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#307 フォームとアイデアの関係

さて、今日は二葉亭四迷の『小説総論』の本文を読んでみましょう。

凡そ形[フオーム]あれば茲に意[アイデア]あり。意は形に依って見われ形は意に依って存す。物の生存の上よりいわば、意あっての形形あっての意なれば、孰[イズレ]を重とし孰を軽ともしがたからん。

四迷は、逍遥の『小説神髄』を読んで、これを書いたはずです。ここには、『小説神髄』をもとにして、四迷が考えたことが書かれているはずです。

逍遥は『小説神髄』で、フェノロサの講義を引用して、こんなことを書いています。

須用は真に実用に適するが故に善美となり、美術は善美なるが故に実用に適するに至るの差あり。

ここでは「実用」と「善美」の関係を、「○○だから○○だ」という「原因と結果」の間柄で説明しています。

四迷が、真っ先に取り上げたのは、「形」と「意」、「フォーム」と「アイデア」の関係です。逍遥は、「須用」と「美術」という「形」に内包されている「実用」と「善美」の関係から『小説神髄』を始めますが、四迷は、それ以前、つまり「形」「フォーム」そのものから始めます。「フォーム」とは「アイデア」あってこそであり、「アイデア」は「フォーム」あってこそである。逍遥は、「形の因果関係」から始めますが、四迷は「形の相関関係」から始めます。

されど其持前の上よりいわば意こそ大切なれ。意は内に在ればこそ外に形[アラ]われもするなれば、形なくとも尚在りなん。されど形は意なくして片時も存すべきものにあらず。意は己の為に存し形は意の為に存するものゆえ、厳敷[キビシク]いわば形の意にはあらで意の形をいう可きなり。夫の米[ベー]リンスキー(魯国の批評家)が世間唯一意匠ありて存すといわれしも強ちに出放題にもあるまじと思わる。

ヴィッサリオン・グリゴーリエヴィッチ・ベリンスキー(1811-1848)は、ロシアの文芸批評家です。四迷は、1881年(明治14)年、東京外国語学校(現・東京外国語大学)の露語科に進学し、ロシア文学に心酔します。

それにしても、なんて難しい書き方をするんでしょうね!w

「おのれ」というものを「相関関係の目的」に差し挟むと、「アイデア」が途端に優位性を持ち始めます。「フォーム」は「アイデアのため」という階層のままですが、「アイデア」は「フォームのため」より前の深層、つまり「おのれのため」に存するからです。ゆえに、「フォームのアイデア」ではなく、大切なのは、「アイデアのフォーム」なのです。

と、まるでわかったかのように書いてますが、実は全然わかっていません!ww

逍遥は、小説を知らない人に向けて「小説とはなにか」を説明してくれてますが、四迷のそれは、その前提をすでに省いている、いや、そもそもの「小説の前提」を説明しているため、もうまるで哲学の言明ですね!w

ということで、このつづきは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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