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#040 86年前の本居宣長を使って…

2020年の86年前は、1934年である。

例えば、現在26歳の若者が、86年前の1934年に思いを馳せる時、一体何を考えるだろうか…

なぜ、こんなくだらない疑問を思いついたかといいますと…

坪内逍遥が26歳のときに『小説神髄』を刊行したのは1885(明治18)年で、その書物の中で、86年前の1799(寛政11)年に刊行された本居宣長(1730-1801)の『源氏物語玉の小櫛』を引用していたからです。

逍遥は、引用したあと、次のように述べています。

引用せる議論のごときは、すこぶる小説の主旨を解して、よく物語の性質をば説きあきらめたるものといふべし。我が国にも大人[ウシ]のごとき活眼[カツガン]の読者なきにしもあらざりけれども、そは絶無にして希有[ケウ]なるから、他の典学[ナマモノシリ]にあやまられて、彼の『源語』をさえ牽強[ケンキョウ]して勧懲主意なるものなりなど、いとしたり貌[ガオ]に講釈せる和学者流も多しと聞く。豈[ア]に甚だしくあやまらずや。

当時の一部の国文学者を「なま物知り」とか「したり顔」とか、なかなか喧嘩腰の厳しい言い方をしてますね!w

その一方で、逍遥は本居宣長を「希有な活眼の読者」と絶賛しています!

逍遥は、本居宣長の『源氏物語玉の小櫛』の、こんな部分を引用しています。

みな物語といふものの本旨[ココロバエ]をたづねずして、只[タダ]よのつねの儒教などの書[フミ]のおもむきをもて論ぜられたるは、作者[ツクリヌシ]の本意[ホイ]にあらず。たまたま彼の儒教などの書とおのづから似たるこころ合[カナ]へる趣きもあれども、そをとらへて総体[スベテ]をいふべきにあらず。……物語にて人の心所業の善[ヨ]き悪[アシ]きはいかなるぞといふに、大かた物のあはれを知り、情[ナサケ]ありて世の中の人の情[ココロ]にかなへるを善[ヨシ]とし、物のあはれを知らず、情[ナサケ]なくて、世の人の情[ココロ]にかなはざるを悪[ワル]しとせり。かくいへば儒仏などの道の善悪といとしも異なる差別[ケジメ]なきが如くなれども、細かにいはむには、世の人の情に叶ふとかなはざるとの中にも、儒仏の善悪とは合[カナ]はざるも多し。……さて物語は物のあはれを知るを旨としたるに、そのすぢにいたりては儒仏の教へに背けることも多きぞかし。そはまづ人の情の物に感ずる事には善悪邪正[ゼンアクジャショウ]さまざまある中に、道理[コトワリ]にたがえる事には感ずまじきわざなれども、情は我れながら我が心にも任せぬことありて、おのづから忍びがたきふし有[アリ]て感ずることもあるものなり。……物語は儒仏などのしたたかなる道のやうに、迷ひをはなれて悟りに入るべき則[ノリ]にもあらず。只世の中の物語なるがゆゑに、さるすぢの善悪の論は暫くさしおきて、さしも関はらず、ただ物の哀れを知れる方の善きをとりたてて善とはしたるなり。

引用が長くなってしまったのは、そもそも、逍遥の引用が長いからなんです!w

これは、本居宣長の有名な「もののあわれ」というやつですね!

「小説の主旨を解して、よく物語の性質をば説きあきらめたる」と、まさに「小説の主眼」に相応しい態度として本居宣長を絶賛していますが、逍遥はそれと同時に、この引用によって、儒教的な教戒を否定していますね!

この引用をもって、「小説の主眼」は終わりとなります。

ちなみに、「小説の主眼」のサブタイトルは

「小説の主眼は専らに人情にある事」です。

では、第3章にあたる「小説の種類」をへと移りたいのですが…

それは、また明日、近代でお会いしましょう!

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