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#059 時代小説を書くときの注意点

坪内逍遥の『小説神髄』は、下巻の第3章に当たるところで「時代小説の脚色」を述べます。

歴史小説の裨益は正史の遺漏[イロウ]を補ふにあり、この効用のあるが故に歴史小説を玩読[ガンドク]するもの世上に尠[スクナ]からぬ事なれども、若し彼の正史が発達して完全無欠の物となりなば、また遺漏なき筈[ハズ]なるから、世間の小説、稗史のたぐひは世の人々に愛玩さるべきその根源をば失ふべし。……小説の正史に異なる所以は、如意に脱漏[ダツロウ]を補ひ得る事と親昵[シンジツ]を擅[ホシイマ]まにする事とにあるなり。脱漏を補ふとは、正史中に脱漏せる事実を作者の想像をもて補ふことをいふ。親昵とは、作者が小説中の人物(正史中にも在る人物なり)の言行を叙するに、極めて精細周密にして、読者をして作者と小説中の人物と朝々暮々親昵するの感あらしむるをいふなり。

完全無欠の正史なんて出来るわけないですよね!w

しかも、親昵の説明に、親昵っていう言葉を使っちゃダメじゃないですか!「右手」の説明で、「右側の手です」って言ってるようなものですからね!w

時代物語の目的は、風俗史の遺漏を補ふと、正史の欠漏を補ふとの二点にあり。故にこの二ヶ条の目的はその一[イツ]をだに達し得なば、その本分はすなはち足るべし。是非[ゼヒ]正史上の大事実もしくは正史上の人物をば引用するにも及ばざれども、なるべくだけは風俗、遺事[イジ]双方ともにならび存してその物語の髄[ズイ]ともなりなば、最も完全と称すべきなり。

このあと逍遥は、時代物語を書くにあたっての注意点を3点挙げます。

1.年代の齟齬

正史家だに間々之れを行ふ事なり。妄誕仮空[ボウタンカクウ]の小説には些少の間違ひありたればとて敢て苦しからぬやうなれども、決して望ましき事にはあらねば、及ぶだけ年代にも齟齬なからしむるを要するなり。蓋し年代に甚[ハナハ]だしき相違謬妄[ソウイビュウモウ]ある時には、その物語の美妙[ビミョウ]にして真に逼[セマ]るにも係[カカワ]らず、読む人具眼[グガン]の人なりせば、たちまち妄誕[モウタン]にこころづきて、彼の夢幻界に逍遥して古人に親昵[シンジツ]する感覚をば亡失することあるべければなり。

2.事実の錯誤

正史上の事蹟を誤る事にて、例へば善良の人を悪人の如くにいひなし。奸悪[カンアク]の人を善人の如くにいひなす等をすべてこの類の錯誤に入るべし。……是れ実に除かざるべからざるの疾病なり。何となれば、正史の事蹟ならびに人物の裏面を叙するは時代物語の本旨なるに、若しその事蹟と人物の表面に已に甚だしき錯誤ありなば、その裏面なる事蹟の如きは勿論虚妄なるものなればなり。仮令[ヨシヤ]脚色[シクミ]は巧妙なりとも、また風俗には謬写なくとも、この事実の錯誤ありては、いまだ時代物の完全なるものとはいふべからず。

3.風俗の謬写

時代違ひの器具調度もしくは衣裳粧飾[イショウショウショク]もしくは飲食物等を写しいだし、あるひは当[ソノ]時代にはあらざりける風習なんどを正々[マザマザ]しく物語の脚色[シクミ]に加ふることなり。……風俗の謬写は、前の事実の謬誤[アヤマリ]にひとしく、時代物語の大過失なり。この過失にして除かざれば、時代小説の目的をば得て遂ぐること能[アタ]はざるなり。

以上が、時代小説を書くときの注意点です。

ひとつ加えさせていただくなら、

現代の世話物語も、いずれ時が経てば、時代物になるということを忘るるなかれ!ってことでしょうかね!w

というところで、次の第4章に当たる「主人公の設置」に移りたいと思うのですが…

それは、また明日、近代でお会いしましょう!


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