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グレーゾーンな嗜みとしての喫煙ーー俺と煙草と宝塚歌劇団

 世の中には二種類の人間がいる。宝塚を観たことがある人間と、そうでない人間の二種類が。

 俺が宝塚を観たことがある人間になったのは2018年のことだった。観劇のきっかけはなんてことない。当時仲良くしていた女友達に誘われたから、というだけのこと。

「なんかよくわからないが、俺には縁のない世界」「ファンが宗教的でどこか気持ち悪い」「出演者が女性だけなのは意味がわからない」

 そんな印象を持ちつつも、女友達からの誘いに気分を良くし、観劇に向かった。舞台を楽しみにする気持ちよりも、下心の方が勝っていたような気すらする。しかし、観劇後、つまり、宝塚を観たことがない人間が、宝塚を観たことがある人間に変わったとき、上に挙げたような宝塚に対するイメージは、女友達に抱いていた下心とともに遠くへ飛んでいった。

宝塚歌劇団の衝撃

 作劇が抜群。テーマは痛烈。多人数のダンスは華美。これまで興味を持ったことがなく、縁のない世界だと思い込んでいたが、その日観た作品は、俺が普段愛好する種々の作品との共通点がいくつも見出せた。

 観劇したのは『BADDY 悪党は月からやって来る』という作品(厳密にいうと芝居は二本立てで『カンパニー』も観たが、こちらはそれほどでも……)。これが、たまらなく、良かったのだ。宝塚ファンにいわせれば「これまでの宝塚の常識を打ち破った画期的な作品」とのことだが、ハイコンテクストな魅力を除いても、演劇としての強度が確りある。

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 宝塚歌劇団公式サイトから物語のあらすじを引用する。

舞台は地球首都・TAKARAZUKA-CITY。世界統一され、戦争も犯罪も全ての悪が鎮圧されたピースフルプラネット“地球”に、月から放浪の大悪党バッディが乗り込んでくる。バッディは超クールでエレガントなヘビースモーカー。しかし地球は全大陸禁煙。束縛を嫌うバッディは手下たちを率い、つまらない世の中を面白くするためにあらゆる悪事を働くことにする。彼の最終目標はタカラヅカ・ビッグシアターバンクに眠る惑星予算を盗み出すこと。しかし、万能の女捜査官グッディの追撃が、ついに彼を追いつめる!

 くー! 確信犯的にわかりやすくバカな説明文である。物語設定も荒唐無稽。しかし、舞台に立つのは、宝塚歌劇団で鍛え抜かれた俳優たち。キレキレかつ外連味たっぷりな演技で、劇が展開されていく。そうした設定と演技のギャップがシュールなおかしみを生み出しつつ、ピカレスクかつビルドゥングスロマンをベースにした物語が進む。

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 テーマはジェンダー、規範、愛、信念……。異様な設定とは裏腹に描かれるテーマは普遍的なものばかり。そうした要素が油画の絵具を塗り重ねるように盛り込まれながら、宝塚名物のラインダンス、つまり終幕へと盛り上がっていく。明言は避けるが、ラストシーンは体制に対するアンチテーゼとして、これほどなく痛快なものだ。

演出家の魂胆

 舞台の演出を手掛けたのは、京大卒業後に入社した製薬会社を辞め、宝塚歌劇団の演出家としての道を選んだ上田久美子氏。宝塚を観たことがない頃の俺も、演出に知悉した人物として名前を聞いたことがある女性だった。彼女が手がけたはじめてのショーが『BADDY 悪党は月からやって来る』である。公演に際してのインタビューで彼女は以下のように語っている。

現在の社会は良くも悪くも善悪の線引きが厳しくなり、以前はグレーゾーンだった範囲も悪と見なされるようになったと感じています。それが決していけないわけではありませんが、人間は無菌状態に置かれると、「もっと自由でいたい」という願望が芽生えるものです。

グレーゾーンな嗜みとしての喫煙

 減り続ける喫煙所、飲食店の禁煙化、煙草の値上げ……。煙草自体の害は昔から変わっていない(むしろ低減している)にもかかわらず、喫煙者を取り巻く環境は次第に厳しくなっている。これは上田久美子氏のいう「善悪の線引きが厳しくなり、以前はグレーゾーンだった範囲も悪と見なされるようになった」ことに通ずる話ではないだろうか。

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 そりゃあ煙草は健康に悪い。お金もかかる。いいことなんてほとんどありやしない。だからといって、喫煙を平気で“取るに足らないくだらないもの”扱いする=厳しい線引きによって無菌化するのは、果たして理知的な選択なのだろうか。

 俺は、自分にはまったく関係がない世界だと思っていた「宝塚歌劇団」に興味を持てた。これは、宝塚を観たことがないからといって、宝塚を平気で“取るに足らないくだらないもの”扱いする=厳しい線引きによって無視するといった行為を行わなかったからではないだろうか。グレーゾーンを認め、許容することは、新たな価値との出会いにもつながるわけだ。

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 というわけで、ここはどうか、喫煙という行為をグレーゾーンな嗜みとして、どうにか許容してはいただけませんでしょうか。

……。これからも煙草を吸い続けるために、こんな滅茶苦茶な理論武装で身を固め、俺は今日も喫煙所を求めて彷徨い歩くのである。なんとも荒唐無稽な話なのである。

 この文章は「東京西側放送局」というインターネットラジオの「第19回:嗚呼! 吐露される喫煙者の嘆き、叫び、苦しみ…」というテーマにあわせて書きました。配信も聞いてやってくださると幸甚。以上。


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