都知事も親も絶対に教えてくれない「東京生活の十戒」とは?
一体何やってんだ! 何回同じ過ちを繰り返せば気が済むんだ‼
東京で暮らしていると、思わぬトラップに陥ることがある。それは宇宙空間におけるブラックホールの如く街々の至るところに点在していて、いたずらな笑みを浮かべながら誰彼構わず狙っているかのようにも思える。
人によってその経験の種類は異なるかもしれない。でもその大半は“異性関係”や“人間関係”、あるいは“お金”や“時間”といったことが密接に絡むと言って間違いない。残るのは冒頭のような嘆きと自己嫌悪。あなたも身に覚えがないだろうか。
もし自分の思考や言動が、昔決別したはずの何かキラキラしたもの、ギラギラしたものに侵食され始めたら要注意だ。それらは心や頭の中にウィルスのようにこっそりと侵入してきて、“落ち着いた大人”になっているはずのあなたの調子を狂わせる。
トラップに引っ掛かったり、ウィルスに感染してしまうと、得体の知れない巨大なシステムに搾取されながら生きているような惨めな気分になってしまうからタチが悪い。
こんな状態ではとても根を張って未来を見据えながら毎日を送れないし、人のために役に立って誰かをハッピーにすることなんて夢のまた夢だ。
「東京で暮らすこと」と「東京のために生きること」の違い。いつまでも“浮遊”した感覚のままできらびやかな風景に固執していると、失う代償はあまりにも大きい。
今回は一人でも多くの人に冒頭のような愚かな自問自答をしないでほしいという願いから、「東京生活における十戒」なるものを自らや周りの経験をもとにまとめてみた。
この30年間ノートに人知れず書き留めていた、失敗から学んだ教えの数々。アラフォー世代以上なら思い出して苦笑い。若い人なら大怪我を避けるために知っておいて損はない。あなたの大切な東京を決して“マイ・ロスト・シティー”にしてはいけないのだ。
都知事も親も絶対に教えてくれない! 東京生活を楽しむための“十戒”とは?
──いまだに「女は美、男は金」的な東京ワンダーランドの悪夢にどっぷり囚われたまま、夜の港区あたりを彷徨っている人を数多く見掛ける。
他人との出逢いや関係をそういう観点でしか判断しなくなると、それは態度や言動となって如実に現れる。東京においてもはや「勝ち組・セレブになりたい」とは「私は稚拙な思考の持ち主です」と同義語。まともな人ほど避けたがる。
中でも多いのが自分の欲望を満たすことしか能のないタイプ。要求ばかりしてくるワガママな幼児と同じで、何でも自分の思い通りにはいかない社会生活が欠如していると思われても仕方がない。
女なら金持ちと結婚すれば180度人生が華やかに転換すると思い込むようになり、男だと最悪の場合、空回りして追い込まれて虚業や詐欺に手を出すのがオチ。
<では、どうあるべきか?>
自分にしか心が向かないような美や金の基準に支配されるのではなく、女も男も「大切な人と共有しながら人生を楽しむための能力」に磨きをかけること。
そして年を取るということにもっと重みや意味合いを感じられるようになること。でなければ、この先超高齢化社会に足を踏み入れる東京で強く優しくは生きていけない。
──もし幸運にも事業や投資で成功するなど、何らかの形で富を手に入れたとしても、それを高価な車やアクセサリーといったモノに容易く変えてはいけない。
必ずSNSなどを使って周囲に誇示、間接自慢するようになるからだ。状況によっては言葉に変え、自分の考えを正しいと思って他人に押し付けるようにもなる。
人望に欠けたこの種の“ええカッコしい”が成功や富を維持できるはずもなく、都心の一等地に建つ◯◯ヒルズや◯◯レジデンス生活からの凋落も早い。
銀座や六本木の高級クラブで「オレにはお金がある」などと豪語したり、深夜のバラエティ番組に出演して自分のリッチな生活ぶりを紹介することなど愚の骨頂。たちまち招かれざる客との付き合いが始まる。
<では、どうあるべきか?>
東京中に “奇妙に子供じみた大人”が増殖している現状で、金のある男がやって今一番カッコ良くて説得力があること。
それは失われつつある“ダンディズム”を復権させること。蔓延る偽善セレブたちのモノに嘆く稚拙な振る舞いを蹴散らすべきなのだ。
──お金の使い方には、生き金と死に金があるのはご存知だろう。
どちらが良い悪いかの問題ではない。生き金ばかりに気を遣うのは人間としての器的にどうかと思うし、死に金を使う愚かさや後悔なくして世の中や人生を学べないことも確か。だが、中には「百害あって一利なし」なこともあるので要注意。ここでは3つほどお伝えしたい。
まずは、偽善セレブたちが経営する店やサービスへの散財は世の中に有意義に回っていくことはない。せいぜい彼らが“所有”する高級車のガソリン代か愛人へのプレゼント代に消えるのがオチ。
次に、肉体関係だけを目的とした何の愛情の欠片もない異性と食事。甘い果実をもぎ取るためにご機嫌を取った挙句、何事もなくその場を立ち去られては、金どころか時間や労力の無駄にもなってしまう。こんな行為がクールとされたのは遥か昔のバブル期だけ。
最後にギャンブル。誰かが必ず勝つ公営ギャンブルならまだしも、駅前などの生活動線上に店を構える商売目的・機械相手のパチンコ・パチスロ遊技場は一番タチが悪い。
これは金と時間に加え、ロマンス、家庭、仕事、交友、健康、活力など、下手を打てばすべてを失う。得るものは借金と絶望。このあたりの怖さは別の機会で改めて取り上げられたらと思う。
<では、どうあるべきか?>
人に共有できないこと、仮の姿を意識づけられることは、最初から関わらないのが賢明。
数年先に日本でも(もしかしたら東京に)カジノやIRの実現が濃厚となった今、お偉方で身を以てギャンブル依存症の根の深さに理解を示す者がいるとは到底思えない。死に金の墓場にならないことを祈るばかりだ。
(Part2へ続く)
*Graphic:TPDL
*この記事はWebマガジン「TOKYOWISE」で発表したものに一部加筆しました。
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流れ者/都市生活コラムニスト。自らの東京生活における経験やエピソードを次世代に伝えるために覚醒。書き留めた膨大なメモやノートを糧に、「東京をまともにする」という美学と信念を左胸に刻み込んで2015年より活動をスタート。寡作ですが、応援よろしくお願い致します。