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#260 守山くんのお父さんを待たないの?

今日も坪内逍遥の『当世書生気質』を読んでいきたいと思います。

第十七回は、第十六回の続きから始まります。倉瀬くんは、顔鳥から託された手紙を守山くんに渡します。妓楼で出会った顔鳥が自分の妹の可能性が出てきてビックリの守山くん。そして、先日、母と妹の人探しの広告を再び出すに至った経緯を、倉瀬くんに説明します。その内容を聞いて、いよいよ確信が強まったとみえて、倉瀬くんは、ひとっ走り行って様子を知らせて来ようかと守山くんに問いますが、短刀だけでは証拠が足りないと答えます。その後、守山くんとお常さんと園田さんと小町田くんの関係を倉瀬くんに説明すると、どうやら倉瀬くんはお常さんに会ったことがあるようで、その時、お常さんは、小町田くんと内々で話したそうにしていたというのです。それを聞いて守山くん、ハハアと思い当たるところがあったようで、第十三回で展開された、小町田くんと田の次が密会した場面の舞台裏を語ります。それによると、田の次を不憫がったお常さんが、自分が住んでいる園田さんの別宅に小町田くんを招いて、出し抜けに田の次に逢わせるセッティングをしたというのです。それを聞いて倉瀬くんは「お常さんは悪気でしたわけじゃないだろう」と言いますが、それに対して守山くんは「勿論そうだが小町田くんのためにならない」と答えます。その後、丁々発止のやりとりをしていると、守山くんのお父さんが事務所を訪れます。どうやら、守山くんのお父さんは、東京に引っ越すために上京したようで、邪魔になってはいけないと倉瀬くんは帰ろうとしますが、妹の件で父と会ってくれたまえと言って守山くんは帰してくれません。ひとりになって待たされて、議論で酔いが醒めた倉瀬くんは、ふと部屋の小窓を開けて外を見ると、なんと偶然宮賀兄弟が通りかかります。彼らによると、どうやら継原くんがコレラ病に罹ったというのです。しかし、倉瀬くんの名推理によって、ただ金がなくなって無心しているだけということがわかります。そこに都合よく、継原くんが登場します。どうやら、継原くんは、百科事典の翻訳料を山村くんと一緒に妓楼へ登って使ってしまったようで、借金取りへの返済のために東奔西走したようで、それを聞いて倉瀬くん…

倉「そりゃア定めし弱るだらうネエ。僕も御同様の窮の字だが、待[マチ]たまへ。僕に少しばかり目途[メアテ]があるから、少々其辺[ソコイラ]で待[マツ]てゐたまへ。今守山に会釈[アイサツ]して、僕も戸外[ソト]へ出て。」トはなしのうちに宮賀兄弟、
匡「僕ア外[ホカ]へ廻りたいから、両君ここで失敬するヨ。」
継「それぢゃア失敬。」
透と匡「失敬々々。」トいひすてつつ、二人は彼方[カナタ]へ立去りけり。
この内以前のこの家[ヤ]の書生は、台所よりいできたりて、倉瀬の脊[セ]の方へ近づきつつ、頻[シキリ]にモシモシと呼びてをれども、倉瀬は継原との話にまぎれて、少しもその言葉が耳へ這入[ハイ]らず。
倉「それぢゃア其処[ソコ]に待てゐたまへ。」この内書生は傍[カタエ]へよりて、またモシモシと呼[ヨビ]かくれど倉瀬は少しも心づかず。
倉「いいかア。今直[ジキ]にゆくぞ。」トいひさま俄にふりかへりて、走りいでんとなしたるほどに、たちまち書生と額合[ハチアハ]せして、
書「アイタタタタタ。」
倉「イタタタタこれは失敬。」
書「へへへ。どう致しまして。まことにお待[マタ]せ申しました。どうぞあちらへ。」

というところで、第十七回が終わります。守山くんのお父さんを待たなくていいんでしょうかね?w

ちなみに、東京・横浜間で電話交換業務が行われたのは、1890(明治23)年のことです。それより以前から、人に呼びかける言葉として「もしもし」は使われていたんですね。

ということで、第十八回に移りたいのですが…

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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