見出し画像

家族都合の移住に抵抗なかったんですか?という1番多い質問に答えます

こんにちは。tommy(トミー)です。普段は起業家ママtommyと名乗っておりますが、本名は松坂智美と申します。

現在は夫の仕事の都合で移住した限界集落・人口4900人の徳島県神山町に在住。大自然の中にある一軒家で3歳と6歳の女の子を育てながらママ起業家として活動をしています。

私が昨年、神山町に移住してから

「東京に暮らしていて、よく突然縁もゆかりもない場所に来れましたね!」
「よく決断できましたね」
「嫌じゃなかったんですか?」

こういった質問や感想をたくさん聞いてきました。

確かにここ徳島県神山町は、人口4,900人の小さな町です。おじいちゃんやおばあちゃんがたくさん住んでいて、街中にはスーパーはないし、コンビニも1件あるだけ。小児科や産婦人科もないような場所ですから、東京から来ることに抵抗はなかったのかと疑問に思うのも不思議じゃありません。

それに、移住の話は夫の仕事の都合で決まったので、妻である私は嫌々ついてきたんじゃないかと思うみたいなんですよね。

でも、実は違ったんです。多くの人は、東京から田舎への引っ越しにネガティブな印象を持っています。でも私は違いました。

そこで今回は、東京のビルの合間をパンプスを履いて颯爽と歩くバリキャリママだった私が、ヒールを脱いで田舎道を歩くようになるまで、どんな心の変化があったのか?我が家の「移住の裏側と私の本音」についてお話したいと思います。

突然、縁もゆかりもない土地に移住すると告げられたら、あなたはどうしますか?

あなたにも住み慣れた土地があると思いますが「もし限界集落かつ築50年の家に住むことになった」と聞かされたら、どう感じますか?

ここまで極端な例はなかなかないかもしれませんが、転勤で引っ越さなくてはならないケースはよくあると思います。そんな時、多くの人は単身赴任を選ぶそうです。なぜなら、今や仕事をしているママも多くいますし、お子さんの転校もネックになるからです。友達と離れるのを嫌がるお子さんもいるでしょうし、受験をして私立に入学した場合はなおさら転校は避けたいと思うでしょう。

受験に費やした時間や労力を無駄にはしたくないし、公立の学校しかない地域もありますから、移住の拒否は当たり前かもしれません。

ですから、たとえ家族の都合とは言っても「はいはい、ついていきますよ」と簡単に決断なんてできないんですよね。

ただうちの場合はちょっと状況が違いました。移住のハードルを下げてくれた3つの要因があったんです。

まず、子ども達がまだ小さかったのが大きいですね。

移住の話が持ち上がった時点では、子ども達は2歳4歳という年齢でした。まだ幼い年齢でしたから保育園を離れても子ども達への影響は少ないと判断しました。

もう一つの大きな要因は私の仕事です。ちょうど私が仕事を辞めようと考えていたタイミングで夫の移住話が出てきたのです。

私の辞職と移住は全く無関係でしたが、私の退職が決まりほぼ専業主婦になった時点で持ち上がった話だったので、私の仕事への影響が一切なかったのも幸いでした。

3つめの要因は、コロナですね。

私たち家族は長年東京に住んできました。祐天寺という非常に便利な場所に住んでいましたので、お出かけがとにかく楽しい!恵比寿は徒歩圏内ですし、渋谷にも自転車で行っていました。

中目黒も歩いて20分ぐらいなので、お散歩がてら素敵なお店を見て周り、カフェでお茶するのをとても楽しみにしていましたね。

こんな便利な場所に住んでいましたが、コロナによって生活がガラッと変わりました。皆さんもご存じの通り、コロナのせいで外出が一切できなくなってしまいました。

満足に外出できないのが長期化するにつれ、東京に住み続ける意味も薄れてきました。その頃には、仕事は完全にリモートになっていましたし、出勤したとしても会社と自宅の往復だけ。そして繰り返される自宅待機のアナウンス。次第にこうした日々に疑問を持つようになりました。

東京の街が一気に窮屈になり良さが半減し、東京に住むメリットを感じなくなったんですよね。そうしているうちに、どれだけ出歩いても人に会わないような田舎に行くのもありだなあ……とおぼろげに感じていました。

そこで浮き上がったのが、神山町への移住の話だったんです。

これはまさにタイミングがバッチリ合致した瞬間でした。私に断られるかなと恐る恐る移住の話を持ち出した夫の予想に反し、私はノリノリでした。
むしろ私の方が移住に対して前のめりだったくらいです。

