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民藝(みんげい)って? #5 意味と役割

「下手物」に代わる言葉として生まれた「民藝」。

今回は、「民藝」の持つ意味についてずらずらと書いていきます。


「民衆的工藝」

民藝は「民衆的工藝」の略語です。#2で民藝は工藝の一部と述べました。「民藝」を明確に説明する為に、工藝は下図のようなジャンル分けがなされました。

工藝の種類


大きく、機械工藝と手工藝の2つに分類されています。現代では機械によるものづくりが主流になっていますが、このジャンル分けが生まれた1940年ごろは、人の手で作られたモノと機械で作られたモノが人々の生活の中には同じくらい存在したのでしょう。

民藝は手工芸の中でも、民衆へ向けた実用性を目的とする工藝といった立ち位置になっています。


留意すべきは、民藝の「民」は「民衆」という意味ですが、ここでの「民」に対するのは「個人」でも「貴族」でもなく、「」であり、政府に対しての「民」なのです。列強の仲間入りを目指していた日本は、西欧の美術の価値観を浸透させるため、美術と生活を切り離そうとしました。それに対抗して始まったのが工藝運動や民藝運動です。



民藝の定義

民藝の生みの親であるムネヨシとその仲間達は、日本民藝館の設立をはじめとする民藝運動の中で数多の執筆を行いました。その中で語られている民藝の定義はこんな感じ


・日用品であること

・実用的であること

・量産できるもの

・無銘であること

・安価であること

・職人が作っていること

・地方で作られていること

・分業ができること(個人の能力に頼りすぎない)

健康であること(誠実、無実 etc.)


名もなき田舎の誠実な職人が作る、日常生活で当たり前に使われ、役に立ち、飾らない品物といった感じ。

品物の色や形、大きさは民藝品には直接関係がありません。それらは無作為の中に自然と生まれてくるもの。

激動の時代の中、「地方にある独自の文化や技術」が消えていくことを危惧し、それらを守る役割も「民藝」が担っていた(担わせた)のだと思います。




「健康の美、用の美」


”働くものは弱い体を有ってはいられません。また不親切な心を有ってもいけません。じきに毀(こわ)れたり破れたり剥げたり解けたりするようなものでは役に立ちません。荒い仕事にも堪えるだけの丈夫な体と、忠実に仕えたいという篤い志とを兼ね備えていなければなりません。これらの性質に欠けるなら、よい品物と呼ぶことは出来ないでありましょう。(中略)健康の反対は病気であります。(中略)病気は色々あるでしょう。弱々しいことや、神経質なことや、たくらみの多いことや、角のあることや、冷たいことや、それらは皆健康な状態にあるものとはいえません。(中略)健康な美しさを選ぶことこそ、作り手や使い手の務めであります。”(「手仕事の日本」第三章 品物の性質 )


このように、作り手や、作り手の暮らす環境(文化)についても語られていることが多いです。

心身ともに健康な、よき働き手から生まれるものこそが民藝。煩悩に支配されない、健やかで気丈な職人でいて欲しいという願いもあったのかもしれません。


また品物そのものについて、

”それ故民藝とは、生活に忠實(実)な健康な工藝品を指すわけです。吾々の日常の最もいゝ伴侶たらんとするものです。使ひよく便宜なもの、使ってみて頼りになる眞實(真実)なもの、共に暮らしてみて落ち着くもの、使へば使ふ程親しさの出るもの、それが民藝品の有つ徳性です。それ故質素であつても粗惡ではいけないのです。安くても弱ければ駄目なのです。不正直なものや、變(変)態的なものや、贅澤なものや、それ等は民藝品として最も避く可き事柄です。自然なもの、素直なもの、簡素なもの、丈夫なもの、安全なもの、それは民藝の特色なのです。”(「民藝の趣旨」第八頁)


何だか好きな人のタイプの話をしているみたいな内容です。民藝への愛が溢れています。

生活に忠実で、無駄がなく、心地よく安心して使えるものが民藝品であり、それこそが俗に言う「用の美」の礎なのだと思います。よい品物は、煩悩を持った奴らからは生まれねえだろ。みたいな感じでしょうか。



現代では、沢山ある種類の中から、自分好みの日用品を選ぶ事ができるようになりました。作り手は、ターゲットを絞り、見た目や機能に工夫を凝らしならがら品物を生み出します。"民藝"の考えがそのまま当てはまるモノづくりは、現代では不可能なのかもしれません。ですが、モノづくりをする者たちが、忘れかけている事を思い出させる役割を担いつつあるように感じます。

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