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[小説]「世界観格差」 1/5

※うざい話で申し訳けありませんが、こんな時代に何もしなかったというのもいたたまれず、思いっきり政治の話。初歩ですが。

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 前略

 社会に適応出来ず、家出することになった者の書き置きなのに、世界を論じるという、文字通り「頭痛がイタイ」内容で恐縮だが、最期の戯言だと思って付き合ってくれ。ドラマでよく云うじゃないか。「最期に云い残したいことはないか?」と。これはその類いだ。

 題は、そうだな。「世界観格差」としておこう。

「世界観」というと、共産主義とか資本主義、民主主義や全体主義といったことを連想しがちだが、そもそも多様性を認めるかどうかという基本的な感覚の違いがある。

「オレ達は資本主義でやっていくが、オマエの国が共産主義がいいというのなら、それは邪魔しない」と云えるのかどうか。

 それとも、「オマエの国の考えは間違っている。だから、オレ達が教えてやる!」なのか。当然、そうなれば戦争だ。

 後者の場合、世界が一つの体制になるまで戦争は続く。また、いかなる体制が勝利しようとも、その内実は全体主義になっていく。内部にも、一つの正しさを求めるからだ。その意味では、世界が一つになればいいということほど、危険な発想はないとも云える。

 そんな小難しいこと、どこで聞いてきた? どうせ誰かの云ったことにかぶれんだたろ?

 ご明察の通りだ。元ネタは、「三枚目の世界像」(※1)という記事だ。その記事は、『愚か者の哲学』(※2)を参照されたようだが、そっちは読んでいない。
 その記事には大いに刺激を受けた。が、これから話すことはそこからかなり飛躍したものになると思う。そこはくれぐれも混同しないで欲しい。

 元ネタで書かれていたのは、一種の段階的発展論だと思う。

 人は成熟するにつれ、世界観も変わっていくと考え、それを三段階で表した。ただ、だれもが第三の世界観に到達するわけではない。そこが問題だ。第一の世界観で生涯を終える人もいる。近代以前だと地方の農民などほぼ全員がそうだった。生まれ育った村社会が唯一の世界だった。
 ところが、そのような閉鎖的な農村は消滅した。都市に暮らせば、否が応でも多様な世界と接することになる。ところが、触れる機会があるということと、それを理解することは別で、現代でもなお一つの世界観の中で生きている人たちが大勢いる。第三の世界観まで到達する人は、半数もいないかもしれない。

 また、元ネタには書かれていないが、第四、第五の世界観がある可能性もある。もしそんなものがあるとすれば、世界を動かしている者たちというのは、そういう高次元の者たちかもしれない。
 まあ、いきなりそんなことをいっても、またいつものトンデモ話がはじまったと思うだろうから、順を追って話す。

 いいか、これは遺言のつもりなので、何とかお終いまで付き合ってくれ。

 第一の世界観とは、生まれ育った地域共同体の世界観とされている。
 が、少なくとも先進諸国ではそんなものとっくの昔に消滅している。そこで少し煩雑になるが、旧い第一世界観と新・第一世界観と区別する。

 旧い第一世界観は、近代以前の村社会だ。
 そこでは大人はなんでも知っている。お父さんはとても頼りになる。食べさせてくれるということはもちろんだが、仕事や生き方だけでなく、ニュースを教えてくれるのも両親だ。
 親や周囲の大人達を見習えば、まず間違いのない人生を送ることが出来た。違う世界があるとは、うわさでは聞いていても、おとぎ話も同然だった。
 ただ、厳密に言えば、村の全員がのどかに生きられたわけではない。侵略や暴政などの外的要因がなくとも、平均的な仕事がこなせない者にとってはかなりつらい日々だったと思う。平均的な仕事とは農業なので、それ意外の才能や特技があっても、それが農村で役に立つものでなければ下を向いて生きねばならなかった。のどかに生きられたのは、半数くらいだったかもしれない。

 ともかく、その素朴な社会が産業革命によって事実上、消滅した。イギリスでは囲い込みが行われ、農民の多くが故郷を追われた。食べていくためには都市に行き、労働者として雇用してもらうしかなかった。
 そうなると彼らはもはや頼りになる大人ではない。世の中のことがわからないだけでなく、自分がどうすればいいのかもわからないからだ。子どもたちを教え導くどころではない。そうして旧い第一の世界観は崩壊した。
 それに代わって現れた世界観を、新・第一の世界観と呼ぶことにする。第二の世界観とは違うので、そこは混同しないで欲しい。

 新・第一の世界観とは、学校のそれである。子ども達は、親や近所の大人を見習うわけにはいかず、学校での体験に基づいて世界観を形成した。
 学校には、皆が守らねばならない校則や規範がある。それは複雑なものではなく単純だ。先生は頼りになり、先生の云うことは絶対だ。つまり、新・第一の世界観とは、世界は学校のようなものだと考えることなのである。

 もし、その新・第一の世界観のままで大人になればどういうことになるか?

