2022年12月の記事一覧
「さよなら」が別れじゃなくて
X月X日
学生時代から仲良くしてくれてるともだちKちゃんが、いよいよ来年、北アルプスのふもとに、だんなさんと1歳になる娘さんと3人で、東京から移住することになった。
Kちゃんは、わたしが10年ちかくいた新聞社を辞めて、東北の山間部に移住を決めたとき、ほかの人たちが「すごい決断だね」とか「がんばって」と言ってくれたなかで、「楽しんで」とだけ言ってくれた。
わたしはそのとき、たくさんのともだちに
わたしと「食」との関係/砂を噛むような日々
X月X日
精神安定剤的に書く。
さいきんおいしい料理が作れなくなってしまった。
大好きな自炊をしても、味がしない。おいしいものを食べても、あまり味がしない。
これまでストレスが強くなったり、忙しくなったりして、それどころじゃなくなったりとかすると、そういう時期というのがしばしばやってきた。
そのときも、そのときで、「ああ、食事に味がしなくなってしまったな」「砂をかんでいるみたいだ」なんて
書いてもしゃべっても、煮ても焼いても、ただのごみ
寝る前に、ふぅーっとひと息ついて、1日を振り返る時間があったらすてきだなあとずっとずっと思っていた。
実際は、そんな余裕があるというか、それを感じようとする日はめったに訪れるものではなかったり、疲れてそれどころじゃないこともほとんどだし、まだまだ寝るまでには時間が足りないということもあったり、不安やいらいらで、そんな優雅で丁寧な気分になんてなれないと思うときのほうが多い。
すさんだ気分で、すさ
夢とか幻とか現実とか
わたしにはいま、やりたいことや、希望や、夢や、目標が、たくさんある。
時間も足りなさすぎて、わちゃわちゃ。
まさにこんなかんじ、というのを先日ここに書いたばかりだ。
うん、そんなかんじ。
だけど、それが、いま、たいへんなことになっている。
「希望」とか「夢」とか「目標」とか、そんな存在すらこの世の中や自分のなかに存在していることすら気づけないくらい、死んだように生きているときだって、生き
「最適化」に徹底的にこだわり抜いた結果、不自由さへの果てしなき自分の欲深さに気づいた話
さいきん、「最適化する」ということに、とてもハマってしまって困る。
「最適化」という言葉、いつから自分の日常にあたりまえのように染み付いてきたのだろう。
最適化がなにか、と説明しなくても、最適化だよ、最適化、というようなかんじに、いまはなっている。
◇
「最適化」という言葉が使われるようになる前から、わたしは、ものごとを自分にとっていちばん効率いいオペレーションでやるということに、こだわっ
踊り続けながら、じーんと沁みてきた感覚に、大丈夫と思えた
さいきんは、あたまのなかが、とてもとっちらかってしまった状態で、過ごしていました。
とっちらかったまま、なにか1つのことに集中して、とどめていることが、なにひとつできない状態だったから、ここになにかを書く、ということも、なかなかできなかった。
◇
なかなかできないというのに、矛盾するけれどなにをやるにも、ひとつのことをやろうとすると、そこから枝葉のように、あれもこれも、それはまるでねずみ講の