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愛情の在り方と感情の分化 ―家族を愛せないひとのインタビューを視て―

こんにちは、心太です。

家族を愛せない、我が子なのに可愛くない、ひとを好きになるって感覚が分からない
ひとに特別な好意を持つこと、便宜上“愛”と呼ばれるもの、に関する悩みを持つ方は、けっこうたくさんいらっしゃいます。

昔だったら、そのような感覚は“冷血”、“異常”と切り捨てられていたかもしれません。
多様性を認めよう、という世界的な価値基準が叫ばれて久しい昨今、こういった意見や感覚を公表する方、それをもとに議論する方が増えているのはとても良いことだと思います

今回ご紹介したいのは、Youtubeで公開されているAbemaPrimeの動画で、“家族を愛せない”という事象について、当事者へのインタビューを主とした内容のものです。
20分ぐらいの動画なのですが、テンポが良く非常に興味深い内容なので、ペロッと見れてしまうかと思います!

是非、お時間があれば一度ご覧になって、記事を読んでいただければと思います。
体験を共有したい!動画に飛んでも戻ってきてね!(笑)
もちろん、私の記事を読んでから、どれどれ?と動画に飛んでいただいてもいいかと思います。

では、行ってみましょう!

心太が気になったポイント:感謝≠愛情

先にご紹介した動画内の、あるやり取りで私は強い衝撃を受けました。
あとで視ることに決めた方に簡単に説明をします。

自分の両親や兄弟に“愛情”を感じられない、とブログに挙げ話題になった方(“あたそ”さん)が、出演しています。
スタジオのコメンテーターの方々の質問を受けつつ、その心情について語る、という内容です。
どうやら、会社員をしながら、本も出版されていますね。
行動力えげつない羨ましい。

さて、以下に動画内のやり取りを引用します(動画時間16:40~17:30)
自分が、家族に愛情を感じられていないことで、周囲とのギャップで感じる苦痛や、周囲からのプレッシャーについて話していたときのことです。

乙武さん
「例えば小学校のときとか、なんか母の日とか父の日とかに向けて、なんか手紙書かされたりとか、まあ道徳の時間に親に感謝しましょうみたいな授業があったり、ああいうときってどんな気持ちでお過ごしになっていたんですか?」

あたそさん
『あーでもその感謝と愛情って私はまた別だと思っていて、なんだろうな、その、育ててくれてありがとうとか、いつもご飯を作ってくれてありがとう、あのときはありがとうみたいな気持ちと愛情って、またなんか違うような私は気がしていて。自分の中で、育ててくれた恩とかは、もちろんあるんですけど、それと、愛情?愛情とかはまた違うかなと思うので、母の日とかは、普通に、ありがとうと言って、手紙を渡したりしていました。』

かなりリアルに、グーっと胸にくるものがあった。
そうか、この人たちは欠けている、欠如しているんじゃない
もっと細やかに、繊細に感情を分けている人達なんだ。
だから、家族映画を観て泣くし、自分が将来家族を持つことを、怖さを持ちながら想像することができるんだ。
きっと映画や想像の中では、自分でも言葉にできていないその人の“愛情”が存在していて、それに反応して泣いたり、怖くなったりしているんだ。

これは個人的に大きな衝撃だった。
「育ててくれてありがとう」という気持ちを持ったり、ぼんやりと「居てくれて良かったなあ」と感じることであったりを、“愛情”の表れの一つだと捉えていたんだなあ、と気付いた。
言うなれば、愛と感謝の関係は下の図の状態(左側)だと無意識に定義していたんだと思う。
でも、あたそさんの言葉を反映すると右側のような図になり、必ずしもこの二つは一緒ではないことが、ストンと腑に落ちた。

愛≠感謝

ダメだあ(笑)
言葉にしたり、図にしたりすると至極当然に思えてしまう自分がいますが、最初に持った感覚を信じましょう!
確かに今日、人間の感情についての知見が深まったような気がした、それで良いってことにします。

感情の分化と、精神的な成熟

人間の感情は細かく区別できていればできているほど、精神的な成熟度が高いとも言えます。
最も未分化で、未熟な状態の精神では、感情はたったの二つしかありません。
“快”“不快”です。
気持ちが良いか、気持ちが悪いかと言い換えてもいいです。

かつては、赤ん坊や動物がこの快or不快の状態にあり、赤ん坊は言葉の獲得と共に、感情をどんどん分化させていくと考えられていました。
現在では、赤ん坊や動物であっても、いくつかの感情を区別して知覚しているという説があります

動物の感情に関しては、最近興味深い書籍を読みましたので、リンクを貼っておきますね。
見開き1ページか2ページで一つのトピックを扱っていて、毎日寝る前に1トピック読んでみる(5分くらい)のもいいかもしれません。

最近は様々な価値観や人生観、人間観が語られるようになり、「昔にはなかった感覚を現代人は感じるようになっている」と表現されることもあります。
先に書いた、“感情の分化”の文脈で考えれば、価値観や人間観の分化もより人類が成熟してきている証拠、と見ることもできるかもしれませんね。

少し大げさな言い方になるけど、これこそが知能と精神性に特化してきた人間の次の進化なのかもしれないなあ、と感じました。
そう考えると、“家族を愛せない”という人たちは、欠けているのではなく最も感情が分化し、進化している人達なのかもしれない、そんな風に空想しました。

以上、動画を見て衝撃を受けた心太からお送りしました。
じゃあ愛ってなんだ?とも思いますよね。


では、また。


心太


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