 常にルールや規範を意識して、懸命に守ろうとする。その妥当性を自ら検証することなく、だ。先生に代わる頼もしい権威を探して後についていこうとする。

 つまり、新・第一の世界観から脱け出られないと、自由が重荷になる。
 自分で決めるということが不安で、決めてもらったほうが安心できるということになるわけだ。そうなると、生活の端々まで模範があって、逐一指導してくれる宗教団体のようなところに属したくなる。あるいは、強権的な政府を求める。

 検査も隔離も○スクも○クチンも全部強制して欲しい! と真剣に願うわけだ。そこには左翼も右翼もない。実際、そんな要望が両陣営から出された。つまり、共産主義や資本主義よりも、世界観の問題が大きかったということが証明されたわけだ。

 そこまで極端ではなくとも、立派な肩書きの人、専門家の云うことに従おうとする人は多い。いわゆる権威主義である。自分の頭で考えることに自信が持てず、権威に依存する。

 こう云っても、それのどこが悪いの? という人が相当数おられると思う。その方たちを説得できるのは、その人たちが尊敬する権威しかない。しかしその権威は、自分に従う者たちがいることで自分の地位や収入があるわけで、彼らを決して自由にはさせない。

 この新・第一の世界観の持ち主が厄介なのは、違うことをする者が許せないと感じることである。ルールや規範に従わない者を悪と見なすわけだ。「先生に云いつけるぞ」がエスカレートすると、「先生に代わって制裁する!」ということになる。自分たちが正しいと信じているだけに、これは相当、厄介だ。

 繰り返すが、愛国主義者の中にも共産主義者の中にも、リベラルの中にも、この新・第一の世界観の持ち主がいる。新・第一の世界観の持ち主にとって、思想など実は二の次三の次なのである。

 新・第一の世界観の持ち主は、たまたま出会ったスゴイ人に従う。
 そのカリスマ的な人物が愛国主義者であれば愛国主義者になるし、新興宗教の幹部であれば、入信する。あの人はスゴイ。あんなにスゴイ人の云うことなら間違いが無いと。自分を預けてしまう。

 だから、新・第一の世界観の持ち主は、その考えがおかしいと云われても議論には応じない。勧誘はするが批判されることは嫌う。自分が説得されそうになると、「先生に聞いてくる!」とばかりに、権威の判断を仰ぐ。すると、権威は「それはこうだよ」と教えてくれ、その答えをそのまま持ち帰って、自分を批判した相手にぶつける。
 要するに、新・第一の世界観の持ち主とは話し合いが成り立たないことが多い。日常会話では問題が無くとも、重要な問題になると話し合いにならない。

 現在進行形のことなので深くは立ち入らないが、〇ンデミックでも、○○には効果があるかないか、見方が大きく分かれた。両方が、相手を陰謀だ、デマだの決めつける異様な事態となり、それが今も続いている。議論が出来ない場合は、いずれか、あるいは両方が新・第一の世界観の持ち主だという公算が高いと思う。

 大東亜戦争の後、この国の多くの国民がたちまち民主主義の信奉者になったというのも、そのためだ。日本人に節操がないのではなく、日本人の多くが新・第一の世界観で生きていたので、これまで権威が消滅した途端に、新しい権威に従ったのである。
 進駐してきたマッカーサーが、日本人の精神年齢は○○歳だと云ったとか云わないとか。もしそれが世界観のことであれば、当時の日本人の多数は新・第一の世界観であり、学校の生徒レベルだと感じたのは、その通りだったと思う(そこには、純朴という美徳も含まれてはいたが…)。

 ただ、このGHQが、やや左寄りだったために、自由主義になびいた者と、社会主義になびいた者とに別れた。それは一見すると、多くの人が自分の頭で考えてそれぞれに道を選択したかのように見えた。
 が、その時、人々が自分の頭で考えるようになったのか否かは、現状を見れば一目瞭然だ。未だに議論が出来ない人が多くいる。議論が出来ないというのは、新・第一の世界観の持ち主か、次に述べる第二の世界観の持ち主なのである。
 多様な価値観を認め、相手の考えを尊重できるようになるには、第三の世界観に到達する必要がある。

つづく


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