた祖国の情景はたったひとつ。そんなことにふと気づいたとき、再び透明な孤独感が押しよせてくる。これまで様々な国や場所に生活拠点を移しながら生活してきた私も、こんな感情にはまだ慣れない。だからこそ、実家に帰ることや母国に帰るということは私にとって大きな意味を成し、普段は物理的に会うことのできない人たちに会いに行くということも、大切な任務のように感じる。

帰国中だけに限らず、遠くに住んでいても会いたいと思える人がいること、そして実際に会ってくれる人がいることは当たり前ではない。だからこそ、実際に旧友と会うたび「こうして離れ離れになっても会ってくれる貴重な友達を大切にしていこう」と強く思う。私は本当に幸せものだ。思い返せば、昔は仲が良かった友達でも今になって疎遠になってしまった人もたくさんいる。というよりも、そうなってしまう人の割合の方が必然的に高くなってしまうものだ。それでも冬休みの帰国中に会ってくれた旧友たちに心の底から感謝したい。近況報告や思い出話まで会話が止まらず、最後には「また会おう」といってお別れをする。中高生のころ何気なく言っていた「また明日ね」が簡単には言えないことが少し寂しいが、それこそが大人になったという証拠なのかもしれない。

コロナ禍時代に行った高校留学と現在を比較してみると、好きな時に出国帰国ができるようになり、年齢も20代を迎えたからこそ行動範囲や選択肢の幅が増えた。そのような制限がなくなった今こそ、自由に会いに行く楽しさやありがたみを深く感じられるようになったと思う。もちろん、物理的に会いに行けない距離にいる人だっている。例えば、帰国中は台湾にいる彼氏とは必然的に遠距離になり、自分が海外にいるときは実家に帰りたくなっても簡単に帰れる距離でもない。そうやって会えない期間があるからこそ、人は相手が側にいてくれる当たり前にもっと感謝をしたくなり、別れた時の寂しさが、会えたときに倍の嬉しさとなって返ってくるのだろう。

そんな思考を巡らせながら過ごした冬休みの帰国。ここからは成人式から今日に至るまで、日本で過ごした1月を思い出の写真や音楽とともにお届けしていきたい。大好きな友達たちへ愛を込めて。

不思議な2次会

成人式の同窓会はよく働いた。中学3年生のときに生徒会役員をしていたからという理由で幹事を任されてしまった私は、台湾にいるときからコツコツと名簿作成などの仕事をしていた。慌ただしく過ぎていった成人式当日、急いで同窓会の会場に向かってから、受付業務やアトラクションの進行など。150人規模の同窓会を4人で仕切ったことが全ての原因だったようにすら思える。結局ゆっくり食事やおしゃべりを楽しむ暇もなく、これも経験かと割り切って仕事をしているうちに同窓会は終わってしまった。

そんな同窓会終わり、「まだ飲み足りないでしょ?」と中学時代仲の良かった友達が声をかけてくれた。私は行きたいとだけ返事をして、お金の精算などを行ってから友達の元へ駆けつけると、中学時代には考えられない何とも不思議なメンバーがそろっていた。友達の友達といった感覚で集められた顔ぶれに最初は緊張してしまったが、しばらすると最後には思いがけず意気投合してしまった。正直そのメンバーの中には当時あまり良い印象がなかった奴もいたが、お互いのことを素直に受け入れられるようになったのは、きっと私たちは少し大人になったからだろう。

それから2週間後。私が台湾に帰国してしまうということで、なぜかあの日の不思議なメンバーたちが「さよなら会」を開いてくれた。思いがけずに集まった5人の温かさが心に染みる。地元のメンバーと大好きな地元で会えること。成人式を終えた今になって、そのありがたみをより強く感じる。そんな幸せに溢れた小さな町は、変わらない私たちの故郷だ。

