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#062 はじめての『当世書生気質』

坪内逍遥の『小説神髄』は、1885(明治18)年の9月に松月堂から刊行され始めますが、それよりも3ヶ月早く、同年6月に晩青堂から刊行され始めたのが、逍遥のnovelの実践編『当世書生気質』です。

岩波文庫で購入して、 早速ページを開くと、第1話のタイトルは「第一回 鉄石の勉強心も変るならひの飛鳥山に 物いふ花を見る書生の運動会」と付されています。

#052で紹介しているように、逍遥は『小説神髄』で、雅俗折衷を彩る古典的修辞法を4点挙げているのですが、「題目構成の法」を述べている時に

「第一回何々の事」なんどとあからさまに掲げいだすも、あまりに興うすき事なりかし。

って言ってるんですよね!w

自分のタイトル付けのセンスの無さをディスってるんでしょうか…w

「勉強心も変るならひの飛鳥山」のところは、「音韻転換の法」を使って、「変わるなら」と「北風[ナライ]の飛鳥山」で「なら」を重ねて省筆と彩りを与えているのでしょうか…

ちなみに、飛鳥山は東京都の北区にある区立公園で、1873(明治6)年に日本最初の公園の一つに指定された桜の名所です。

本文は、次のように始まります。

さまざまに移れば変る浮世かな。幕府さかえし時勢[コロオイ]には、武士のみ時に大江戸の、都もいつか東京と、名もあらたまの年ごとに、開けゆく世の余沢[カゲ]なれや。

七五調の随分古臭い言い回しですね!w

ちなみに、原文では読点の部分にも句点が付されています。まるで、朗々と読み上げる時の呼吸の切れ目を教えているかのように…

貴賎上下の差別[ケジメ]もなく、才あるものは用ひられ、名を挙げ身さへたちまちに、黒塗[クロヌリ]馬車にのり売りの、息子も鬚[ヒゲ]を貯[タクワ]ふれば、何の小路[コウジ]といかめしき、名前ながらに大通路[オオドオリ]を、走る公家衆[クゲシュ]の車夫[クルマヤ]あり。栄枯盛衰いろいろに、定めなき世も智慧あれば、どうか生活[クラシ]はたつか弓、春めくあれば霜枯[シモガレ]の、不景気に泣く商人[アキビト]あり。

「黒塗馬車にのり売りの」のところは、「馬車に乗り」と「海苔売り」を重ねているのでしょうか…

東京の海苔と言ったら#027でも紹介した大森でして、海苔養殖発祥の地と言われています。現在は埋め立てられて影も形もありませんが、1903(明治36)年頃の統計によると、羽田から葛西までの海苔生産額のうち、大森だけで66%を占めていたそうです。1746(延享3)年から、大森村は「海苔業税」を幕府に納めるようになり、「御前海苔」と呼ばれる最上品の海苔を作る産地となっていました。当時は、海苔で栄えた家のボンボンが偉そうなヒゲをたくわえて、黒塗り馬車に乗っていたのでしょうかね!w

しかし、「不景気に泣く商人」と言っているように、当時は不景気で苦しんでいる人の方が多かったようです。

西南戦争後の紙幣増発によるインフレが、1880(明治13)年に絶頂に達し、政府は、この年より不換紙幣の整理、経費の節減、増税政策を実施しました。1881(明治14)年に大蔵卿に就任した松方正義(1835-1924)は、これらの施策を継承して、いわゆる「松方デフレ」と呼ばれる、徹底した緊縮財政を推進し、日本銀行の創立や、兌換制度の確立をはかりました。結果、1881(明治14)年から物価の下落がはじまり、1882(明治15)年以降になると、物価は益々下落し、金融は閉塞し、農村の窮乏を招いたようです。

というところで、このあとのお話を読んでいきたいのですが…

それは、また明日、近代でお会いしましょう!

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