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#306 『小説神髄』から『小説総論』へ

この一年間、仕事の合間や寝る前など、時間を見つけては、坪内逍遥の『小説神髄』と『当世書生気質』を読んできました。『当世書生気質』に関しては、一言一句漏らすことなく打ち込み、気になった語句や歴史的背景があったら、その都度調べるという作業をしてきました。

135年前の作品を楽しみ、その作家の息遣いを感じ取りたい…

悩んだ結果、文章のすべてを漏らすことなく打ち込むことにしました…

坪内逍遥になりきって…

活版印刷の組版を組み立てる職人のように…

ぼくの中のホワイトカラーとブルーカラーの両方を働かせました…


まるで、写経をするかのように…

「あれ何?これ何?」となんでも質問する4歳の子供のように…

ぼくの中の無心と欲望の両方を働かせました…


この作業によって、すべてがわかったとは思っていません。しかし、とにかく一年間、『小説神髄』と『当世書生気質』に付き合った。このことだけは、紛れもない事実です…


そして、考えた結果、『当世書生気質』に関する読書感想は、次の作品を読んでからにしようと思いました。


なぜなら、現時点では、「はじめての作品を読んだ」ことの感動を書くことはできても、「あれがはじめてだったんだ」という感動を書くことができないからです。

なにか比較するもの、そして、熟成させる時間が必要だと思いました。

そこで、早速ではありますが、次の作品を読み始めることにしました。


1883(明治16)年2月から1885(明治18)年12月にかけて専修学校(現・専修大学)に通っていた22歳の青年が、翌1886(明治19)年1月24日、坪内逍遙宅を訪問します。その青年の名は、長谷川辰之助(1864-1909)、のちの二葉亭四迷です。それから毎週のように通い始めた四迷は、その内容をもとに、1886(明治19)年、『小説神髄』の欠点を補う評論『小説総論』を中央学術雑誌に発表します。

出だしは、こんなふうに始まります。

人物の善悪を定めんには我に極美[アイデアル]なかるべからず。小説の是非を評せんには我に定義なかる可らず。されば今書生気質の批評をせんにも予め主人の小説本義を御風聴して置かねばならず。本義などという者は到底面白きものならねば読むお方にも退屈なれば書く主人にも迷惑千万、結句ない方がましかも知らねど、是も事の順序なれば全く省く訳にもゆかず。因て成るべく端折って記せば暫時の御辛抱を願うになん。

どうやら『当世書生気質』を批評するためには、逍遥の小説本義を聞いておかなければならないと思い、逍遥のもとへ通い始めたようですね。タイトルは『小説神髄』を下敷きにしているのでしょう。

ということで、このつづきは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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