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小説 カナという女

 カナちゃんは、ダサい。たぶん自分では洗練されたコンサバ系のつもりで生きているのだろうが、なんとなく野暮ったいし安っぽい。言動もつまらないし、きっとセックスの時もマグロだ。何よりも腹が立つのは、わたしのオカザキを取ったことだ。わたしはカナちゃんがオカザキと出会う前からずっとオカザキのことが好きだったのだ。オカザキとわたしはバイト先の居酒屋でよくシフトが被っていて、二人ともスポーツ観戦が趣味だったことからすぐに意気投合した。わたしは当たり前のようにオカザキを好きになり、オカザキもきっとわたしのことを少しずつ意識するようになっていたと思う。そんな矢先にカナちゃんは突如として現れたのだった。

 いつものようにバイトの深夜シフトを終えて、オカザキと一緒に歩いているとき、オカザキはほんのすこしだけ嬉しそうにして気になっている女の子がいることを打ち明けてきた。わたしも大概バカなので、これはわたしにやきもちを焼かせて気をひくための作戦なのではないかと勘ぐって、あえて全く気にしていないように振る舞った。その後も気になる女の子の話を持ち出してくるオカザキに対して、真面目にアドバイスをしたり、茶化したりしていた。

 しかし、わたしの勘繰りとは裏腹に、オカザキがその女の子の話を持ち出す頻度は増え続け、いつのまにかオカザキの「気になる女の子」は「好きな女の子」に変わっていた。わたしは自分の慢心を恥じ、それまであまりしなかった電話をしたり、メールを送ったり、オカザキのことを好きな素振りを見せるようにし始めたが、奮闘虚しくオカザキの「好きな女の子」は「彼女のカナちゃん」になっていた。わたしは自棄になって、好きでもない男と寝まくって、それをオカザキに報告することでなんとか気をひこうと試みたりしたのだが、それで得たのは「マイちゃんは俺の妹みたいなもんだからちゃんと幸せになってほしい」という言葉だけだった。

 それからしばらくして、カナちゃんとわたしは顔を合わせることになる。確か、カナちゃんとオカザキがオカザキの家で鍋をするとかで、そのとき丁度オカザキの家の近くにいたわたしも飛び入りで参加することになったのだ。カナちゃんはそのとき、黒と白のボーダーのタートルネックに、黒い吊りスカートを着ていた。顔はまあまあ可愛かったが、一目見てダサいな、と思った。オカザキの部屋のキッチンはままごとのキッチンのように実用性に欠けているのだが、そこでカナちゃんと二人して鍋の準備をした。カナちゃんは手際が悪くて「料理も出来へんのかこの女は」と思ったが、不思議なことに「この程度なら勝てるな」といったような感情は全く湧かなかった。むしろ、絶対に勝てないと思った。カナちゃんは、服はダサいし、スポーツも見ないし、音楽はロキノン系とか中途半端にかじったみたいな感じだし、平気で少女漫画原作の映画やテレビドラマを見て共感できるような女の子で、さらに男慣れしていないがゆえに簡単に股を開いてその男をすきになるようなタイプの女の子だと思った。オカザキがこんな女の子のこと好きになるはずがないと思ったが、そう思えば思うほど、オカザキの気持ちがわたしに向くことはこの先永遠にありえないと感じた。諦観と侮蔑が入り混じった複雑な精神状況のなか、それなりに楽しく鍋を平らげ、わたしは終電があるうちにオカザキの家を出た。当たり前のようにオカザキの隣でわたしを見送るカナちゃんをほんの少しだけ嫌な女だと思った。

 その鍋パーティーのあと、カナちゃんはわたしのことをちょっと気に入ったみたいで、カナちゃんとわたしの2人で買い物をしたり、オカザキとわたしとカナちゃんの3人で遊びに行ったりするようになった。

