見出し画像

#305 『当世書生気質』よ!ありがとう!

長らく続いた『当世書生気質』も、本日をもって最終回!では、最後まで一気に読んでいきましょう!

因[チナミ]にいふ。作者のはじめこの篇を綴[ツヅ]るや、談話[ハナシ]を引延して明治十八、九年に及ぼし、十分情態の細微を穿[ウガ]ちて、兼[カネ]ては変遷をも示さばやと思ひ、已に第九号の附言に於ては、その意をあから様に読者に伝へて、立派に約束までなしたりしが、紙数存外に不足にして、作者の本意通り綴る能[アタ]はず。殊[コト]には当篇の眼目といへば兄妹再会といふ事にありて、書生の気質といふ事にあらねば、その表題には背[ソム]くに似たれど、作者は専らに意匠を凝らして、前者に都合のよき趣向を設けつ。ために当今の書生の気質を漏[モレ]なく描きいだす手順にあらず。作者も遺憾なりと思ひぞかし。就中[ナカンズク]最も残[ノコリ]をしきは、作者が本来の目的なりける、書生の変遷を写し得ざりし事なり。書生の変遷とは何をかいふ。曰[イワ]くその習癖その行為の変遷なり。譬[タト]へばはじめ軽躁[ケイソウ]なりし人も、年経て沈着になる事なり。書生の頃放蕩なりし者が、かへつて老実なる実際家となるあり。あるひは卒業して用にたたざる人あり。あるひは浅学にして用ひらるる事あり。その変転は万態千状[バンタイセンジョウ]、一々このところに言ひがたけれども、写さば面白さは限なからむ。譬へば当篇の小町田の如きは、一個の見すぼらしき神経質なる未練の少年に過ぎざれども、もし五、六年の経歴を積みなば、如何に変りゆくか知るべからず。世には神童などいふ例もありて、天稟[テンピン]英智なるも稀[マレ]にはあれども、それらは常例の外[ホカ]の者にて、主実稗史家[シュジツハイシカ](realist[リヤリスト])の好むところにあらず。とにもかくにも憾[ウラミ]多きはこの理を写し得で止むことにぞある。作者幸ひに間暇[カンカ]を得なば、再び管城子[カンジョウシ]をやとひいれて、他日
『続当世書生気質』一篇
を綴らんとす。件[クダン]の続篇には、小町田、守山、任那、倉瀬、お常、田の次、吉住、顔鳥らの後談[ゴダン]をもあらはし、別に新人物をいださんとす。新人物は主にして書生なり。旧人物は客にして紳士なるべし。故にこの続篇の如きは、書生気質兼紳士気質を以て見るべし。作者已に多少の腹稿あれども、目下他の著述にかかづらひたるをもて、暫[シバラ]くその起稿を猶予するのみ。四方の読者もし幸ひに拙著の題目を忘れたまはずは、他日続篇のいでけん折、いくらか旧知交[キュウチコウ]の消息[セイソク]をば、聞たまふが如き感あるべし。
かく書終りたる折、原稿を取去らんと、先刻よりして一枚々々数へて待ゐたりし書肆[ショシ]の小僧、にったり打笑[ウチエ]みていひけるやう、先生第九号の口絵の一件はどうなりましたか。
朧「ナンぢゃ口絵とは。」
小僧「ヘン。この絵は全篇の骨子[コッシ]なり、後回[コウカイ]に至りて明詳[ツマビラカ]なりッ。あの人殺[ヒトゴロシ]の訳はちっとも詳[ツマビラカ]でございませんね。」
朧「エ。ナニ。あれは、なんぢゃ、あれは愛嬌に添[ソエ]たばかしで、いはゆる読者をして驚かしむるの法ぢゃ。西洋の滑稽本なんぞにゃア、しばしばああいふ洒落[シャレ]があるテ。文章の滑稽や脚色の滑稽は、已に陳腐ぢゃによつて、わしが新趣向で虚喝[ホラ]を用ひたのぢゃ。なんと、あの事が立消[タチギエ]になつて、真面目で見てをつた読者諸君を驚かした手際[テギワ]は妙であらうな。」小僧は返事もせず縁側にたちいで
小僧「ヘン、隠居めイ。負惜みをいやアがらア。」

ということで、最後は逍遥自身が登場人物となって出てきましたね!w

これが、日本近代文学の嚆矢たる『当世書生気質』という小説なんですね!

いやぁ〜めちゃめちゃ面白かったなぁ〜!

ひとまず、これで、坪内逍遥に関する読書は終わりにしたいと思います!

ということで、また明日、近代でお会いしましょう!

この記事が参加している募集

#読書感想文

188,902件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?