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アメリカ留学時代を写真付きで振り返ってみた

前回の続きとして自己紹介兼アメリカ留学での振り返りをしたいと思います。
誰にも求められておりませんが懲りずにインタビュー形式にしました(笑)
そして写真付きで振り返ろうと思ってましたが、手元に写真がなかったので、
しょーもない写真を載せておきます。

アメリカに行ってまず何をしてましたか?
高校の時から英語も勉強も好きではなく、英語の成績もよくなかったので、最初の約1年くらいは大学付属の英語学校(ESL)で勉強しながら、ちょくちょく大学のクラスをとってました。
周りはラテン系の生徒も多くて、あいつらローマ字使ってるし似てる単語もあるから英語が伸びるスピードも早くてずるいなって思いながら勉強してました(笑)

アメリカの大学生活はどうでしたか?
都会の規模が大きい大学とかだったらまた違ったんでしょうけど、
田舎だった上に車もなくて。スーパーに買い物行くのに、友達とヒッチハイクして、これドナドナっぽくないとか言いながら、荷台に乗っけてもらって目的地まで連れてってもらったり。日本では違法だと思うので出来ないと思いますけど。

とにかく勉強以外はすごい暇だったんで色んな遊びを考えてましたね。

他にはモデルごっこと称して、「フェアリー」「モード」「マニッシュ」とか、
それぞれテーマを決めてクリエイティブなメイクして、写真撮影してみたりしてました。ちなみに私は「ユニバース」というよくわからないテーマになって、
ゆってぃみたいなキラキラしたハチマキヒョウ柄スキニーの組み合わせで写真を撮りました。

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これがその時の写真です。目が逝っちゃってたんで、隠しました。
そして本当に何がユニバースなんだという。相当暇だったんでしょうね(笑)

あとは夜の校舎に忍びこんで鬼ごっこしたり、きっと逃走中の先駆けを私たちはやっていたはずです(笑)

真冬の氷点下の中水風船を投げ合うっていうのもそういえば!
今考えてほんとしょーもない遊びをしてましたね。

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でもこれで学んだことは、何もないところで過ごすと、自ら遊びを考えるのでクリエイティビティが上がるということです!現に今はnoteを始めましたし!

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こちらの写真はいかに綺麗な姿でパックをできるか挑戦した時の写真です(笑)

アメリカでの印象的な出来事はなんですか?
街自体にお酒を売ってるところがないくらい宗教が厳しかったんですけど、
留学生は隣の街からお酒を買ってきてホームパーティをよくしてて。
それを罰金徴収の目的で警察がマークしてるんですよね。そして警察と追いかけっこが始まって友達が次々と捕まっていきました。次の日カフェテリアに行くと、罰金を払うためにみんなカフェテリアで働き始めてたのは面白かったですね(笑)

他は女性関係のもつれでラテン系 VS Blackの抗争的なのがあって、遠目であの緊張感を野次馬的に見れたのも面白かったです。女性関係のもつれも世界共通!

あとはそうですねー。歩きながらめっちゃラップしてる人がいたりとか(笑)

そういえばちょうどオバマ大統領が誕生した時にアメリカにいて、
"Black"の方々が歓喜する姿をその場で感じとれたことは貴重な経験だったなと今になって思います。※黒人の方の呼び方については、どう表記するか論争されているみたいなので、今回はこの表記にしました。間違ってたらすみません。

今でも覚えていることは?
ESLの授業の時に健康に関するディスカッション授業があって、
当時の私の英語はつなく、単語も全然知らなくて。
今思えば本当に失礼だったんですけど、
アメリカサイズの先生を前にして"fat people"と言ってしまい、
その先生が「”fat people”じゃない。”over size”と言います」と。
もう一生 "over size"という単語は忘れません(笑)

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この写真はその時の先生です。この先一生忘れることはありません(笑)

アメリカのイメージと違ったことはなんですか?
宗教色が強い大学にあるあるのボランティアとか行くんですけど、
読み書きができない子ども達が意外と多いことには驚きましたね。
ホームスクールという形で学習をしていたのかもしれないですけど、
アジア系の人たちを見て、イエローと言っていたのは印象に残っていて。
言ってはいけないことを教えてもらえてないってことだと思うんですけど、
学習の差は実際に顕著にあるなと思ったことです。これはアメリカに限らず日本にも言えることかもしれません。