 3人で遊ぶ時はともかく、カナちゃんと2人で行く買い物は苦痛以外の何物でもなかった。カナちゃんとわたしは恐ろしいほどに服のセンスというか考え方全般が合わないにも関わらず、何時間も一緒に過ごすというのは無理があるのだ。でも、無理があると感じていたのはどうやらわたしだけだったらしく、カナちゃんは根気よくわたしを誘って代官山や二子玉川に繰り出し、おしゃれなのか微妙なラインの雑貨屋やセレクトショップで買い物をして、パンケーキやフレンチトーストをぱくぱく食べた。不思議なことに、わたしが胸の奥底に隠している嫉妬や憎悪を全くもって感じ取れないカナちゃんに対して、どこか安らぎを感じている自分もいた。

 そんなある日だった。わたしは渋谷で終電を逃し、家に帰れなくなって三茶にあるオカザキのアパートまで歩いて行った。前にもこういうことは何回もあったが、オカザキが私に手を出すことは一度もなかった。シャワーを借りて、同じベッドで寝て、朝起きて、しばらくくっちゃべって帰るだけだ。これがもしオカザキ以外の男だったら何かしら起こっていたのかもしれないが、オカザキとわたしの間には幸か不幸か何も起こらなかった。だからこそ余計にわたしはオカザキに執着するようになったのかもしれない。

 その日もいつものように玄関のチャイムを連打してオカザキを起こし、眠りを妨げられて不機嫌なオカザキを宥めながら、来る途中にあるまいばすけっとで買った、オカザキの大好物である3パック入り98円の納豆を差し出して部屋に入れてもらい、シャワーを浴びて、シングルベッドに侵入した。すると、その日は珍しくオカザキが手を握ってきたのだ。わたしはその時にはもうカナちゃんからオカザキを奪ってやろうだなんて考えていなかったのだが、あまりに驚いたので理由を尋ねた。

「いや、マイちゃんの手ってあったかいから」

 オカザキはそう言うとわたしの手を自身の顔に持って行き、頰にくっつけた。言われてみればオカザキの手も頰も確かに少し冷たかった。それはただ単にオカザキの部屋の冷房が効きすぎていて、さらにわたしがシャワーを浴びた直後だというだけのことだと思い、それを言いかけたが、それよりも先にオカザキが口を開いた。

「なんかマイちゃんって存在自体が『ぬくもり』って感じする」
「なんかそれ嫌やなあ」
「なんでよ」
「老人ホームの名前みたいやん」

そう言うとオカザキはクスっと笑ってわたしの手の甲にキスをした。それがくすぐったくて少し手を引くと、オカザキはすんなりわたしの手を解放した。しかし、解放したかと思った途端にわたしをぎゅっと抱き寄せてきた。

「あったかー」

オカザキはなんでもないことのように言った。しかし、わたしはその瞬間オカザキがわたしに欲情していること、そしてオカザキを拒むことなんて出来るはずがないことを確信した。

 行為の最中、オカザキがわたしを抱いているという事実に対して大いに興奮をしたのだが、同時に今までの人生で感じたことがないほど強い自己嫌悪を覚えた。そのせいなのかはわからないが、事後、わたしは身体中の臓器がすべて出たのではないかと感じるほど激しく吐いた。そしてその後、引き留めるオカザキをよそにすぐにアパートを出た。

 帰り道で、わたしはもう二度とオカザキやカナちゃんには関わらないようにしようと決意した。それはカナちゃんを裏切った罪悪感だとかそういう薄っぺらい感情からくるものではなくて、このままだと自分のことを世界で一番嫌いになってしまいそうだったからなのだと思う。


 白を基調とした店内で、カナちゃんはわたしの発する重苦しい緊張感や気まずさを全く感じ取ろうとせずに、わたしが残したよくわからないパンケーキをちびちびと食べている。わたしはカナちゃんが食べている間することがなくて、厚紙でできたオシャレっぽいコースター少しずつ曲げていたが、それにも飽きてカナちゃんがパンケーキを2センチ角くらいに切って少しずつ胃に納めているのを見つめていた。しかし、カナちゃんが食べ終わるのを待ちきれなくなって口を開いた。

