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夢とか幻とか現実とか

わたしにはいま、やりたいことや、希望や、夢や、目標が、たくさんある。

時間も足りなさすぎて、わちゃわちゃ。

まさにこんなかんじ、というのを先日ここに書いたばかりだ。

うん、そんなかんじ。

だけど、それが、いま、たいへんなことになっている。

「希望」とか「夢」とか「目標」とか、そんな存在すらこの世の中や自分のなかに存在していることすら気づけないくらい、死んだように生きているときだって、生きていたらあったのに、逆に「希望」とかがあったらあったで、たいへんなことになってしまう。

それがいま、たいへんなことになっているというはなし。

具体的な夢なり目標なりの内容は、そこまで内面暴露してしまったらこっぱずかしいというのもあるし、それよりかは、それを言葉にしてしまったら、たいしたことないじゃん、って自分にがっかりしてしまう、そういう自分への自信のなさのほうが大きいのかもしれない。

だから、内容はともかくなのだけど、いま、その「希望」や「夢」や「目標」や「やりたいこと」とかを思い描きすぎて、ふくらみすぎてしまって、それに自分が押しつぶされそうになっている。

たとえるならばいま、重くて大きな風船があって、それに押しつぶされてしまっている状態。

自分で自分の首を絞めている。

「夢」や「希望」を持つこと、それが生きる力になる。

だけど、それも、ほどほどにしないと、大変だなあと。

というのも、これまで、夢や希望や目標ややりたいことなりがあふれてしまって、「自分はできる」という根拠のない自己肯定感みたいなものが膨らみすぎて、わたしはまるで、プライドを抱えて虎になっちゃったような、山月記のおはなしのような状態に、ほんとうになってしまったことがあって、それは大変だったからだ。

あのときはとても苦しかった。

当時、テレビ局の報道記者をやめて、1年以上、日本海の港のほうに引っ越して、隠居生活をすることになった。

テレビの仕事って、民放じゃなくて公共放送だったから、大丈夫だと思ってたけど、情報のシャワーはもちろんでそれは想定内だったけど、聴覚や視覚とかにおけるそれを浴びる量までは想定していなくて、それでかなりやられてしまった。

最後のほうは、照明もまぶしくて、頭が痛くなったり、ちかちかして目が見えづらくなったり涙が止まらなくなったりしたし、それから数年は、テレビも一切見られないくらい、聴覚と視覚(映像における)が疲れてしまって、後遺症みたくなった。

そんなこともあって、積極的に隠居しようと思ったというよりかは、あらゆる社会からの「情報」というものを遮断して暮らさざるを得なかったというのもあるのだけど。

そこでわたしの、希望ややりたいことは、むくむくとふくらんでいった。

だけど、ふたたび「社会」と立ち向かう元気がなかったんだろうな、そこが一緒にともなえなくて、ふくらむだけで、気づいたら山月記の虎みたいに、自尊心だけでなにもできないような人になってしまっていた。

だけど、そのときはそうやって客観視できなかったから、そのむくむくとした理想に、歯止めをかけることができなくて、さらに、むくむく、むくむくと膨らんでいった。

自尊心が高いから、けっきょくなにひとつ、それで手につけられていないのに、なぜか妄想だけで、すでに実現しているような気持ちにすらなってしまった。

だけど、そんなふうに、いつまでも隠居して、不労所得生活が送れるわけではない。

1年をすぎたあたりから、わたしは急に焦りはじめてきた。

それで、いつもふらふらしていたお気に入りの場所のひとつの、ある村にある植物園の女性に声をかけられて、うちの造園会社で働かない?といわれ、社長ともそれからお茶したりして、働かせてもらう流れになった。

だけど、その地域では普通なのかもしれないけれど、示された給与などの数字を見て、わたしは「現実」をつきつけられた気がした。

その金額感を見て、わたしは目が覚めたんだと思う。

それで、これまでかかえていた夢とか希望とかいうものが、たんなる自分の理想でしかなくて、なにひとつ現実ではなかったのだと、これまでわたしは幻のなかをいきていたんだと、信じられないけれど、でも、夢の世界がたしかに、がらがらと崩れていくのをかんじた。

ほんとうに、がらがらと音をたてているように感じられて、それは衝撃的で、愕然とした。

それから、豊かだと思っていた隠居生活に流れていたスローな時間感覚が、まったくもって変わってしまった。

時間軸が別世界になってしまったのだ。

それで、どうやって、この軸がまったく変わってしまった時間を過ごしていいのか、わたしはさっぱりわからなくなった。

あれだけ自分の「好き」にあふれていて、夢や希望にあふれていた、やっと探して辿り着いた港町の小さなワンルームは、ただただ殺風景な箱のように見えた。

これまでなにをしてこの時間を過ごしていたのかも、まったく思い出せなくなった。

いつもやっていた好きなことをしようと何度も同じことを挑戦もしてみたけど、まったく価値も感じられないし、なにがおもしろかったのかも、さっぱり思い出せなくなってしまったのだ。

まったく別人になってしまった自分が、ただ、また朝が来て、それでもまだ生きていることを呪い、それからずっと天井や壁だけを見て、夜になるのを待った。

その時間の長いこと長いこと。

夜になれば、無理やり睡眠薬を飲んで強制終了する、その繰り返し。

こんな長く時間が感じられて、死んだように生きていた時期は、それが数年続いて、いろんなことを経てそのトンネルを気づいたら抜けていったわけだけど、40年間生きていて、こんなふうな時間感覚を味わったのは、この時期の一度きりだ。

わたしを採用してくれた先の造園会社の社長に、入社を辞退する電話をやっと入れられたのは、統合失調症と診断され、病院への入院が決まった日だった。

わたしは、入院の道具を持って病院に向かう途中のドラッグストアの駐車場で、「急に、病気になってしまったので、入社できなくなりました。ごめんなさい」と伝えた。

そしたら社長は、え、意味がわからないといったような、反応をしていた。

そりゃそうだろう。わたしだって、具体的な病名は伝えなかったけど、急に統合失調症だとか診断されて、もう働くとかそれどころじゃなくなりましたとか、実際それどころじゃない状況なのだけど、自分自身ものみこめなくて、もうわけがわからなかった。

これが自分の知っている統合失調症というものにほんとうにあてはまるのだろうかと、いま、あの時期を振り返ろうとしても、よくわからないし、うそでしょ、とも思うし、うまく説明もできないのだ。

ほんとうに統合失調症だったのかどうかはさておいて、少なくともあのときは、現実を突きつけられたとたん、言いようのない焦燥感でおかしくなってしまって、妄想が膨れ上がってしまった山月記の虎のような状態になってしまったことはたしかだった。

だからわたしは、こわくなる。

空想や夢や妄想のほうが、少しでも膨れ上がってきている状態に。それが風船のように膨らんで、その人を押しつぶしている状態を想像してしまう。

いつだって人は、やる気を出せば動けると思っていたけれど、「現実」に気づいたときに、動こうと思っても、ブロックがかかってしまって、動けない怖さというのを味わって、そのトラウマみたいなのがある。

これが、メンタルブロックがかかる、という状態なのだろうか。

夢や希望があればいいと人は言うけど、個人的には、夢や希望もほどほどに、と思う。

わたしはちゃんと現実を見ているだろうか?ちゃんと足を地につけて歩けているだろうか?ふわふわと漂っていないだろうか?そこにいる世界は現実だろうか?さほどやりたくないことに器用貧乏発揮しすぎて、もったいぶってないかーーときどきわからなくなって、問い直す。





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