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相手からのメールの文末が『。』で終わっていると、「え? もしかして怒ってる?」とたじろいでしまうよね。『デタラメだもの』

メールなど文字でコミュニケーションをとっていると、時に「アレ? この人、もしかして怒ってるんじゃね?」と心配になってしまうことがある。よく新人営業マンが上司から、「メールなんかでやり取りしてんじゃねぇ! 電話でやれ電話で! 電話のほうが相手の声のトーンだったりテンションだったりが掴めるだろ? そうしなきゃ新規案件なんて穫れるわけねぇだろ、バカッ!」というアレである。

だからといって、電話は電話でいろいろありまして、「いきなり電話かけちゃうけど、迷惑じゃないかしらん。今現在、別のことに没頭してらっしゃるかもしれないのに、不躾に電話なんか鳴らしちゃって、手を止めてしまわないだろうか。しかも相手は人格の優れたお人。きっと、『今、なにもしてないから大丈夫だよ』なんて言って、せわしないその手を止めて、こっちの相手をしてくれるに決まってる」と、そんな未来が見えちゃうもんだから、電話っつうのは、かける手が止まるよね。

そんなことより、メールなど文字でコミュニケーションをとっている時に、「相手が怒っているんじゃね?」と、なぜ感じてしまうかについて語りたい。答えはシンプルだ。それは、文章の末尾を句点で締められたりすることがあるからだ。要するに『。』ね。これで文章を締められちゃうと、すっごく威圧感があるわけで、見た瞬間に膝が折れ曲がりそうになる。なんで膝が折れ曲がるのかって? 土下座するためだよ、土下座。

特に、日頃からとても陽気で、会った時なんかにはギャグの4~5個がポンポンと飛び出すようなひょうきんな相手であれば、尚のこと威圧感は凄みを増す。「そんなアホな! ワテはただのおっさんでっせぇ! ほんま毎度やで! ほんま毎度やで!」と、ひょうきんを絵に描いたような気さくな人のはずなのに、ある用件を確認したメールの返事が、『はい。それでお願い致します。』なんて返ってきたとしたら。「相手を怒らせてしまったのだろうか?」「土下座したほうがいい?」と、膝が即座に折れ曲がってしまうわけだ。

実際に会っている時の温度と、『。』で締めくくられる文章との温度差がエグ過ぎて。また、『。』で締めくくられる文章からは、到底その人本来の人間味を感じ得ないわけで、その結果として、「不機嫌なのだろうか?」「怒らせてしまったのだろうか?」「実は嫌われているんじゃないだろうか?」「土下座したほうがいいのだろうか?」に結びついてしまうわけ。

なぜこんな風に感じてしまうとかというと、こういったコミュニケーション齟齬のリスクを軽減してくれるアイテムが世の中には数種類あるにも関わらず、それが利用されていないことで、一抹の不安を覚えてしまうのだ。それは何かって言うと、『!』を使って文末を締めくくる手法であったり、顔文字や絵文字で遊び心をプラスしてみたり、はたまたスタンプを送ってみたり。これらを駆使すれば、相手に対して、「もしかして怒ってはる?」という恐怖心を植え付けなくて済む。

先ほどの例文を見てみると、『はい。それでお願い致します。』という返信よりも、『はい! それでお願い致します!』に変わるだけで、一気に文章が弾む。文末を『!』に変えるだけで、これほどに世界は明るさを増す。にも関わらず、『はい。それでお願い致します。』という文章が今日も僕を恐怖のどん底に突き落とす。はぁ、土下座土下座。

人間というのは実に珍妙な生き物で、誰だって文末を『。』で締められることに対しては、少なからず威圧感を覚えるはずだ。だから、顔文字や絵文字の使用を推奨したほうがいいに決まっている。それなのに、「未だに顔文字使ってるのって、おじさんだよねぇ」と、若い子たちは生き辛い世の中へとグイグイ追い込んでくる。こっちとしては、老いも若きも流行りも廃りも関係なく、ただ単に文末の『。』を回避したいがために使用しているだけなのに、おっさんだよねぇと言ってのけるナウでヤングな若者たち。そんなことを言われてしまっては、二度と使えないじゃあないの。

