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ネットで見つけたすごい音楽③言葉と音楽の境目を揺らす

言葉を聴いている時の脳と曲を聴いている時の脳、なにか働きが違ったりするのだろうか? 
気分とか状況によって、言葉とメロディーのどちらにも解釈できることはよくある。呟きや朗読を越えて、もはや劇になっているものもあったりして、その境界は曖昧だ。
今回、そんな言葉(ほぼコント)×音楽の曲たちを見つけてきたので、何曲か紹介したい。

ちなみに「コント」とは、以下の意味で使用している。

1.風刺と機知に富んだ、短い物語。軽妙な、ごく短い話。
2.軽妙な寸劇。
-Oxford  Language

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音楽×言葉(ほぼコント)
その① 跡地「人生の半分」

“聴いてて元気が出る”との触れ込みのもと、ある日突然流れてきたこの曲。

何をもとにしているのか謎だが、東大生の書いたレビューの熱い朗読から始まるところからして天才。
絶妙につっかえる読み上げ役、(あっ噛んだ…)と思っているのが手に取るように分かるメンバー、追いかけ続けたつっかえ路線を越え滑らかな没入を獲得する後半の朗読、ついに歌詞「人生の半分」の新たなリズムを生み出す終盤。ここに録音されているのはまぎれもないライブ感、本物のグルーヴ?の記録である。
どこをとっても素晴らしい曲だが、個人的には「ニュータウン……」の下りでハーモニカが耐えきれず吹き出すところが最高。演奏してて楽しくなったのだろう、ちょいちょい笑いながら歌ってるのもご愛嬌だ。

プロフィールによると、跡地は、ノイズ・スカム・グラインドコア・インダストリアル・フォーク・ジャズ・演劇や舞踏、民族音楽、現代音楽なんでもござれな山形のエクストリーム・インプロヴィゼーション団体。
味のあるつぶやき女性ボーカルを迎えた4thアルバム「脳内ねりねり」(妙にリアルかつ何とも気の抜ける感情込めた歌い上げ)、音がバシバシ鳴り響く最新の曲たちに比べればちょっと落ち着いてメロディアスに聴ける気がする1stアルバム「奉遷」等々、常にタガが外れつつ謎にスムースに聴ける名曲たちが並ぶ。

この5thアルバム「山」には、勢いのあまり常時音割れしまくる演奏と歌が全部で10曲収録されている。”ゴルい10曲”、”山形産ゴルジェ”とも謳われており、ちなみにゴルジェとは、インド〜ネパールの山岳地帯のクラブシーンで生まれた新ジャンルの音楽。なんだって。

詳しく書いてくださっている素敵な記事を見つけたので、リンクを貼っておく。

このような曲群なんだって。

いろいろとリサーチが追いついていないが、とにかくめちゃくちゃおすすめのアルバム。

音楽×言葉(ほぼコント)
その② cero「船上パーティー」

最近はあんまり入れてこない気がするが、初期のceroの曲には言葉や演劇が途中で入ってくることがあった。「exotic penguin night」や「大航海時代」なんかは、リーディングこそないが、歌詞に合わせてクラクションや海の音や鳴き声が入ってくるので、ほとんど物語を読んでいるような感覚で聴ける。

「船上パーティー」もそんな作品の1つ。この曲では途中で軽い演劇が挿入される。
「つまらないわね」「気が合いますね」…、パーティーに飽きてしまった2人の男女。甲板で始まる会話は次第に雲行きが怪しくなり、その後の演奏で緊迫感を盛り上げたあと、メロディーに悲鳴が差しこまれる。

3rdアルバム「yellow magus」の特典DVDで観られるが、2013年に行われたライブ”My Lost City Tour”では「ちょっと待った!!」の下りで本当に軽いコントをやっている。
演奏しているメンバーの背後に、ナイフを持った別のメンバーがこそこそと忍びよる。その後はステージ上でチャンバラが始まり、ハリウッドさながらのスローモーションの動き(ものすごくのろい一閃)で魅せてくれる。遊び心のある楽しい演奏だ。

とつぜん聴き取れる朗読
その① Rodrigo Amarante「Cavalo」

続いては、音楽×朗読の曲たち。せっかくなので、A国語に突然交じるB国語朗読というコンセプトで探してみた(今回はたまたまどちらも日本語朗読になった)。

ブラジルのアーティストRodrigo Amaranteのアルバム「Cavalo」(=馬)のうち、表題作。
静謐なピアノが連なり、訥々と歌声が流れる。途中、何気なく日本語の朗読が入ってきて驚いた。読み上げているのはコニシヒロミさん(ローマ字表記のためカタカナで記載)。

馬の目
真っ白な鏡
私と私
銀色の泡と塩から
砂丘の霧
白く照らされたベール
冷たい炎
盛りつくなかで
-Rodrigo Amarante「Cavalo」


歌パートのポルトガル語と朗読パートの日本語で、同じ内容を繰り返していると思われる。ちなみに、何かの一節かもしれないと思い、とりあえず日本語とポルトガル語と英語で探してみたが、特に出てこなかったのでおそらくオリジナルの詩か。
このアルバムはカセットでも発売されている。朗読入りの曲をカセットで聴くと、聴く体験としてまた違う重厚さが出る。気がする。

とつぜん聴き取れる朗読
その② O Terno「Volta e Meia」

坂本慎太郎もつい最近、ブラジルのグループO Ternoのアルバムに朗読者として参加している。こんな歌詞を読み上げている。

夜明け前静まり返った部屋に一人
また今日もいる鏡の中の知らない男
空のグラス 身なり 麻痺
どこまでも追いかけてくる昔の自分
-O Terno, 坂本慎太郎, Devendra Vanhart
「Volta e Meia」

その後はなんと、2言語で交ざりあって歌いはじめる。表記上は追いかけ合唱のように見えるが、じっさい聴いてみると、それぞれのテンポで互いの言語に入り込み、入り組んでいるような感じだ。

Dou muita volta e volta(愛は)e meia ainda volto pra você(見える)Dou meia volta e volto(追えば)meio incerto do que eu vou fazer(逃げる)Dou muita volta e volta(わからない)e meia ainda volto(どこへ行く)pra você Dou meia volta(わからない)e volto meio incerto(何をしている)do que eu vou fazer Dou muita volta e volta e meia ainda volto pra você
-O Terno, 坂本慎太郎, Devendra Vanhart
「Volta e Meia」

全文訳を試みると、大体このような意味らしい。どうにも直訳ぎみだが、大まかな意味合い程度の参考にしていただければ幸いだ。

私はぐるぐる回る(愛は)
君の元にまだ戻ってくる(見える)
振り返って戻ってくる(追えば)
何をしようとしているか分からない(逃げる)
ぐるぐる回る(わからない)
まだ半分戻ってくる(どこへ行く)
君のために振り向く(わからない)
そして私はどこか不安定に戻ってくる(何をしている)
ぐるぐるぐるぐる 君の元にまだ戻ってくる

ところで、「身なり」というフレーズの部分。「みみなり」と発音しているようにも聞こえるのだが、耳鳴りが全身に回る感覚を一言で表現しようとしているのだろうか? と考えてみたり。



今回は音楽の側から、言葉(演劇/朗読)と接続している曲を探してみた。きっと言葉(演劇/朗読)側から探してみても、音楽との境界が曖昧な作品が見つかるだろう。まだまだ開拓の道のりは遠い。


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