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会食恐怖症の経緯と現在

私は複数の障害があるので重複しているところもありますが、
今回は会食恐怖症に特にフォーカスして書いてみたいと思います。
私が会食恐怖症を自覚したのは3歳のころです。
もちろん当時は会食恐怖症という名前もなければ、
存在すらしていないので、
何かおかしいということだけはわかっていた感じでした。
なぜなら保育園の給食がまったく食べられなかったからです。
吐き気がして口に持っていくことすら難しく、
これが何なのか自分でもわからなければ、
周りの人間はもっとわからなかったと思います。
吐き気がして食べられない、
けれど、保育士からは全部食べなさいと怒られる。
こちらとしては食べたくても食べれないんですが、
保育士からすれば、わざと食べないで逆らっていると捉えられたようで、
連日、保育士から「食べなければ遊ばせない」と言われたり、
「食べない子は赤ちゃんと一緒だ」と言って、
乳幼児クラスに無理やり連れていかれて座らせられたり、
ある時は、「言うことを聞かない子はこうだ」
と、床を引きずられたこともありますし、
ホースで水をかけられたこともありました。
今思うと、完全に体罰なのですが、
その当時はただ耐えるしかなかったのです。
毎日のように、保育士から怒鳴られるので、
ひどい対人恐怖症になりました。
保育園に行くことが辛く、
園内ではとにかく隅にいるようにして、
ひたすら時間が過ぎるのを待っていました。
しかし、あまりにも毎日酷い対応をされるので限界になります。
そこで意を決して、親に保育園に行きたくないと言うのですが、
そこで事件が起きます。
5歳の頃です。
雪が降る真冬の朝です。
行きたくないと父親に言うと、烈火のごとく怒りだした父に、
裸にされて雪の中に放り出されて、
玄関から締め出されてしまいました。
寒さの中、なぜ、自分がこんな目にあうのかわからず凍えます。
しばらくして、家の中へと入れましたが、
その時にはもう親を信用できなくなっていました。
小学校へとあがりましたが、給食は食べれず、
小学校3年生の時には、厳しい先生にあたってしまい、
「罰として全部食べるまで帰さない」と言われ、
目の前に給食をずっと置かれたまま、
夜になって警備員が回ってくるまで座らされました。
今思うと、体罰なのですが、ただ耐えるしかなかったのです。
小学校4年生の時に、クラスメイトに、
「給食を食べないからずるい、だから無視をしよう」と言われます。
その日からクラスの中で無視をされるといういじめへと発展しました。
その後部活内でも無視されるということが起き、
パニック障害を発症します。
(当時はパニック障害というものが知られていないためおそらくです。)
パニック発作がひどくなり次第に不登校状態へとなりました。
小学校の5、6年生はほとんどをうつ状態で過ごし、
そのまま小学校を卒業。
中学へとあがったものの、やはり給食が食べれず、
クラスメイトとのコミュニケーションも取れず、
(おそらく発達障害があったため)
次第に孤立するようになり、すぐに不登校の状態になります。
そしてそのまま卒業となりました。
中学を卒業し、親から予備校へと通いなさいと言われ、
通うものの、人と食事が取れないことで予備校でも孤立してしまい、
通うことが難しくなり退学。
親からは「学費をドブに捨てやがって」と罵られますが、
私にはどうすることもできなかったのです。
次第にうつ状態がひどくなりそのままひきこもりになってしまいます。
うつ状態が少し良くなってきたころ、
親から大検の学校へ通うように言われます。
そこはフリースクールのような学校だったため給食が無く、
好きな時間に行き、好きな時間に帰れるので、
初めて給食から解放されました。
また、そこで出会った友人に、初めて外食ができないことを伝えました。
すると、「大丈夫だよ!もし食べれないときは食べてあげるよ!」
と言われ、涙が出るほど感動しました。
今思うと、優しい言葉をかけられたのはこの時が初めてでした。
2年かけて大検を取得。
すると、親から大学に行くように言われます。
どう考えても私には難しいので断ったのですが、
むりやり大学を受験させられます。
そして、短大へと進学しました。
しかし、人とご飯を食べられないので、
なかなかコミュニケーションがうまくいかず、
友人もできず、独りぼっちの大学生活を送ります。
就職活動の仕方が分からず、大学卒業後はフリーターになりました。
親との折り合いが悪かったため、なけなしのお金で上京しました。
上京して就職した会社では、3時のおやつタイムがあり、
みんなで食べないといけないというルールがありました。
必死で頑張ってみるものの食べられず、
次第に変な空気になっていきます。
しかも働けなかったので(発達障害の為)、
会社の人から冷たい態度を取られるようになり、
1か月持たずクビになりました。
色々な会社をクビになりながら、
基本的に会食を介さずに人と親睦を深めるというのは難しく、
ひとりぼっちの日々を過ごしていましたが、
姉の勤める会社でアルバイトするようになり、
姉の助けもあってどうにかこうにか日々を送ります。
その後、産後うつをきっかけに、
32歳すぎてから発達障害がわかり、
会食恐怖症は、発達障害の二次障害であることが判明。
いつか治るものでもないということはわかったので、
会食恐怖とはうまく付き合っていくものなのかなと考えが変わりました。
ときどきは家族と外食をすることもあります。
やっぱり食べることは出来ないのですが、
家族に食べてもらったりして、助けてもらいながら、
会食の練習をしたり、食べれなくても店の雰囲気を楽しんだりしています。
3歳からなので、会食恐怖症とは41年の付き合いになります。
会食というのは、人生全般に影響を及ぼすもので、
会食が出来ないというのは生活の質を著しく害します。
人間関係にも関わってくるので本当にしんどいです。
それでも、いつか治るんじゃないかと夢見ていた時期もありましたし、
必死でもがいた日々もありましたが、
結局はうまくはいかず、
でも、これも自分の一部と思い、
ある意味で良い諦めが必要なのかな、と最近は思うようになりました。
正直しんどい時もありますが、
食べられなくてもいいじゃないかと自分に言い聞かせつつ、
ちょっとでも食べられたときは思いっきり自分を褒めつつ、
なるべく日々を楽しく過ごそうと思っています。
会食だけがすべてではないし、
それ以外のところに楽しみを見出すことも大事だし、
結局は、やれることをやるしかないんですよね。
まだまだ道半ばではありますが、
そんな感じで過ごしてます。

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