顔文字の使用が封印されてしまったことにより、絵文字の使用に切り替えてみた。するとどうだ。「男のクセに絵文字を多用するのって、引いちゃうよねぇ」ときたもんだ。どうやら男という生き物が一度の活字コミュニケーションにおいて使ってもよい絵文字の数の許容範囲というのが定められているらしい。それを逸脱してしまうと、引かれてしまうようだ。そんなことを言われてしまったら恐くて使えないじゃあないの。なんのために絵文字ってやつは、あんなにも可愛らしく設えられているのさ。ルールなど設けずに、楽しく使いましょうね、というアットホームなアイテムじゃないの?

不運なことに絵文字の使用まで封印されてしまった。こうなればもう、スタンプしかない。そう考え、個性的なスタンプを選び出しては使用するように心がけていると、次はこう来た。「スタンプだけで返事する人って、手抜きコミュニケーションだよね。心こもってないし、なんか適当って感じするよね」らしい。愛らしさ、表現力、個性、いずれをとっても顔文字、絵文字じゃ到底演出できないほど凝りに凝ったスタンプというアイテムが、完全に裏目に出ちゃってるじゃないの。こっちだって活字で送りたいさ。スタンプなんかに頼りたくないさ。でも、活字でやり取りすると、『。』が、相手に威圧感を与えてしまい兼ねない。だから苦心しているのに。ぐすん。

もう道具には頼るまい。活字を愛する人間は、活字で何とかしよう。日本中の誰もが『。』で文末を締めるようになったとしても、こっちは『!』を貫き通してやろう。世界を明るく照らすんだ。暗くなんかしてたまるか。土下座はもうまっぴらだ。ということで、全ての文末を『!』で締めることに決めた。

『関係各位! 今回のプロジェクトももうすぐ終了を迎えます! しかし、より良い結果を生むために、少し体制を変更しましょう! 今日中には新体制案を提出しますので、目を通しておいてください! また、週明けには本件について一度、会議を開きましょう! よろしくお願いいたします! あと、先週末、繁華街を歩いていたのですが、本部長が奥さんじゃない人と腕を組んで歩いているのを目撃しちゃったんです! 相手は誰だと思います! 常務ですよ常務! 酩酊して介抱し合いながら帰っているみたいでした!』

うーん。弾んではいるが、どこか稚拙だ。人生をナメているようにすら感じるし、真剣に仕事に取り組んでいない気もする。新体制案には目を通す必要がなさそうだし、会議には不参加を表明したい。あと、本部長と常務のことをバカにしている様子も感じ取れるし、こんな奴は、即座に降格させたほうがいい社員だと言えるだろう。最強説が出ていた『!』案も封じられてしまうのだろうか。

『関係各位 今回のプロジェクトももうすぐ終了を迎えます。しかし、より良い結果を生むために、少し体制を変更しましょう。今日中には新体制案を提出しますので、目を通しておいてください。また、週明けには本件について一度、会議を開きましょう。よろしくお願いいたします。あと、先週末、繁華街を歩いていたのですが、本部長が奥さんじゃない人と腕を組んで歩いているのを目撃しちゃったんです。相手は誰だと思います。常務ですよ常務。酩酊して介抱し合いながら帰っているみたいでした。』

実にクールだ。温度がない。弾んでもないし、面白みもない。こんな無表情な文章を他人に送っちゃだめでしょ。新体制の提案も会議の予定も、どこか高圧的だ。きっと相手も、このメールを受け取った後、即座に土下座しているに決まっている。そんな脅迫まがいのことしちゃダメだ。

悩み抜いた末、文末に『笑』をつけて、文章にスマイルを添えてやることにした。『今回のプロジェクトももうすぐ終了を迎えます笑』。おお、一気に活字が微笑んだよ。言葉に和みが生まれたよ。と、一人で喜んでいると、「もう、『笑』をつけるのなんて古いですよ」とどこからかツッコミが入った。『笑』を使うことすら封印されてしまい、以後、僕の書く文章から「笑い」が消えてしまったことは言うまでもない。

デタラメだもの。

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