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迷彩

元々この記事は2021年8月に掲載した『2022年度大学編入試験体験記』というタイトルで、自分が5年間通った明石工業高等専門学校から東京大学工学部に編入学する際に受験した編入学試験について振り返る内容だった。しかし今、東大に合格したという事実はもはや過去であり、東大生というバッジにいつまでも縋っているような、何か上手くいかなかった時にどこか精神的拠り所にしてしまっているような自分には別れを告げなければならない。別に自分は何者でもないのだ。
そこで、ここに記していた元々の内容を全て消し去り、「迷彩」と表現できるような自分の心の中と向き合い、そしてここに言語化した。


2023年は自分にとって厳しい1年だった。

他の記事で何度も言っているが、自分はどうしても東京に馴染むことができない。地元・兵庫県の公園でずっとサッカーをして遊んでいた自分には東京での遊び方もよくわからない。
これは個人的な主観でしかないが、東京にはカレンダーの余白を埋めることに満足して自分自身を自ら忙殺し、手段と目的を逆転させるような人間が多すぎると感じることがある。別にそれ自体を否定する権利は自分には無い。しかし、そのような人間の中には忙しすぎるあまりに自分や自分の周りの人間を大切にしなくなることがほとんどではないだろうか。もちろんそうではない人も知っている。でも、余白を埋めることに必死な一定数の人間に傷つけられることを2023年で何度も経験しているのだ。

東京での鬱屈とした日々はずっと続いていたが、2023年7月上旬、自分にとって人生史上最も屈辱的な出来事があった。

始まりは本当に何気ない日常からだった。「環境・設備エンジニアリングの道を志しているならこんな大学院生の子を紹介してあげるよ。きっと何か教えてくれるはずだ。」そう言われて紹介していただいた当時大学院生の人間に、自分の存在価値を全否定されるという体験をした。
自分の能力の低さ、将来の目標、人間性のそれら全てを、屋内公共空間の中で周りの人々に怪訝そうな顔を向けられながら、ある意味公開処刑のような形でとにかく罵倒され続けた。
そして、自分を見ているようでどこか見ていないような冷酷な目で、「完全に”彼”のせいで時間を無駄にした。」とテーブルの上で最後に告げられた。

これは間違いなく今でも記憶の最果てにまで刻まれたトラウマだった。意味不明な時間、そして皮肉混じりの二人称と三人称の混在。これによって自分は完全な鬱病に追いやられたという時期があった。

恐らく彼は「悪い見本」を自ら全人類に向けて体現していたのだろう。憎悪が全く存在しない世界もそれはそれで危うく、人はいつか愛を忘れてしまう。だから彼は、一定数必要(?)な悪の人間を演じてくれていたのではないか。彼も恐らく良い一面を持ち合わせているはず、でも自分の前ではそれを一切見せてくれなかった。そんなことを考えるようになってから少しは整理がつき始めた気はしているが、本当に死にたくなった瞬間だった。

迷彩。この都会から、この世界から隠れて消えたくなった。自分の存在価値を完全に見失った。

***

暗黒に包まれたあの時期から、自分はなんとか前を向くことができるようになった。自分を突き動かしてくれた2つの言葉があった。

まずは坂口恭平さんのツイートである。自分はこれまでに何度も坂口恭平さんの言葉に救われてきた。今回もまた救われてしまった。

あの出来事から1ヶ月後の2023年8月、新潟県妙高市で開催された小中学生を対象としたサマースクールにボランティアとして参加した。子どもと遊ぶことが好きな自分にとって、純粋に楽しすぎる3日間だった。今までにも他のボランティアや学童保育のアルバイトで子どもたちと触れ合ってきたが、新潟妙高では「もっと子どもたちを大切に、そして自分も子どもたちを見習わないといけない」といういつもと違う学びがあった。
自分が心から尊敬する辻信一さんは、「子どもを(社会の)真ん中に置けば全てがうまくいく。こども庁ではなく、こども省を一番上に置くべきだ。」と熱く語っていた。本当にその通りだ。
それからさらに1年前の2022年8月、福島県奥会津で出会った当時高校2年生の少年に、「自分より年上の人たちに昔の方が楽しかったとか、今は楽しくないとか言ってほしくない。」と言われたことを思い出した。
これが2つ目に思い出した、突き動かされた言葉だった。

自分がこの世界でどう在りたいのか、これはこれから別の記事で人に見せられる形で書くとして……
とにかく自分は「自分には価値がない」とか「死んだ方がマシな人間だ」って周りにこれ以上言わないことを誓った。今でも言ってしまうことはあるけれど。そして、自分よりも若い人たち、子どもたちに「自分も昔に戻りたい」とか「20歳を過ぎると楽しくない」って言いたくないのだ。
自分に存在価値が無いから価値を自ら獲得しようとするのではなく、価値があるとか無いとかそういう価値観からの脱却を目指したい。

迷彩。いくら困難があっても自分自身を隠さずに、自分を否定せずに、そして自分以外の人間を受け入れようと努力する。

都会に閉じ込められた鬱屈な感情から抜け出すために、自然豊かな場所や新しい環境を巡ることは改めて振り返ると必要で大切なことだった。現代の人間はオフィスの中で指先と頭しか動かしていないし、もっと違う場所に行かないと新しいアイデアも生まれないと思う。
だからこそ、これからの人生の主軸として据えたい根源的な生き方として、「とにかく行きたいと思ったところに行く。尊敬する人のいる場所に身を置く。」ということを徹底的に実践していく。海の向こう側で確かめたいものがあればとにかくあらゆる手段を尽くしてそこへ向かう。尊敬する人がいる場所にとにかく顔を出してその人の思想を直に感じ取る。これらを徹底していきたい。
最後に、2023年前半に日本の各地方を巡る中で言語化した「自分と向き合う」ということについて以下に記す。

1. 「自分と向き合う」とは、自分を客観視して、自分の見えていない部分あるいは見ようとしていない部分にしっかり向き合っていくこと。そして、「自分はこの世界をどう見るのか、そして自分はこの世界でどう在りたいのか??」を考え続けること。自分の見えてない部分を見ようとすることは難しい。特に頭が良くて弱い人間だと、何か困難なことがあっても簡単に言い訳ができて理論武装ができるので、自分と向き合おうとすることがなく成長することができない。
(自分もまた、相手に何かを指摘されても相手の指摘に矛盾を見出して、自分の不当性を見えないようにして今まで生きてきたと思う。人間は本当の意味で自分と常に向き合い続けなければならない。)
自分を客観視しつつも、自分の主観を大切にするためのバランスは難しい。自分は今もそれができるようになっているとは思えない。でもそれができるようになると、自分自身が成長することができて、自分の周囲を取り巻く環境にも良い変化を起こすことができると信じている。

2. 意見の主張が強い人、「この社会はこうなんだ。」と断言する人たちは、たしかに自分よりもそのことを長く深く考えていて、それを論理的に分かりやすく説明してくれる。でも、それはあくまでその人のこの世界に対する一つの切り口の見方でしかない。「それは一理ある」といった捉え方が大切で、心の底から共感したのであればそれを受け入れるのが良いと思う。とにかく最終的には「自分の中でこういう答えを出す」「自分はこの世界をこう見る」という姿勢というか軸を持ち続けないと、自分には何が見えていなくて、何を知らないのかが見えなくなってしまうし、自らそれらを塞ごうと排除してしまう。

「迷彩」 written on 2024.01.09


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