大好きな人に会う京都旅

経済学のファイナルを正式に終えた翌週から、私は時間を究極に持て余してしまった。私が冬休みに入っていても、日本の学生はドンピシャで試験週間を迎える。このタイミングのズレが少し痛い。家で犬と戯れるしかやることがなかった1月第3週目、そんな私の様子を見かねた友達から突然連絡がきた。「来週京都来たら?」と。思い立ってからはとにかく早かった。せっかくならばと市内でホテルを予約し、行きと帰りの高速バスチケットも購入する。名古屋駅から1人で早朝便のバスに乗り込み、気づいたときにはもう京都駅に降り立っていた。

京都市内の大学に通うその友達は、高校時代に同じく4年間かけて(休学留学をしていた影響)卒業をした大切な同期。彼女はいい意味で個性的で、多様な自己表現に長けている。そんな彼女と過ごす時間は高校時代からいつも刺激的で、音楽の趣味が私と完全一致する数少ない友達の1人でもある。京都駅で久しぶりに顔を合わせた後、彼女がバイトをしている嵐山エリアへ。フィルムカメラとデジカメを両手に持った彼女は、高校入学の頃から何も変わってなくて安心した。

実は今回始めて訪れた嵐山。外国人観光客の多さに驚くと同時に、日本文化がどれだけ世界中の人から愛されているのかもよく分かる。嵐山を歩き疲れた後は、河原町付近でゆっくりお散歩をした。思い出話に花を咲かせながら辿り着いたのは「ごはんや一芯」というお店。京都に住む別の友達から教えてもらい、その日はそこで夜ご飯を食べることにした。ほろほろな豚の角煮を頬張りながら、小さな夢から大きな夢まで語り合った。15歳の頃に知り合って早5年が経過した今。お互いに様々な国や地域の景色を見ながら成長できたこと、離れ離れになってもまた会いたいと思えるこの関係性が心地よい。次は台湾で会えると良いななんて考えながら、私たちが昔から大好きなCody・Lee(李)を流してホテルまで歩く。

ちなみにその翌日は、運良く別の友達と予定が会い、友達がバイトをしている二年坂付近で待ち合わせをする。約束まで少し時間があったので、清水寺から反対方向にある京都国立近代美術館の企画展に足を運んだ後、平安神宮で参拝をしてお昼ご飯を食べた。1人で歩く京都も楽しい。

その日会った友達は、高校1年生のときの同級生。私が復学をしてから学年が変わってしまったが、今でも変わらず仲良くしてくれる貴重な友達だ。時間的な関係で約2時間ほどしか会うことができなかったが、清水寺をゆっくりと散歩して、喫茶店に入りおしゃべりをした後お別れをした。短い時間でもあっという間にエナジーチャージできてしまうなんて本当に幸せ。

そんな余韻に浸りながら名古屋に帰る。翌日は雪が降った。やっぱり私は日本がいつまでも大好き。

さあ台湾に帰ろう

この他にも1月最終週は名古屋でたくさんの友達に会った。赤からや手羽先などの名古屋飯を後悔しないように食べ尽くし、地元愛が溢れるあまり、スガキヤのスーちゃんキーホルダーまで買ってしまった。楽しかった日本での1ヶ月間ではあったが、恋しさは残っていない。2月末から始まる新学期に向けて、残りは台湾で冬休みを過ごす。そんな昨晩は台湾人の彼氏と「あと少しで会えるね」なんて電話で話しながらパッキングを進めていた。台湾帰国はもう目の前だ。

来学期は新たな挑戦として、国際教育系会社で全英語のオンラインインターンシップに参加させてもらう。さらに学生団体の運営スタッフとしての活動や所属している剣道部の活動も頑張っていきたいと思っている。そして2024年、個人的に設定した目標の中に「noteの投稿と並行してラジオ配信をする」「個人でZINEの発行をする」という大きな夢も立てた。

前期の大きな収穫として、単位をひとつも落とすことなく終えることができたこと、それから基準成績をクリアして奨学金も継続して支給してもらえることが無事に決まった。1年目後半も引き続き気を引き締めて頑張りたいと思う。

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