うむ。リゾーム、複数性多様性、ドゥルーズアンドガタリ。千葉雅也さんはエメラルド色に執着があるそう。こういう執着(享楽)が、無数に伸びた関心を中断させる武器になるとのこと。執着が関心を中断させるのって、快楽と抑圧の関係が反転してる感じ面白い。肌感覚でわかるこの感じ。なにこれこの感じ、はポケモンのロケット団ですね。 自分の過去の享楽を羅列してみる。小学校高学年くらいから中学1.2年生くらいのやつ。 ・言葉遊び 大喜利のようなものですね。ごっつええ感じがブームでとにかく笑い
無限に広がった比較検討の中断は本当に難しい。広がった検討の世界は、広がる過程においてある種の根拠を包摂してしまっている。根拠を包摂した検討事項は、それ相応に自分の中に強度と安心があり、それを中断するのは難しい。なのでどんな理由であれ決断しろ、理由は問わないと励まされた方が安心する。そのような推奨の仕方をしている書物も多い。が、勉強の哲学ではそれにアンチの立場だ。 比較しているものを留保しつつ中断する構え。私は韓国籍のいわゆる在日韓国人だ。日本、韓国に文字通り引き裂かれ、
読み進めている。第二章までざっと読んだ。芸人の空間についてほんの少しだけ考える。彼らのコードは、場のコードをアイロニーとユーモアで書き変えるというコード。だから書き変えない(滑り芸)が逆に有効になる。権力者のグリップはコードの変容の程度をどこまでに設定するか。芸人の空間は常が変容なので、自己批判にさらされにくい。芸人の芸はいつまでも面白いが、いつまでも変わらないなあと思っている。20年前と今とで変わらない。変わらず面白い。根本的に批判に未だ晒されていないと感じている。 本か
千葉雅也先生の本を読んでいる。言語によってしか人は思考できない。テンプレ化がすすんだおっさんになればなるほど、自己変容をしていくには言語化するしかない。と同時に、現在の言語化パラダイスの状況にうんざりもしている。この相反する気持ちにダブルスタンダードで、付き合うしかない。とにかく他者(言語)を自分の中に招きいれる。おこしやす他者(言語)。しかしあんまり土足で入ってくんなよ、しばきまわすぞ。という気分。 イラストは娘作。着せ替えアプリ的なもので作成。小一にしてはませている。
一人の時間について 久々に一人の時間を過ごしている。家族の時間を基本過ごしているので、一人の時間はとても少ない。家族の時間が嫌な時間かというと別にそうでもない。ただ一人の時間と家族の時間は違う時間という実感はある。そりゃそうだ。やれることも、そのやれることから受けるフィードバックも違う。 どっちも大切ということでいいんだけど、それならどうしても一人の時間が少なくなる子育て世代は一人の時間をちゃんととろうみたいな結論になる。それだと構図的に一人の時間VS家族の時間なり、
ある男 監督 石川慶 感想。内容に触れてます。原作は未読で、ネトフリでの鑑賞。 「先生は在日っぽくない在日ですね、それはつまり在日っぽいてことなんです」というセリフがいい。私は在日韓国人3世なのでとてもよくわかる。 こういうサスペンスの引き立て役くらいライトに「在日」が使われるのは個人的に大歓迎、というか日本映画の武器として大いに使えばいいと思っている。因みにライトにというのは歴史観や思想をわざわざ提示しなくても別にい良いという意味。 個人的な「在日」表現についての感
連作のEPが好きすぎて、どうしても書きたくなった。 例えば歌詞と構成、例えばsweet.ep 『書きたい』 このシンプルかつ美しいステイトメントにまずやられる。シンプルが故に詩になりづらいような気もするが、「書きたい」でサビに行くことで非日常感が急に増す。とんでもない書きたさが伝わる。シンプルだけど構成の魔法、楽しいアイデアだなと思う。 『春はバス』 春はあけぼのでしょとまず言いたくなるけど、春はバス。 調べはあなたの言葉のこと。調べをなぞるとはつまり、かつてあなた
