見出し画像

#315 いよいよ『浮雲』を読み始めます!

さて、今日からいよいよ二葉亭四迷の『浮雲』を読んでいきたいと思います。

ちなみに、当初『浮雲』は、坪内雄三名義で出版されました。それだけ、四迷は、逍遥から多くを学び、全幅の信頼を寄せていたのでしょう。印税も、逍遥と折半していました。ちなみに、逍遥は、『浮雲』の序文を寄せています。

古人の未だかつて称揚せざる耳馴れぬ文句を笑うべきものと思い、または大体を評し得ずして枝葉の瑕瑾[カキン]のみをあげつらうは、批評家の学識の浅薄なるとその雅想なきを示すものなりと、誰人[タレヒト]にやありけん古人がいいぬ(中略)我[ワガ]友二葉亭の大人[ウシ]このたび思い寄る所ありて浮雲という小説を綴りはじめて、数ならぬ主人にも一臂[イッピ]をかすべしとの頼みありき(中略)小説文壇に新しき光彩を添[ソエ]なんものはけだしこの冊子にあるべけれと感じて、甚だ僭越の振舞にはあれど、ただ所々片言隻句の穏かならぬふしを刪正[サンセイ]して竟[ツイ]に公にすることとなりぬ。合作の名はあれどその実[ジツ]四迷大人[ウシ]の筆になりぬ。文章の巧なる所趣向の面白き所は総[スベ]て四迷大人の骨折なり。主人の負うところはひとり僭越の咎[トガ]のみ。読人[ヨムヒト]乞うその心してみそなわせ、序[ツイデ]ながら、かの八犬伝水滸伝の如き規模の目ざましきを喜べる目をもてこの小冊子を評したまう事のなからんには、主人はともかくも二葉亭の大人否[イナ]小説の霊が喜ぶべしと云爾[シカイウ]。 第二十年夏 春の屋主人

それでは早速、本文を読んでいきましょう。

千早振る神奈月も最早[モハヤ]跡二日の余波[ナゴリ]となッた二十八日の午後三時頃に神田見附の内[ウチ]より塗渡[トワタ]る蟻[アリ]、散る蜘蛛[クモ]の子とうようよぞよぞよ沸出[ワキイ]でて来るのはいずれも顋[オトガイ]を気にし給う方々、しかし熟々[ツラツラ]見て篤[トク]と点検するとこれにも種々[サマザマ]種類のあるもので、まず髭[ヒゲ]から書立[カキタ]てれば口髭[クチヒゲ]頬髯[ホオヒゲ]顋[アゴ]の鬚[ヒゲ]、暴[ヤケ]に興起[オヤ]した拿破崙髭[ナポレオンヒゲ]に狆[チン]の口めいた比斯馬克髭[ビスマルクヒゲ]、そのほか矮鶏髭[チャボヒゲ]、貉髭[ムジナヒゲ]、ありやなしやの幻の髭と濃くも淡[ウス]くもいろいろに生分[ハエワカ]る

あれ…え〜と…言文一致体ってこういう文章でしたっけ?w

#314で紹介したように、逍遥は四迷に、三遊亭円朝(1839-1900)の落語のように書いたらいいと進言しましたが、これは円朝の落語のそれとも全然違いますね!w

言文一致体というのなら…

10月も残り2日となった28日の午後3時頃、神田見附の各官庁の玄関よりぞよぞよ湧き出る髭面の連中…

みたいな書き方を言うんじゃないですか!

ちなみに句読点に関してですが、逍遥の『小説神髄』では句読点がありませんでしたが、『当世書生気質』では句点のみで表されました。四迷の『浮雲』では読点のみで表されています。句点がないため、岩波文庫では便宜上スペースを空けて表記しています。

神田見附は、江戸城三十六見附のひとつで、現在の千代田区大手町の北側あたり、当時は大蔵省・内務省・農商務省などの官庁がありました。その神田見附から、午後3時ごろに、色々な形の髭を生やした官吏がゾロゾロ出てきたのは、当時の官員の勤務時間が9時出勤の15時退勤だったからです。うらやましい!w

ということで、このつづきは…

また明日、近代でお会いしましょう!




この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?