2018年初冬、長野へ行った話(3)
そばを食べたあとは、参道を上り、善光寺へお参りすることにした。参道は緩やかな坂になっていた。
参道には様々な店が並んでいたが、どこも閑散としていて唯一、人だかりが出来ていたのは、八幡屋磯五郎(やわたやいそごろう)という善光寺門前にある七味唐辛子の専門店だけだった。
店頭には八幡屋磯五郎のランドマークらしき七味唐辛子の罐を大きくした椅子が置かれており、観光客の大半はこの椅子に腰掛けて写真を撮っていた。こびとが写真を撮ってくれと言ったので、何枚か撮ってやった。適当にシャッターを切ったつもりだったが、案外巧(うま)い写真が撮れた。
店頭に置かれた椅子はすでに数か所に凹みがみられた。おそらく、観光客が座る際に意図せずして蹴りを入れた結果であろうが、椅子にはそれなりの耐久性と強度が求められるわけで、簡単に凹む素材をボディに使うのはいかがなものか、強度試験は行っているのだろうか、などと考えた。他で売っている缶スツールは、蹴りを入れてもそう簡単には凹まないし、一般的なオイル缶ベースのスツールの相場は5,000円前後だ。これで16,200円はちょっと高い。デザインは中々良いから、もう少し強度を上げて安くなれば買う気になるかもしれないな、と思った。
門前には様々な土産物屋が並んでいたが、どこも空いていたので、のんびりと歩くことができた。土日だとかなり混むそうだから、平日に観光できる自営業は大変よろしい。
善光寺は642年の創建以来、たびたび火事に遭っているそうで、現在の本堂は1707年(宝永4年)に再建されたらしい。1707年と言えば宝永大噴火があった年だ。本堂は国宝建造物では、東日本最大だそうだ。
善光寺と言えば、本堂床下にある全長45mのお戒壇めぐりが有名だ。券売機でお戒壇めぐりと善光寺史料館拝観が可能なチケットを2枚購入した。券売機の前にはびんずる尊者と呼ばれている仏像があり、自分の病んだ部分をなでると神通力で治してもらえるらしく、欲望に忠実な中高年者がペタペタと仏像を撫でまわしていた。仏像は度重なるペタペタ行為で出羽三山の即身仏のような風貌になっていた。
有料のためか、お戒壇めぐりをしている人はほとんどいなかった。戒壇の入り口には「携帯電話などでお戒壇内を照らすのはお止めください」と、朱色の筆で書かれた注意書きがあった。最近はマナーや節度が欠如したD〇Nが増えているから、戒壇内で騒いだり、ライトを照らして動画撮影する輩がいるのかもしれないな、と思った。
戒壇の入り口には、大学生の一人旅と思しき、中肉中背の若い男が立っていたが、どうやら入り口から垣間見える闇に恐れ戦(おのの)いている様子で、遠巻きに入口を眺めながら、誰か先に入らぬものかと待っている様子であった。仕方がないので、まずは私が率先して入ることにした。
10段ほどの狭い階段を下ると、入口から奥はまさに漆黒の闇だった。戒壇内に足を踏み入れた瞬間、忘れていたある古い記憶が、パッとフラッシュバックした。
もう20年ほど前の話だ。バイクの免許を取得して間もない頃、バイク乗りの仲間数人と、富士へツーリングに行った。我々は怖いもの見たさで富士の樹海を練り歩いたあと、いくつかの氷穴をめぐり、最後に某神社内にある古い洞穴内を探検してみよう、ということになった。某神社の場所は地図に記されていなかったが、何とか辿り着くことができた。この洞穴は、宝永大噴火よりも前の噴火による溶岩流で形成され、何故か、100km近く離れた江の島まで通じているという伝説がある。
この洞穴を含む神社は心霊スポットとしても有名で、鳥居をくぐると霊障で帰りに事故ると噂されていたから、みな鳥居をくぐらずに入った。奇妙なことに、洞穴内に入ろうとするや否や、不意に1匹の蜂が入口をふさぎ、これ以上は進むなという素振りを見せた。唯物主義者に近かった我々は少しひるんだが、ここはかつては富士信仰の修行場であったはずだから入っても問題なかろう、と楽観的に考え、洞穴内へ入ることにした(現在、洞穴内への入場は許可制になっている)。
