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自己肯定感と、根拠のない自信

別に何もうまくいってないのに、うまくいっているように見える人。   

まだ、なにも始めてもないのに、できると言い切れてしまう人。

自己肯定感と、根拠のない自信から学んだこと、日頃から生かしていること。


社会人になって、人と多く接するようになって、いいのか悪いのか、「自己肯定感高いよね。」とか、思い起こせば就職の時も、「根拠のない自信が見えるので採用です。」みたいなことが普通に起こった経験が多くあるので、今日はそれについてつらつらと書いていきたいと思います。


■自己肯定感的なものが芽生えたんだろうと思えるバックグラウンド

よく人にどうやったらそういう風に育つのかとか、聞かれることが多いのですが、よくよく思い返して見たら、自分のこと(外見、人格)を否定して両親に怒られたことはいままでの人生で一度もない。ということが一番大きい自己形成だったかもしれません。

父は、厳しい人で食事のマナーや、姿勢、身の回りの整理整頓には、忙しく指導をする人でしたが、新しい服を着た時には、「その服よく似合ってるね」や、なにかをしたときには、「そういうところがすごいよね」とか、とにかくよく褒めてくれる人でした。

母も同じで、私のしていることを否定することもなく、小さい頃からなんでも「あなたらしくていいね」と言ってくれる人だったので、自然と人と自分を比較して悲観したり、これをすると人がどう思うだろう?と人の目線を気にすることもなく、個性を活かす生き方をしてこれたんだと感じています。


■人生の転機のひとつだったこと

そんな、呑気で、自分の中では、まぁまぁ自分のことをイケてると思い込んでいた、16才の時に、自ら、しかも親に内緒で勝手に交換留学を申し込み、面接などを勝手に通し、1年間現地の高校に通うためオーストラリアに行くことになります。

おそらく人生ではじめての挫折

当時のこの話は、自分でいま書けば笑えちゃうような話ですが、当時は本当に「はぁ、、、」となっていたことを思い出すのですが、私の留学したロータリークラブの留学制度では、基本的には現地の高校に留学生一人、という状況でポンっと放り出される(放り出してくれる)わけなのですが、

当時、自分の中では、学校でも英語だけは常に成績優秀、ALTの先生とは毎日手紙のやり取り、とにかく誰よりも英語ができるという自負があっての留学だったわけです。(自信満々)

しかし、蓋を開けてみれば、とにかく話せない。なんなら挨拶も聞き取れない。相手の話がわからないから周りの話に、適当に相槌を打って笑って、実際のところは何も面白くない、とにもかくも右も左も、何もわからない。の連続でした。

当然ながら、お店の買い物も全て英語、ラジオもテレビも英語、本屋さん寄っても全て書籍が英語、目に入ってくるもの、耳に入ってくるもの全て英語。気持ちのいいくらいの英語づけで、つまるところ、目に耳に入ってくる情報全て何もかもが宇宙語に聞こえてくる。なにもわからない。と言う状況でした。

現地に着いてから日本語をわかる人はもちろん、誰一人おらず、意味不明なジェスチャーと根性でなんとかホストファミリーとコミュニケーションを取り、学校では友達を作るわけですが、最初は「日本人の女の子が来た!」とキャンパスで人気者でも、なにせ何ひとつ話せなわけですから、そのうち「なんだ、こいつ、つまらないな」となって、みんなの関心も薄れ、話しかけてくれる人もどんどんいなくなっていきました。

「英語が話せる」という自信だけはあって、とにかく「もっと広い世界を見たい!」と思って、意気揚々と愛媛県の田舎町から出て来たのに「何ひとつ話すこともできない」「言いたいことも言えない」となったときには、なんだか人と話すことや、コミュニケーションを取ること自体が、とても怖くなって、1ヶ月間図書館で「誰にも見られませんように。」と謎のおまじないをつぶやきながら、一人こっそりとホストマザーが作ってくれたチーズとハムだけが挟まったサンドイッチのランチを食べていました。

話が長くなってしまいましたが、当時のことを振り返ると、今でこそ感心してしまうようなポジティブマインドなんですが、そんな時でも、「人と英語でコミュニケーションが取れない」という事実はあっても、それイコール「ああ、私は英語が話せないんだ。」と解釈しなかったのが、まさに自己肯定感なんだ思います。事実を客観的に捉えて、それを利用し、自分という存在そのものを否定するのではなく、自分の一部ができていないだけ。という解釈に近いかもしれません。今は、英語を話すのに苦労しているという現実と、自分自身が英語が話せない。を紐づけることはなかったと思います。

■思考回路 

おそらくよくある考え方:「私は英語が話せない」

ポジティブマインド:「実際のことろ、いまは、何も話せず苦労しているのけど、もっと積極的に自分から話しかけることが足りないのかもしれない。

■絵に描いてみたイメージ(めちゃわかりにくい&しかも手描き)

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絵に描いてみると非常にさらにわかりづらいんですが、できないのは全体の一部の自分であって、自分全てではないということ。この考え方は結構いろんな場で自分を助けてくれています。

■応用

実際のところ、夫婦でケンカになった際や、仕事でも、この考え方を応用して相手に話すようにしています。

相手像そのものを否定せず、相手の一部この部分がこうだから、こうなると嬉しいな。という伝え方。をするようにしています。

具体的に話すことによって、全体像で相手の存在を否定しないことを念頭に置くようにしています。

■特に気をつけていること

また、私自身、一番気をつけていることは「相手の外見、変えられない部分を絶対に否定しないこと」です。

これは例えば、私自身鼻が低いのですが、これを両親から、「あなたは、鼻が低くて、かっこ悪いね」と言われ続けたとします。鼻の高さなんて、自分ではどう引っ張ってもそうそう高くなるものではないので、いきなり高くなったりしないでしょう。自分で変えられない部分を全面的に否定された時には、人の自尊心を大きく傷つけてしまいます。整形した方がいいのか、とか、鏡で自分の鼻を見るのも嫌になってしまうかもしれません。

例えば、「センスが無いね。」など、その人自体で簡単に変えられないことを否定してしまうより、「もっとこうゆう風にすると更に垢抜けると思うな」って言われた方が前向きに捉えてもらえるように、

なんでもポジティブに愛をもって、伝えられたり話せることでもっと、自己肯定感高く、世の中の多くの方が、自信をもって生きていけるのではないかと思うのです。

■まとめ

1 : ここがダメだよね → ここをこうするとさらに素敵になりそうだよね!とより具体的に相手に伝える。

2 : 出来ないことは自分の全てではないのだから、自分の一部として捉えて考える。

長くて少しわかりづらい文章になりましたが、自分の発する言葉で自分も目の前の相手ハッピーにポジティブになれたらいいですよね。




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