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#382 団子坂の菊見へ行きませんか?

今日も二葉亭四迷の『浮雲』を読んでいきたいと思います。

第六回は、第一回で文三さんがクビになった日に一緒に帰った男の紹介から始まります。名前は本田昇といって、とにかくおしゃべりが上手であり、得意なことがなければ苦手なこともない男。愛嬌がよくて、お世辞がうまく、女性にも老人にも調子を合わせることができるが、親しさが増すと、次第に愛想がなくなり、鼻先であしらうタイプ…。ただ毎日ちゃんと出勤して、ほかの人が一日かける仕事を半日で終わらせる真面目なところもあるようで、休みの日には課長の家へ伺い囲碁の相手もするという、やや過剰なゴマスリも怠らないという念の入れよう…。そんな性格もあって、お政さんには大層気に入られ、チヤホヤされています。お政さんは、文三さんがクビを告白した第五回のやりとりを、尾ひれをつけて、本田さんに愚痴ります。その横に、女学雑誌を片手に、ニッコリともせず、さも本田さんがいるのが当たり前かのように、済まし切った態度でお勢さんが座ります。ここで、本田さんを挟んで、再び母と娘の言い合いが再燃!本田さんが冗談を交えて、あいだに入りますが、ふたりには通じず、席がしらけます。本田さんはフォローするかのように、お政さんに「お勢さんのような上出来な娘を持ちながら欲が深すぎる」「本来なら喜んでいなくちゃならぬ」と言い聞かし、そして、喜びついでに、自分が一等昇進したことを報告します。これに興味津々なのがお政さんで、本人を目の前にして、収入の変化を計算し始める始末。そして、やはり、文三さんとの比較を始め、本田さんを利口で気遣いがあって如才がないと褒め称えると、本田さんは…

「談話[ハナシ]も艶[ツヤ]消しにしてもらいたいネ

「艶消しにして」とは、「お愛想もほどほどにして」という意味です。

「艶じゃアない真個[ホント]にサ 如才がなくッてお世辞がよくッて男振[オトコブリ]も好[イイ]けれども ただ物喰[モノグ]いの悪[ワリ]いのが可惜[アッタラ]瑜[タマ]に疵だッて オホホホホ
「アハハハハ貧乏人の質[シチ]で上げ下げが怖ろしい
「それはそうと いずれ御結構振舞[ブルマ]いがありましょうネ 新富[シントミ]かネ但しは市村[イチムラ]かネ
「何処[イズレ]へなりとも 但し負[オン]ぶで

「おんぶ」とは、「ゴチになる」という意味ですねw

「オヤそれは難有[アリガタ]くも何ともないこと
トまた口を揃えて高笑い
「それは戯談[ジョウダン]だがネ 芝居はマア芝居として如何[ドウ]です明後日[アサッテ] 団子坂へ菊見という奴は

現在の文京区千駄木の二丁目と三丁目の境にある団子坂は、安政(1855-1860)の頃から植木農家が競って菊人形を展示したことで有名で、秋の風物詩となりました。1876(明治9)年に東京府から木戸銭収受の許可を受け正式に興業化し、最盛期の明治20~30年代には、植惣、植梅、種半、植重の四大園を含む20軒以上が団子坂の両脇や周辺に軒を連ね、毎年、題材や仕掛けに工夫を凝らし競い合いました。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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