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教養ってなんだろう?

 最近、タイトルに教養とつく本をよく見かけませんか?
 教養としての投資、教養としてのアート、教養としての哲学、教養としてのサウナ、教養としてのアントニオ猪木、、、
 一体、教養って何なんだろう。


1.教養って何だろう?

 先人が書かれた本を参照してみると、色々な定義が書かれています。

人と人との関係の中で自分自身の立ち位置を認識して、そして周りの人たちに影響してより良い方向に導いていこうとする姿勢やその状態 

「「教養」とは何か」阿部 謹也

社会の担い手であることを自覚し、公共圏における議論を通じて、未来へ向けて社会を改善し存続させようとする存在」であるために必要な素養・能力(市民的器量)であり、また、己に「規矩」を課すことによってそうした素養・能力を持つ人格へと形成するための過程 

「教養の書」戸田山 和久

人生における面白いことを増やすためのツールであるとともに、グローバル化したビジネス社会を生き抜くための最強の武器 

「人生を面白くする 本物の教養」出口 治明

 いずれも納得できるものばかりです。
 せっかくなので自分の言葉に変換すると、「情報を料理する能力」であると考えています。
 仕入れた情報をそのままにせず、自分の好みに加工して活用すること。
 より簡潔にいうと、情報生産性とも言い換えられるかもしれません。 

2.教養を高める方法は?

 最近のトレンドとしては、『ファスト教養』が指摘しているように、(主にビジネスの)役に立ちそうな知識を手っ取り早く大雑把に大量に仕入れることだと思います。
 しかし、それは教養を高めることには繋がらないと思います。

 アウトプット = 情報量 × 情報生産性

 ファスト教養的なものは、情報量を増やすことでアウトプットを増大させるアプローチであると思います。
 しかし、それでは情報生産性(=教養)を高めることに繋がっていません。

 では、情報生産性を高めるにはどうすれば良いか。
 「既に手元にあるものを見直すこと」が重要であると考えます。

 対象を何度も角度を変え分解し、再統合すること。
 その繰り返しが情報を生産する能力を身に着けるためには必要だと思います。
 常に新しいものを追い求め、表層を享受することとは対象的です。
 そういう意味で、教養は古典と相性がよいのでしょうが、必ずしも世間一般でいう古典に縛られる必要はありません。
 自分が既に手元に持っているものが、自分にとっての古典なのです。

3.教養を高た方がいいのはなぜ?

 そもそも、なぜ教養を高めた方がいいのでしょうか?
 私にとっては、単純に「その方が楽しいから」だと思います。

 もちろん、インスタントな情報を増やすことでアウトプットの効率を上げるというのもよいことです。
 しかし、それは他人の受け売りを横流ししているにすぎません。
 自分なりにプラスアルファを加えた方が楽しいと思うのです。

 冒頭の料理の例えに戻ると、掘り出したジャガイモをそのまま食べているような状態です。
 水洗いして、芽をとって皮むいて、ふかして食べた方が美味しいですよね?
 気分次第でフライドポテトにしたり、じゃがバターにしたりとアレンジしたくないでしょうか。
 情報も同じで、自分なりに工夫をして変換して活用した方が楽しいと思うのです。

 確かに、スピードが増し、情報が氾濫する社会でゆっくりと既に手元にあるものを見直すのは難しいかもしれません。
 過去記事でも触れておりますが、「内省の時間を確保すること」はこれから重要なスキルになるのではないでしょうか。

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