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フロリダ・プロジェクト

ショーン・ベイカー監督は心に羽が生えている。

自由なカメラワーク。動いたり、固定したり、引いたり、寄ったり。自由な編集。ムーニーの主観での食べるシーン、フロリダの風景のカットの連なり、夕刻の人物のシルエット。映像主義的な場面もあれば、丁寧な状況描写を重ねるカットもある。カメラも35mmフィルムから、iphoneまで駆使しているそうだ。iphoneのカットはラストシーンだろう。

 主人公たちの躍動感ある演技は見ていて心踊る。ムーニー目線のカメラワークが子供の心に同調させ、ワクワクがとまらない。悲しい出来事は基本的にサラッと描く、たくましいムーニーは悲しいできこごとにいちいちとらわれずに、フロリダの陽光と景色の中でたくましく自分の生活を謳歌する。そのムーニーに寄り添うカメラがあるから、観客である私たちは悲しみではなく、ワクワクに、フロリダの陽光に、それがもたらす景色の鮮やかさに目を奪われる。しかしながら自体は深刻度を増す。楽しむ天才である子供たちに悲しい現実が襲いかかる。フロリダにもスコールが降り注ぎ、景色も彩度を奪われる。このあたりの演出も見事だと感じる。BGMも一切なく情緒的に寄り添わず、かといってリアリティにも寄り添いすぎず、自由な画面が続く。

さてヘイリーの生活がままならなくなり始めてから、ラストにむけて悲劇的なムードが増していく。バッドエンドフラグが立ち始め、どうなるんやろうかとそわそわして後半シーンをみていた。そしてラスト。このラストは私の想像をはるかにこえ、「そらそうしたいけど、無茶やん!大人のやることちゃうやん、変やん!なにより稚拙やん!!」ていう感想をもった。ただ同時に自由やな!最高!芸術ってこうでないと!と思った。

リアリティにも情緒にも寄り添わず、ひたすらムーニーに寄り添った、フロリダに寄り添ったラストだった。なにがリアリティだと思う。映画の、芸術のもっとも大切な部分、正しさとか言い悪いとかの判断ではなく、自分の信じているものを力強く描写するという、真っ当な作家の志を思う存分見せつけられ、胸打たれた。ムーニーと同じ年齢の娘がいるから余計にかも。

最高でした。心から感動した。

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