「あのな、わたしオカザキのこと好きやってん」

そう言うと、カナちゃんは一瞬動きを止めた。しかし、なんでもないことのように

「あ、そうだったんだ」

と言って再び手を動かし始め、2センチ角のパンケーキを口に運んだ。そして必要以上にゆっくりとした動作でフォークを皿に置いた後、紅茶でパンケーキを流し込んだ。その様子が妙にムカついて、じっとカナちゃんを見つめていたが、ふと目があって気まずくなったので再びコースターをいじることにした。

「オカザキのことめっちゃ好きやってん。やからな、いつもみたいに適当にそういうことせえへんかってん、絶対。めっちゃ好きやったから、ちゃんとちょっとずつオカザキに好きになってもらわなあかんと思ったから。ほんでもな、カナちゃんとオカザキ付き合う時さあ、なんの前触れもなく急にそういうことして、付き合うことになったやろ? やから、別にカナちゃんもオカザキも悪ないねんけど、めちゃくちゃむかついてん。最初の方はカナちゃんのことも知らんかったしさ、はよ別れろとか思っとってん」

一息でそう言ってカナちゃんのほうを見ると、カナちゃんは眉をひそめてお皿に残ったパンケーキを見つめていた。カナちゃんのここまで険しい表情を見るのは初めてだったので、少し怖くなって言い訳をするみたいに言葉を続ける。

「でもな、カナちゃんに会ってみたらめちゃええ人やし、私ダサいのに一緒に買いもんとか行ってくれるし、オカザキにべたべたしても何も言わへんし『あー、もうやっぱり勝てへんな』と思ってん。ほんでしかもカナちゃんと普通に仲良くなってもたし。それで、オカザキのこともだんだん普通の友達みたいに思えるようになってん。多分今はもうちょっとしか好きちゃうと思う」

これは半分くらい本当のことだ。ただ、わたしはオカザキのことを普通の友達だとはとても思えない。カナちゃんはパンケーキを見つめるのをやめて、わたしの目をしっかりと捉えて口を開いた。

「あの、オカザキ君にベタベタくっついてたのってわざとなの?」
「うん。あのときはまだめちゃくちゃオカザキのこと好きやったし、カナちゃんのこと嫌いやったから」
「そっか」
「うん」

 カナちゃんは話の内容に困惑しているというよりも、今この状況でこんな話をする私に困惑しているようだった。これはわたしの悪い癖なのだけど、言い辛いことを言う時にありえないほど遠回りをして話の核心に向かおうとするため、無駄に前置きが長くなってしまうのだ。わたしは、話の核心に向かうことに決めて、ずっといじっていたコースターを机に置いた。そしてカナちゃんのほうを見ると、カナちゃんもこちらを見ていた。

「でもな、私な、ていうか私とオカザキな、結婚すると思う。たぶん、近いうちに」
「は?」

この時点でもう既に逃げてしまいたかったが、わたしは目をそらして話を続けた。

「子供、できてん。あのな、別にカナちゃんのこと裏切ったとかじゃないし、浮気とかそういうのちゃうと思うねん。なんか結構酔っ払ってて『一回試してみよか』みたいになって、ちゃんと避妊もしてん。でも、できてもてオカザキに言うて、堕ろすお金借りようと思ってんけど、言うたら『堕ろしたらあかん』って言われて」

 わたしは、少し嘘をついた。あのとき、オカザキはおそらく素面だったし、わたしもそこまで酔っ払ってはいなかった。そして、避妊はほぼしていないようなものだった。でもこれらの嘘がカナちゃんに露呈することはおそらく一生なくて、これらを馬鹿正直に伝えたところでカナちゃんの受けるショックが大きくなるだけなのではないかと思うと、つい嘘をついてしまった。

 オカザキに子供のことを伝えたのは、3日ほど前だ。最初は全く信じなかったのだが、呼び出して陽性の検査薬を見せるとあっさりと信じた。堕ろすためのお金を貸してくれ、と言うと「本当に俺の子?」と聞かれ、無言で頷くと「じゃあ堕さないで。結婚しよ」と言った。わたしはオカザキが思いの外あっさりと結婚と言ったことにとてつもなく驚き、同時に戸惑った。確かにオカザキのことは今でも憎からず思っているのだけれど、子供ができたからって何も結婚することはないだろう、と思ったのだ。だいたい、オカザキもわたしも定職に就いていないし、結婚して子供を産んだところでみんな不幸になるだけではないのか、と思ったのだ。それをオカザキに伝えると、

