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儚い物

日本人は儚い物が大好きなのだ。欧米人の自分にとって儚い物は一瞬で過ぎ去ってしまう悲しい物という印象が強い。日本文学者だったドナルド・キーンが日本人の儚さへの関心を不思議に思っていた。特に日本人の「桜」に対する気持ちを疑問に思い、「日本人は何故そんなに桜という儚い物が好き?」と問い掛けた。間もないうちに散り、すぐになくなってしまう花と他の儚い物の全体的な良さを知りたがる外国人はドナルド・キーンだけではないだろう。彼のように儚い物は本当に優良なのか疑いたくなりながらも、そういった物に目を向けると少しずつ素晴らしく見えてくる。

日本文化だと言い切れないので、国民性が少し見えがたいが、日本人の「期間限定」に対する愛で儚い物への関心が伝わってくる。日本のスーパーマーケットやコンビニエンスストアには無数の期間限定の菓子や飲料がある。季節ごとに変化する商品もあれば、1ヶ月も棚に並列しない商品もある。海外では日本の限定商品(特に日本の菓子)が話題になり、定期便という形で海外に在住している人は日本の商品が注文できるほど人気が上がっている。外国人の多くがすぐなくなる商品を中々購入できないため、不満に感じているだろう。それにひきかえ、日本人にとっては期間限定の商品が当たり前の存在で、常に変化する商品があると、逆にワクワクして買い物をする。

上記の通り、外国人の僕にとって儚い物は悲しい物だが、日本人は悲しく思う物を大切にしている。2008年に「おくりびと」という日本の葬儀に関する邦画が公開された。この映画を観てから人生は儚い物だと感じた日本人が大勢いるのではないかと思う。しかし、人生はどれほど儚い物であっても、悲しむ物ではない。日本では死体を綺麗にした上で旅立ち、人間はどれほど美しいのか再確認させられるのは日本の儀式。そして、本当に生きてよかったと心の奥から改めて思えてくる。価値の高い物は永遠と残る物ではなく、そのうち存在しなくなる物ばかりだ。1人の人生自体もそのうちなくなってしまうものの、その儚さに大きな意味がある。最期でも日本人は1人1人の人間を大切にし、儚かった人生を新しい形で見せてくれる。

調べてみると、日本人は儚い物を「美学」として扱われていて、日本の独特な文化である「侘び寂び」と結び付けられていることが分かった。自然にできる物が美しく捉えていて、冬に降る雪がその1つ。侘び寂びの特徴が雪に見られるため、日本人が雪を好むだけでなく、いずれか解けてなくなり、その儚い部分を美しく感じている。いつまでも美しく輝く物より良く、説明したように、日本人はなくなる物を高く評価している。形がなくならない物はいつでも楽しめ、そのうちは飽きたり、他の物を自然と求めるようになったりし、特別に感じにくいだろう。腹を割って話してしまえば、欧米人の僕は現在まで「終わり」のある物を悔しく感じ、いいと思ったことがなかった。しかし、何かが終了してからその物の良さを初めて知ることがある。継続しない物の方がやはり価値がしっくりと見えてくる。また触れ合ったり、見たりしたくなる物はずっと存在している物ではなく、一瞬で過ぎ去るかのような儚い物。自分の人生もそうだが、多くの物はそのうち存在しなくなるので、それらをもっと大事にしなければならないと日本人が教えてくれた。

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