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#280 裁きの手を緩めません!

今日も坪内逍遥の『当世書生気質』を読んでいきたいと思います。

お常さんの家で繰り広げられている親子の再会騒動と、同日同時刻、田の次が住んでいる家に小年姐さんが新聞を持ってやってくるところから、第十八回の下は始まります。そこに突然やってきたのは、田の次を育ててくれた老婆の弟・源作さんです。源作さん、田の次に伝えたいことが会ってやって来たようです。どうやら、源作さん、現在は、顔鳥がいる角海老で働いているようで、お秀さんと三人で、顔鳥の身の上に関することで、お常さんの家に向かう途中、昼食のために鳥八十に行くと、隣室の二人連れの客が田の次に関することを話していたようで、そのことを一刻も早く知らせようと、二人と別れて、こちらにやって来たと言うのです。その内容を言う前に、念を押すかのように、源作さんは言います。「よく気を静めてお聴きなさい。ビックリしちゃあいけねえぜ!」。と、ここで再び、場面はお常さんの家に変わります!第十八回は、まるで、あざなえる縄をほどくように、二重らせんのDNAのハシゴを登るかのように進んでいきます。さて、お常さんの家では、三芳庄右衛門がお秀さんを裁いている最中でして、どうやら、三芳さんの話によると、かつて、お常さんの兄・全次郎が、下谷の豪商の妾と言い交わして、女の子を産み、上野戦争のどさくさの際、お常さんをほったらかして、豪商の妾と逃げたことについて裁いているようで、その妾がお秀さんで、豪商とは三芳さんのことのようでして…

顔鳥もまた先刻より、お秀の背後[ウシロ]にひきさがりて、三芳の言葉を聞[キキ]ゐたりしが、次第に面色土の如く、さしうつむきつつ言葉はなく、ただ時々にお秀の面を、盗むが如くながむるのみ。一室俄[ニワカ]に蕭然[ヒッソリ]として、かなたにかけたる柱時計の、音のみ高く聞えける。
お秀は重さうなる頭[カシラ]を擡[モタ]げて、やうやうにいひけるやう
秀「思ひがけなき旦那さまに思はぬ所でお目にかかり、何とお詫[ワビ]をしてよろしいやら、まことにお面目もございません。今更どのやうにお詫をしたとて、六日のあやめ、十日の菊、なまなかくだくだしう申しましては、結句申訳のやうにも聞えて、かへつて失礼でもございませうから、旦那さまのお慈悲にあまえて、くだくだしうは申しません。

「六日のあやめ、十日の菊」とは、あやめは五月五日の端午の節句、菊は九月九日の重陽の節句に用いることから、「時機を逃して役に立たないこと」を意味します。

またお常さまとやらにも、……まことに申訳もございませんが」トいひかけるを三芳は打消し、
三「そんなくだらもない事をいつても、今更取返しのなるものではない。此方[コッチ]の聞たいのは女の身の上。また二つには手前の来歴。どうして貸座敷へ奉公したか、逐一[チクイチ]かいつまんで話すがいい。」
秀「それをお話し申しますれば随分長々しい事ですが」トいはんとしたるその折しも、間[アワイ]の襖を押開きて、ツト立出[タチイズ]る守山友芳。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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