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私を否定するのは親しかいなかったと気づいたあと

私は親から否定されて育った。
だから、自分はダメな人間だとずっと思っていた。
飛び抜けてできることもなかったから、外で褒められることがなかったのも、そう思い込んでいた一因である。


しかし、褒めるということは、何も「良くできたね」と言われることだけではない。
褒められ慣れていない私は、そのことに気づくのが遅れた。
だから、長年、褒められていたことに気づかなかったのである。


今から考えると、あれは褒め言葉だったのではないかと思うことがある。



例えば、「あなたはこの教科が好きなの?」という言葉。
出来が悪いと思って言う言葉なら、「あなたはこの教科が嫌いなの?」となるはずである。


「なかなか良い選手なんですよ」
この言葉は私を紹介されるときに使われた言葉だが、私を評価してくれていることは明らかだ。


私が友達に「私は運動音痴だから」と話すと、「運動音痴じゃないよ」と即否定されたことがあった。
これも私を認めてくれている言葉である。


いろいろ思い出し始めると、私は、親以外から否定されたことはあまりなかったように思う。
だけど、親に繰り返し繰り返しダメだと言われ続け、洗脳されてきた。


思い返せば、私を否定しなかった人のほうが多いのに、なぜ私は親の意見を信じてしまっていたのか。


親に否定され続けたせいか、自分に自信がなかった。
だから、友達から理不尽な扱いをされたとき、対抗することができなかった。
私は間違っていないと言えなくて、理不尽な扱いを静かに受け入れた。


子どもにとって、親はかなりのウエイトを占める。
そのせいで私は、間違った認識を長い間持ち続けてしまった。
それが原因で悩んだことは一回や二回ではない。


私の今までの生活の大半を埋め尽くしていたその価値観は、悪影響しかなかったと今なら思える。


結婚式のスピーチで、私が元上司からいただいた言葉は、「できる女」だった。
その上司は、私の親が上だと認める職業の人である。
そんな人が言った私に対する褒め言葉を聞いたとき、親はどう思ったのだろうか。


否定し続けた意識があったなら、自分の評価は間違っていたんだと気づいてくれただろうか。
いや、きっと否定し続けた意識などないのだろう。
だからこそ、今、普通に私と接せるのだ。


おそらく認識もされていないことに私は悩まされ続けた。
そんな馬鹿げたことがあるだろうか。


そんな経験から思うのは、子どもは、特に自分の子どもには、否定の言葉を浴びせてはならないということだ。
親の方は意識していなくとも、受け取った側の子どもには、思いの外大きな呪いの言葉となる。


良く考えてみれば、子どもはまだ、人から受け取った言葉が少ない。
それまで受け取った言葉の源は、大抵親からだ。
そんな親からの言葉が、否定の言葉ばかりなら、心に残る言葉の大半が否定の言葉となり、心を蝕むのは当たり前なのだ。


私は親から褒められた経験がない。
だから、子どもを褒めるのも苦手だ。
どうしても、親に植え付けられた狭い価値観でものを考える癖が抜けない。


これではいけない。
私と同じように、自信のない人に育ってしまったら、人生に無駄な時間が増えてしまう。



子どもたちが小さい頃はそう心配していたが、子どもたちが成長してきて見せてくれる姿の中には、私より優れているものがたくさんあった。
今では褒めることに困るということはない。


子どもが成長してもなお、否定し続けた私の親は、私にどれほどの期待をしていたのだろうか。
何も与えずとも何かを成し遂げるような、そんな優れた人だとでも思っていたのだろうか。


親の真意はわからない。
今言えるのは、私は与えられたものだけなら、人から認められるくらいには成果を上げることができていたということだ。
親がそれを認め、「すごい」と言うだけで、私はきっと幸せを手に入れていただろう。



たった三文字の言葉で子どもの人生が変わっていたのに、未だにそれに気づかない私の親は、私を否定できるほど優れた人なのか、今は疑問に思っている。




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