洞穴内はひんやりと涼しく、ほぼ真っ暗で、かがまなければ入れないほど天井が低かった。ぬかるんだ足元に注意しながら進むと、誰かが灯した小さな蝋燭が幽かに狭い範囲を照らしており、奥に小さな石仏が安置されているのが見えた。
石仏に向かって合掌したあと、すぐに神社を出ることにしたが、帰り際に何気なく鳥居を見上げると、鳥居に掛けられていた注連縄(しめなわ)が真ん中から真っ二つにちぎれていることに気が付いた。これは不味い場所に来てしまったかな、とみな顔を見合わせ、足早にその場を離れることにした。本当はこの神社の近くにある、私の好きな女優が経営するお洒落なカフェに行く予定だったが、何だかんだで行く気が失せてしまった。
何の明かりも灯さず戒壇内を歩くという行為は、現代人が忘れていた原始的な恐怖感を呼び覚ますようで、積極的に入りたいと思う人はあまりいないかもしれない。しかし、一方で、未知の世界に対する好奇心も湧き上がってくるわけで、とりあえず、入ってみることにした。
右側壁面にある手すりを右手でたどり、御本尊の真下にある「鍵」に触れることができれば、功徳が得られるとか、死んだあと極楽浄土に行けるなどと言われているらしい。
戒壇内を数メートル歩くと、入口から差し込んでいた明かりが完全に途絶え、眼が全く役に立たない状態になった。当然ながら、眼は光があってこそ機能するから、真っ暗闇では眼を開いていようが閉じていようが同じであることに、今更ながら気が付いた。
戒壇内は暗いだけでなく、無音でもあったから、方向感覚が完全に無くなってしまうようで、このまま進んだら異次元に飛んでしまうのではなかろうか、という妙な不安が込み上げてきた。
手すりを頼りにしばし歩くと、通路が右に曲がっているのがわかった。しかし暗すぎて、どのくらいの距離を歩いたかが判然とせず、その先のルートもわからなかったので、ここは小さな広場になっていて、ここからUターンして入口まで戻るのであろうな、と頭の中で空間を描き、適当に判断した。前後には誰の気配も感じられなかったから、とりあえず、再び来た道を戻ることにした。
しばらく歩くと、正面から誰かが近づいて来るのがわかった。きっと遅れて入ってきたこびとだろうと思い、その体を軽く叩いて、「先に出とくよ」と言った。すると、少し離れた場所から、こびとの「わかった」と言う声が聞こえたが、同時にすぐそばで「ヒッ!」と驚くような声が聞こえた。
遅いなぁと思いながら入口を覗き込んで待っていると、こびとが何事もなかったかのように、お堂の奥からピコピコとこちらへ向かって歩いてきた。目の前にある入り口から出てくると思い込んでいた人が、予想外にも別の場所から出てきたもんだから、心臓が飛び出しそうになったが、驚いた素振りを見せたらこびとに馬鹿にされると思い、平静を装うことにした。
どうやら本当の出口は本堂の奥にあるらしかった。本来、戒壇内はUターンせず、そのまま道なりに進まねばならなかったらしい。ちなみに、私が戒壇内で触れた人はこびとではなく、我々の後から入ってきた大学生らしかった。きっと彼は何も見えぬ暗闇で、逆走禁止の戒壇内を逆走する人に不意に体を触られて、さぞや驚いたに違いない、ちょっと可哀そうなことをしたな、と思った。
その大学生はこびとが出てきたあと数分遅れでやっと出口から顔を出したが、予想外の恐怖体験にかなり憔悴(しょうすい)しているように見えた。自分がある意味DQ〇を馬鹿にできない行為をしてしまったことに、少し後悔した。
こびとが、「途中でUターンするのは縁起が良くない」と言ったので、もう一度最初から、お戒壇めぐりをすることになった。ハッキリ言って戒壇内は心地の良いものではなく、何も見えない状態でルートもわからぬまま45m歩くことは、それなりの精神力を要することがわかった。
真っ暗な戒壇内では、常軌を逸し、発狂したり、錯乱してしまう人が少なからずいるのではなかろうか。私が戒壇内にいた時は前後に誰も歩いている人がおらず、少しばかり強烈な体験になったけれど、何故だかもう1度めぐってみたい気もした。