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#400 息子に小遣いをぼったくられるお政さん

今日も二葉亭四迷の『浮雲』を読んでいきたいと思います。

第七回は、菊見の準備から始まります。バタバタ身支度をしているところにお客がやってきたりして、なかなか準備が進まず、十一時頃にようやく家の中が落ち着く始末。その頃、文三さんは、クビになったことをきっかけに起きた、さきのいざこざを引きずっており、おのずと本田さんと比較して卑屈になっている状態です。菊見について行くのイヤだし、家に留まっているのもイヤだし、とにかく腹立たしさが邪魔をして、何をやっても落ち着かない状態。「もし菊見が中止になったら…」と他人の不幸を望む言葉を言いかけて、ハッとビックリして狼狽する始末…。一時頃には本田さんがやってきます。そして、強情に菊見に行くことを拒否する文三さんをからかい、お勢さんに「あなたと人力車を相乗りできるなら行っても良いと言う人がいますよ」と言ってからかいます。そんな本田さんのことを「バカ…」と苦々しそうに呟きますが、ふとお勢さんと向島へ桜を見に行ったことを思い出し、キョロキョロとあたりを見回している自分がいることに気付いて、今度は自分に対して「バカ…」と呟きます。午後になると、団子坂は、髪型も身なりも年齢も身分も様々の人々が雑然としています。そこに、上品な身なりをしたお勢さんとお政さんと本田さんがやってきます。お勢さんはカゴを出た小鳥の如く活き活きとしており、お政さんはお勢さんと同年配の女性たちの身なりが気になる様子。三人で坂下まで見物を終え、気がつくと、本田さんの姿が見当たりません。どうやら、本田さんは知り合いを見つけたようで、その洋装の紳士に対して、深々とお辞儀をしています。紳士の横には二人の女性がおり、お勢さんは、その一人の束髪の令嬢に目を留め、穴の開くほど見つめています。本田さんが戻ってくると、お政さんは、先ほどの三人のことを尋ねます。すると、男性は課長で、二人の女性のうち、一人は課長の奥様で、もう一人は奥様の妹だと答えます。すると、お勢さんが、熱心に見つめていた束髪の令嬢、つまり奥様の妹について、「学問は出来るのか?」と本田さんに尋ねます。本田さんは、出来るという話を聞いていないと答えると、冷笑の気を含ませて、植木屋へ入ろうとする令嬢の姿を見送ります。そして三人は、上野公園へと移動します。そこに、お勢さんの弟の勇さんもやって来ます。お勢さんは、本田さんに、令嬢が別嬪でしたね!と、いじり始めます。しかし、本田さんは、私にはアイドルが一人おりますからと言って、お勢さんへの好意を匂わせます。当のお勢さんは、うまくはぐらかそうとしますが、本田さんは、気持ちの区切りをつけるためにも、たった一言「あきらめろ!」と言っていただきたいとお勢さんに訴えます。お勢さんがドギマギして顔を赤らめていると、本田さんは、アハハハと大笑い。どうやら、お勢さんをからかっていたようでして、そんなタイミングで、勇くんと離れていたお政さんが戻って来ます。

「マア本田さん聞[キイ]ておくんなさい 真個[ホント]に彼児[アノコ]の銭遣[ゼニヅカ]いの荒いのにも困りますよ 此間[コナイダ]ネ 試験の始まる前に来て一円前借[マエガリ]して持ッてッたんですよ それを十日も経たない内にもう使用[ツカ]ッちまってまたくれろサ 宿所[ウチ]ならこだわりを附[ツ]けてやるんだけれども……
「彼様[アン]な事を云ッて虚言[ウソ]ですよ 慈母[オッカ]さんが小遣いを遣[ヤ]りたがるのよオホホホ
ト無理に押出[オシダ]したような高笑[タカワライ]をした
「黙ッてお出[イ]で お前の知ッた事[コツ]ちゃない……こだわりを附[ツ]けて遣るんだけれども途中だからと思ッてネ 黙ッて五十銭出して遣ッたら それんばかじゃ足らないから一円くれろと云うんですよ そうそうは方図[ホウズ]がないと思ッて如何[ドウ]しても遣らなかッたらネ 不肖不肖[フショウブショウ]に五十銭取ッてしまッてネ、それからまた今度は明後日[アサッテ]お友達同志寄ッて飛鳥山[アスカヤマ]で温飩会[ウドンカイ]とかを……
「オホホホ
この度は真[シン]に可笑[オカ]しそうにお勢が笑い出した 昇は荐[シキ]りに点頭[ウナズ]いて
「運動会
「そのうんどうかいとか蕎麦買[ソバカ]いとかをするからもう五十銭くれろッてネ 明日取りにお出[イ]でと云ッても何と云ッても聞かずに持ッて往[イ]きましたがネ それも宜[イ]いが憎い事を云うじゃありませんか 私[アタシ]が「明日お出でか」ト聞いたらネ「これさえ貰えばもう用はない またなくなってから行く」ッて……
「慈母[オッカ]さん 書生の運動会なら会費といッても高が十銭か二十銭位なもんですよ
「エ十銭か二十銭……オヤそれじゃ三十銭足駄を履[ハ]かれたんだよ……
ト云ッて昇の顔を凝視[ミツ]めた、とぼけた顔であッたと見えて昇もお勢も同時に
「オホホホ
「アハハハ

日本で最初に行われた運動会は定説によれば1874年3月21日、イギリス人英語教師フレデリック・ウィリアム・ストレンジ(1853-1889)の指導をもとに、海軍兵学寮で行われた競闘遊戯会であるとされています。現在「日本近代スポーツの父」と呼ばれるストレンジは、#235でも紹介した日本初の学生レガッタ「東京大学走舸組競漕会」を開催させています。

それにしても、逍遥の『当世書生気質』では、飛鳥山の桜の下で鬼ごっこをやる場面がありましたが、飛鳥山という場所は、かけっこをするのにうってつけの所だったんでしょうかね!w

ということで、ここで第七回が終了します!

さっそく、第八回へと移りたいのですが…

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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