ぼくが太宰治について語りたくない理由
東京西側放送局の第9回は、太宰治の映像化作品について語り合う、というものだった。実際には、内容の半分以上が太宰自身とその作品に関するものになったのだけれども。
太宰について語るとき、ぼくはいつも妙な緊張を覚える。基本的に、太宰は解釈しえない作家だと思っているからだ。
「解釈」という作業は、何かを何か「として」切り出し、分解しながら理解することである。たとえば、いまぼくはパソコンの画面を見ながらキーボードを打っている。ぼくはパソコンを解釈するのではなく、ある種身体の一部のよ