偶然にもすべてのタイミングとニーズがマッチして、私たちの移住はとてもスムーズに決まりました。

学校の新設プロジェクトを徳島県神山町でスタート

「神山まるごと高専の設立」

これが夫が携わっているプロジェクトです。

このプロジェクトに参画した夫は、本腰を入れてやると決めたのなら絶対に移住して関わらなければいけないと決意していました。

プロジェクトメンバーは全員が東京住みでしたが、地方の学校を東京から遠隔操作するような運営は考えていませんでした。現地に溶け込んで運営するのが重要という考えだったので、それが可能なメンバーを必要としていました。

言い出せない夫

夫は当初、移住の話を切り出すことに躊躇していたそうです。東京という日本で一番賑やかな場所から限界集落に移住するわけですから、きっと迷うに違いない。むしろ反対されるかもしれないと思っていました。

だから口火を切った時は、話をかなり濁していましたね。
でも、そんな心配は全く無用でした!

夫から移住の話を聞いた時、私はノリノリでした。むしろ夫より前のめりで話を聞いていたのを覚えています。その理由は冒頭でお話した通り。
そして私はついにハイヒールを脱ぎ、田舎へと足を踏み出したのです。

神山町で取り戻した自己肯定感

徳島県神山町が私にとって完璧な場所かと言ったらそうではないんですよ。神山町にだってもちろん問題はあります。

例えば「虫やゴミの問題」が挙げられます。もう移住してから1年ほどになりますが、ゴミの出しづらさと虫の怖さには一向に慣れません。それでも、東京に帰りたいですか?と聞かれたら「NO」と答えるでしょう。

今でも東京に帰りたい気持ちは微塵もなく、こっちでの暮らしは本当に面白くて気楽でいいなあと感じています。神山町での生活そのものが自己肯定感に繋がっているんですよね。

東京のど真ん中で働いていた時、自分よりも優秀な人はいくらでもいると気づかされました。仕事がデキるすごい人たちに囲まれ働き続けるには、自分を奮い立たせなければいけない場面がたくさんありました。

でも私は、そこまで貪欲に他人と比較するタイプではないんです。だからといって「あの人のようになりたい」と強いエネルギーを持ってめちゃくちゃ頑張るタイプでもないんです。

東京にいた頃は、こういったジレンマみたいなものを少なからず感じていましたが、こちらに来てからは状況が一変しました。

神山町にはそもそも同世代で私のように働いてる人がいません!だから同じ価値観で話ができるママ友もいないんですよね。

自分が“できる人認定”をされたいわけではありませんが、ここでは自然と“唯一無二の変な人”と認識される状態になっています。

私のような仕事をしている人が周りにいないので、それが面白いと映るようです。周りの人と比較して能力が高いから素晴らしいのではなく、人と違うことを真面目にやっているから面白いと評価されるのはとても嬉しく思います。

東京ではクリエイティブで素晴らしい起業家に囲まれていたので、自分の存在が完全に飲まれていました。

それがここに来て「なんだか変なことをしているけど面白い人」と興味を持ってもらえたことで、自分のアイデンティティを前向きに捉えられるようになりました。これは自分にとって大きな変化でした。

そして嬉しいニュースが舞い込んできたのです!

神山まるごと高専の開校が決定

大変ありがたいことに、神山まるごと高専に対して文科省の認可がおり、2023年4月の開校が決定しました。

いよいよ学校ができるんです!
学校の新設にあたってこれから目まぐるしい展開になると予想できますが、これからの未来がとても楽しみです。

私のアイデンティティや存在意義を再認識させてくれた神山町でこれからも家族全員で力を合わせて頑張っていきますので、これからも応援よろしくお願いいたします。

「あなたはあなたのままで素晴らしい」
tommy

 

このnoteはstand. fmでの音声をもとに書きました。同じ内容を音声でもお聴きいただけます。


Tommy's News!


徳島県にて「ママ夢ラジオ」というラジオ放送に参加しています。

ママ夢ラジオ徳島が徳島新聞で紹介されました!

https://nordot.app/917216553212592128?c=39546741839462401

様々な活動を通して社会に良い影響を与えられる人材になりたいと思っていますので応援よろしくお願いいたします。

こういった活動に「いいね」と思ってくださる方はぜひnoteをフォローしていただけたら大変嬉しく思います。

また、

・限界集落でのママ起業家生活
・ママの活躍支援
・自分史

などについての取材もお受けしております。
ご質問等がございましたらお問い合わせをお願いいたします。

取材のお問い合わせはこちらから


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?