東京に憧れて上京した女性の末路
始まりは、憧れから。
小さい頃から、テレビ画面の奥に映る東京はおしゃれで華やかで、キラキラに満ち足りた生活があると信じて疑わなかった。
憧れは日に日に増すばかり。
落ち着いて暮らせる緑豊かな地元ではなく、毎日パーティーや出会いがあり、刺激的なキラキラした生活を夢見ていた。(当時、彼氏がすごく欲しかったことも後押しに)
同じことをただ繰り返すマンネリな日常を変えたい!と、考えた末にたどり着いたのは、東京に行けば何もかもが叶えられるという期待と、彼氏をGETする大きな意気込みだった。
ギャップ
そこから東京の会社に就職し、夢の東京への切符を手にすることに。
初めて上陸したときの気持ちを一言で表すとしたら、「全てが輝いてる!」だったと思う。
電車に揺られ窓に映る自分を見ながら、何もかもを手に入れ満たされた毎日が待っているのだと、頭の中はお花畑状態。
地に足がつかず、薔薇色の毎日早く来い!と待っていたのが懐かしく、早々に現実を突きつけられる。
社会人とは
東京に来たのは「就職」のため。
一時期、ハマっていたお菓子作りを機にパティシエになりたい!という想いを親にぶつけたこともあったが、お金がない。といった理由で、進学の夢は打ち砕かれ、就職の道を進むことに。
初めの1ヶ月は順調だった。
それが、2ヶ月目以降は「社員としても意識が足りない」と各所各人からお叱りを受ける毎日。
社員としての意識とは?何を満たしていれば合格なのか?考えても答えが見つからない。
同じことで叱責されるたびに、思い描いていたキラキラ薔薇色の毎日とは程遠く「こんなはずじゃなかった。」という思いがジワジワと込み上げてきていた。
夢にまで描いていた東京ライフと、あまりにもギャップがありすぎる現実を受け入れられず、悶々とした日々を過ごすこと数ヶ月。
ようやく理解する。
憧れの場所も「ただの日常」の繰り返しなのだと。
日常
「隣の芝生は青く見える」
この言葉は、憧れという言葉の核心を突いている。
東京に憧れていた頃はテレビの奥に映る華やかな場所・人がすべてだと思い込んでいた。
でもそれは、東京の1/10,000以下の情報にしかすぎないということを思い知る。(実際パーティーや合コンもなかった)
テレビの微かな情報だけで東京のすべてを知った気になり、ここに来ればキラキラした毎日があると夢を抱いていた。
でもいざ暮らしてみるとキラキラした日常はどこにもなく、地元の時と変わらない繰り返される毎日がそこにあるだけだった。
written by みんちゃん