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#019 明治最大のベストセラー

さて、中国小説の旅を終えて、ようやく近代へと戻ってきました!

本格的に研究している方からすれば、旅の仕方が「甘い!」と怒られるかもしれませんが、最初はざっくりでいいんですよ!w

何かを知りたくなった時、なによりも重要なことは…

1.興味の畑に、ひたすら種をばら撒くこと
どの芽が育ち始めるなんて、最初は誰にもわかりませんからね!だから、最初は、ひたすら種をばら撒けばいいんです!いずれ、育ち始めた芽をさらに成長させるためには、間引きをして、他の芽を見捨てる日が来るんですから!その時、後ろめたい気持ちにならないように、ざっくりした気構えでいたほうがいいんです!ww

2.とにかく楽しむ
「つらい」と感じてしまうと長続きしませんからね!とにかく「楽しい!」と思えている時に、楽しい状態のまま、やめてしまったほうがいいんです!いずれ、壁が立ちはだかる時が来るんですから!その時、楽しい気持ちで臨んだほうがいいじゃないですか!ww

さて、ここで、本来なら、坪内逍遥の『小説神髄』を読み始めるべきなのですが、ちょっと待っていただきたいのです!

魯迅の「中国小説の歴史的変遷」を読みながら、ネットで「近代」「小説」とか入力して、ポチポチ調べてたんですよ。すると、なんだか、いやぁ〜な予感がするものを発見したんですよね…w

というのも、「近代文学」の始まりは坪内逍遥の『小説神髄』であるというネットの情報を信じて、そこから読み始めたわけですが、「小説」という単語から近代文学を調べ始めると、坪内逍遥ともう一人の人物が検索に引っかかることがわかったんです!その人の名は…

中村正直です!

生まれは、1832年の江戸麻布生まれ。漢学と蘭学を幼少期から学び、江戸幕府直轄の教育機関・昌平坂学問所で儒学と英語を学び、30歳で、江戸幕府の御用儒者となります。34歳でイギリスへ留学し、2年後の1868年、幕府の終わりとともに帰国。その後は、大蔵省翻訳局長・東京大学教授・貴族院議員・お茶の水女子大学の前身である東京女子高等師範学校の初代校長を務め、1891年、58歳の若さで亡くなりました。

まぁ、簡単に言えば、天才の超エリートですよ!w

その中村正直が、1870年、元号でいうと明治3年に、サミュエル・スマイルズ(1812-1904)の『Self-Help』を翻訳した本を出版しました。それが…

『西国立志編』です!

この本が、福沢諭吉(1835-1901)の『学問のすゝめ』(1872)と双璧を成す明治最大のベストセラーとなりまして、1872年に学制が公布されると、『西国立志編』は教科書としても使用されるようになったのです!

なぜ、この本が気になったかといいますと、以前、#003で述べた「小説=novelだけ」問題に関わっているからなんです!

どうやら、『西国立志編』の中で、novelやromanceやpopular literatureなどの単語を、中村正直は、まとめて「小説」と翻訳しているようなのです!

ということで、次回は、その中身を見ていきたいと思います。

では、また明日、近代でお会いしましょう!


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