「マイちゃんはそういうこと心配しなくていいよ」

となんとも無責任なことを言った。わたしはもう十二分に疲れていて、何も考えたくなかったのでオカザキの言う通りにしようと思った。

 ただ、一つだけオカザキに頼んだことがあった。それは、このことをカナちゃんにはわたしから伝えたい、ということだった。オカザキは猛烈に反対して、それなら自分も同席する、と言い張ったが、わたしはどうしても、と頼み込んだ。オカザキは頑として譲らなかったし、わたしにもオカザキを納得させる十分な理由を見つけられなかったのでただただ子供のようにごねるしかなかったが、あまりにわたしが折れないので最終的には根負けしたオカザキが折れた。

 普通に考えて、オカザキから伝えるのが最良の選択だと思うし、わたしから伝えるのは明らかに変だということはわかっていた。ただ、どうしてもわたしからカナちゃんに伝えたかったのだ。この先、オカザキとわたしの関係がどうなるのかは全くもって予測できないけれど、もしもオカザキからカナちゃんにこのことを伝えたならば、わたしはこのまま一生カナちゃんに会うことはなかったと思う。それが恐ろしかったのだ。カナちゃんがわたしのことをどう思っているのか、全く知らないままに暮らすのはどうしても嫌だった。

「あのさ、ほんとにオカザキ君とマイちゃんの子供?」

しばらく黙り込んでいると、カナちゃんがそう尋ねてきた。やっぱりみんな最初に気になるのはそこなんだ、と思うと内心苦笑するしかなくなった。オカザキとカナちゃんが付き合い始めた当初こそ、わたしは手当たり次第に男と寝ていたが、最近はまったくそんなこともなくなっていたのだ。それでも、やっぱり一度刷り込まれたイメージは簡単には変わらないものなのだろう。カナちゃんの目をしっかりと見つめて肯定すると、カナちゃんもこちらを見つめたまま、

 「絶対に?」

と念を押して確認するみたいに言った。

「絶対」

そう答えると、カナちゃんは気が抜けたみたいに椅子の背もたれに体重を預け、小さな声で「そっか」と言った。その声が少し震えていたので、わたしは本当に申し訳ない気持ちになって、カナちゃんに負けず劣らず小さな声で「うん。ごめん」と呟くように言った。

 すると、カナちゃんは急にクスクスと笑い始めた。わたしはそれをただただ呆然と見ていた。報告するにあたって、返されるであろうリアクションを想像していたのだけど、まさか笑い出すとは夢にも思わなかった。カナちゃんのことだから、さめざめと泣くとか、烈火のごとく怒って飲み物をわたしに引っ掛けるだとか、そういう定番のリアクションを返してくるのだろうと思い込んでいたので、笑い出したカナちゃんを前にわたしは相当面食らっていた。カナちゃんはこちらを見ると、さらにケラケラと笑いながら、

「ごめん、なんかマイちゃん、やっぱりやるなあ、と思ったら面白くなってきちゃって」

と言った。言いながら、カナちゃんの目は徐々に潤んできていた。ただ、それが悲しみの涙なのか、笑いすぎて生理的に出てくる涙なのかがわからなくて、カナちゃんが笑っているのに合わせて微笑みながら、カナちゃんに言うべき言葉を探していた。

「オカザキって思ったよりうまいねんな」

 カナちゃんの目から涙が溢れる前に何か言わなければ、と焦って思いついた言葉をそのまま口にしたのだけど、最悪のチョイスだった。しかし、カナちゃんは相変わらずケラケラと笑って「確かに思ったよりうまいよねえ」なんて言って目尻から涙を拭っている。

 その時、わたしはカナちゃんのことを友達として結構好きだったのだ、ということに初めて気がついた。


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