リコリス・ピザ ポールトーマスアンダーソン監督 2021年 登場人物たちがアホである。それは正義の名のもと選挙戦を戦う市長候補においても同様。脆さを抱えている。そのアホさは時代と並走していて、70年代の街の雰囲気とよく合っていた。フィルム然としたルックも、ファッションも、音楽も、まんま経験したことのない70年代のLAの風景。そうであるが故に最初とっつきづらく、映画世界に没頭できなかった。ただ主人公2人がLAの街の中で躍動し、時間が経過するたびに、見たことない70年代のL
コーダ あいのうた シアンへダー監督 2021年 音楽室でのシーン、歌をうたっている時の気持ちを問われ、うまく言葉が出てこないルビーは思わず手話を使って表現してしまう。その手話を見て先生は手話を言語として理解できないはずなのに感じ取って、音楽大学への進学へ最大限尽力しようと決意する。もう少し言葉を尽くすと、先生は手話をしたことへのアプローチに感動したのではなく、手話の内容そのものをその仕草から確かに受け取ったように見えた。 歌のオーディションのシーン。家族がバルコニー
C'mon C'mon マイクミルズ監督 2022年 微笑みにわかった顔しないでさ、いつだって気持ち素直に伝えよう。正直にとにかく何でも隠さずに話をしようよ - SMAP しようよ これがいかに難しく冒険的な行為か。世界も自分も何もかもが複雑で、難しい、わからない。であるなら話するしかないよね、僕たちは。わからない自分をそのまま話す、嘘つくこともあるかも。でも言ってみる、ばれて恥をかく、怒られる、呆れる、全部やる。子供と大人、どちらにとっても有利不利があり、どちらに
幸せに本気出して考えて見たら、いつでも同じところに行きつくのさ的な歌詞がある。ポルノグラフティーの曲ですね。私は割と同じところに行き着かないので困ったなと思うことが多い。ここで問題なのは2つあって、1つは行き着かない原因が、自分の感受性がこの歌詞の感受性とはまるで違って、しょうがないというパターン。2つ目は本気出し的考えていないパターン。このどっちなのだろうかと思う。 ロシアによるウクライナ侵攻で、ウクライナがロシアの侵攻を耐えている。結果ウクライナ含め連帯する西側諸国
ショーン・ベイカー監督は心に羽が生えている。 自由なカメラワーク。動いたり、固定したり、引いたり、寄ったり。自由な編集。ムーニーの主観での食べるシーン、フロリダの風景のカットの連なり、夕刻の人物のシルエット。映像主義的な場面もあれば、丁寧な状況描写を重ねるカットもある。カメラも35mmフィルムから、iphoneまで駆使しているそうだ。iphoneのカットはラストシーンだろう。 主人公たちの躍動感ある演技は見ていて心踊る。ムーニー目線のカメラワークが子供の心に同調させ、ワ
ヤクザ。暴力団。反社会勢力。私も社会人のはしくれとして、様々なところで、社会にとって、会社にとって、それらを排除することがいかに重要なことなのかを学んできた。概ねその通りだと感じ、これからもそれを遵守することに変わりはない。一方で、映画や文学が好きな市民としては、反社会勢力に所属する人たちの人権や、境遇に思いを馳せてしまうこともないわけではないし、そういう作品を見るたびに考えさせられる。この2つの間を埋めるような作品というのは意味がある。 ただ、このすばらしき世界はその地
先日後輩がオーナーをしているCapillaryというほとんど誰も知られていない音楽レーベルから出たFAT NIGTHの新譜。ストリーミング配信は随分前にされていていてずっと愛聴していた。レーベルオーナーからの説明は以下の通り。 Dan Hanson(Gt/Vo)、Gabe Gundacker(Key/Vo)、Ted Issen(Ba)、Nik Ritchie(Dr)の四人で結成されたシカゴ出身のインディー・ソウルバンドFat Night( @fatnightmusic )遂