ちなみにこの写真はいらなくなったものを持ち合って売るっていうヤードセールの
ボランティアに行ったときに売られてたトイレです。今考えても謎です。

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アメリカで悔しかったなと思ったことはなんですか?
確か歴史の授業だと思うんですけど、パールハーバーについて聞かれて、うまく答えられなかったことですね。こう答えたらアメリカ人の生徒と先生含めてこう思われるんじゃないかとか色々考えてしまって。挙句、結局先生にうまく丸め込まれてしまうことに。今となって悔しい思い出です。留学に行かれる方は世界の歴史を学んでディベートしてください!

ただその代わりと言ってはあれですけど、環境問題についてエッセイを書くっていう授業で、普天間基地建設に伴って貴重なジュゴンが死ぬって書いて提出しました。私はそういうところはひねくれております。
※これについて不快に思われた方すみません。許してください。

これ授業で気をつけた方がいいよっていうポイントとかはありますか?
大きな声を出すように心がけることでしょうか。
日本人と他の国の人って声の出し方が違うのかもしれませんが、
私もプレゼンテーションとかの時によく声が小さいと言われてました。
いや、逆にあなた達の声が大きすぎるんだよって思ってましたけど(笑)
正直大したことを言ってなくても、声が大きいだけで自信があるように嘘でも見えたりするので大事かなって思いました。

あとはなんでもいいから自分の意見を発言するとかですかね。定番のやつです。
たいして英語が上手いとか下手とか周りは自分が思っている以上に興味ないでしょうし。

英語力より重要なことって何かあると思いますか?
これしかありません。ずばりユーモアです!
英語がうまく話せなくても、難しいディベートができなくても、世界共通で面白いやつが結局可愛がられるし、好かれると思います。絶対周りの人に愛されます。

アメリカの大学を中退した理由はなんですか?
もともと映像を学びたくて留学決めたんですけど、アメリカの田舎にある総合大学にいたので、学んでる場所が違うなって。あとは自然のサファリパークって感じで何もなかったことと、宗教が厳しかったことが理由です。クリスチャンじゃないと天国いけないって言われましたね。まあそんな人たちと死んでまで一緒の世界にいたくないなって思いましたけど(笑)

アメリカ時代の自分にアドバイスするとしたらどう言いますか?
やっぱり世界共通で学歴がモノをいうっていうのは変わらないと思うので、
名のある大学を選んだ方が有利なんじゃないかというのが一つ。
もう一つは個人的に、ビジネスとかマネージメントとかマーケティングとかある程度応用がきくような学部を選んだ方が将来の幅が広がるという意味では検討してみてもいいのかなとも思いました。

2つ目の理由についてはどうしてそう思ったのでしょうか?
アメリカの大学を中退した後の話になってしまいますが、当時私は映像を作ってみたくて、他大学では映像製作を専攻にしてました。大学を卒業して東京の制作会社に入って、名のある監督さんとかと関わらせていただくうちに、
私はこの人たちにはなれない。この人たちのような情熱が湧かない。
映像制作向いてないっていうことを痛感したので。

なぜ私には映像制作が向いてないと思ったのでしょうか?
ある日仕事終わりに会社の方々とご飯を食べてる時にある監督さんが、
「アフター5で習い事とかしている人たちの感覚が僕にはわからない。
だって仕事が趣味だし、それ以外に使う時間なんてないじゃん」と言っていて。
※個人個人意見が違うと思いますので、大目にみていただけますと幸いです。

別の若手の監督さんも、自費でショートフィルム撮って海外のコンペとかに応募してたりとかしてて。

そういう情熱を持った方々のそばで働いていたら、
映画「桐島、部活辞めるってよ」みたいな、何も情熱を傾けるものが自分には何もなかったと気がついた時のような敗北感みたいなものを感じました。
私にはそこまでの情熱がない。私は映像制作には向いてないなとその時にわかりました。なので、制作以外にも映像関係に携われることって他にもあるとは考えると、他の学部を選んでたら選択肢も増えたかなって個人的には思ってます。
あくまで個人的な視点です。

シンガポール留学についても一気に書きたかったのですが、またまた長くなってしまったので、またの機会に。

長々とお付き合いをいただきありがとうございました!

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