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いちいち髪型を気にする必要がなくなる、画期的なアイデアを思いついたのだが。『デタラメだもの』

公衆トイレで用を足し、洗面台で手を洗っていると、たまにこういう場面に出くわす。洗面台の隣に立つ年頃の男子が、鏡に向かい、一心不乱に髪型をセットしているという状況。

年齢とともに、髪型の決まり具合を綿密に確認するようなことはなくなった。ただ、あまりにも鏡を見ずに過ごしていると、顔面に何か付着していないだろうかとか、余計な毛が余計な部分から生えてやしないだろうかとか、少しはチェックしたくもなる。

しかし、洗面台の前に二人の男が立ち並び、己の状態をチェックしている様子は何だかこっ恥ずかしく、そんな折には、サッと手だけを洗って退出するようにしている。そうやってどんどんと、鏡に己を映し、己の状態をチェックする機会を損失していくんだよなあ。

と、ブツブツ言いながらトイレを後にすると、付近で待つ女子を見かけることがある。おそらく、洗面台で髪型を入念に整えていた男子の彼女であろう。彼が用を足し、トイレから出てくるのを待っている様子だ。もしかしたら、デートの合間のワンシーンなのかもしれない。

そりゃ、彼女とのデートなら仕方がないわな。あれだけ入念に髪型を整えたくなる気持ちもわかる。髪型の決まり具合を最高の域に達するまでメンテナンスした上で、彼女とトイレ後の再会をしたいわな。彼女には最も男前の自分を見て欲しいに決まっている。

と、そこでふと思った。髪型を気にするという行為には、視点を変えるべきポイントがあるんじゃないだろうか、と。もしかすると、すごく重大なことに気づいてしまったかもしれない。どうしよう、どうしよう。気づいてしまったぞ。心拍数が上がりはじめた。ドクンドクン。

若かりし頃は、誰しも過剰なほどの自意識を持っているはずだ。しきりに他人の目を気にしてしまうし、他人から見た自分を強く意識してしまう。洗面台で髪型を整えていた彼のように、前髪の分け目の数ミリですら、微調整しなくちゃ気が済まないほどに、自分を完璧に保ちたくなる。

思い返せば例にも漏れず、若かりし頃はそうだった。出かける前には髪型を神経質なまでに気にし、前髪の分け目の数ミリを微調整。自分の中で納得できて、ようやく家を出る。常に完璧を維持しておかなければ、いつ何どき、友人知人と出くわすかも。誰がどこで自分を見ているかわからない。抜かりなきようメンテナンスしておかなければ。

電車に乗るべく、地下鉄の駅を目指す。地下へと潜る階段を降り始めると、あろうことか、地上に向かって地下から突風が吹き上げてくる。下から煽られた髪の毛は、悪気もなく縦横無尽に乱れる。そして、髪の毛に手を当ててみると、ボッサボサになっている状態に気づかされる。ぐぬぬ。寸分の狂いもないほど完璧に整えてきたのに。

自転車を漕いでいてもそうだ。向かい風が吹いてくることなんて日常茶飯事。その都度、髪の毛は悪気もなく散り散りに乱れる。セットしていた状態の面影など微塵も残さぬほどに乱れてしまうのだよベイビー。そして人は気づくわけ。「こんなん、入念にセットしていても意味ないやん」と。ちなみに、それこそが大人の階段を登り始める第一歩なわけさ。

前述で、重大なことに気づいたと言い放った。それは何かと言うと、地球に風はつきもの。それを避けては生きれまい。いつ何どき、突風に襲われるかわからない。それなのに皆、風が吹かぬ前提で髪型をセットしていらっしゃる。風が吹かぬ前提で、己の髪型のベストを設定しているわけだ。ここに落とし穴がある。

美容院や理容室で髪型を整えてもらったあと、「スタイリングしますか?」と提案を受け、「はい、お願いします」と答えれば、美容師さんや理容師さんは、ワックスやらクリームやらスプレーやらを多用し、その髪型が最も映える状態に整えてくれる。そして、その仕上がりを記憶し、日々のメンテナンス時にはその状態に近づけようと、ミリ単位の調整に励むわけだ。

どうせ、風にやられるんだぜ。どうせ、突風は吹くんだぜ。地下から吹き上げる風の強さを見くびってもらっちゃ困る。繊細なスタイリングなんて、情け容赦なく破壊していくんだぜ。

風を織り込まずに髪型を決めているもんだから、風が吹けばその都度、髪型を整え直さなくてはならない。完璧な状態からはほど遠い仕上がりになってしまうもんだから、修復作業は困難を極める。

近くにトイレがあれば、駆け込んで洗面台へ。トイレがなければ、どこかのショップのショーウインドウに映る姿を見ながら。ショップがなければ、車のガラスに映る自分を見ながら。車がなければ、スマートフォンの鏡アプリなどを使い、入念に整え直していく。周囲からナルシストと言われようが、自分の思う完璧な状態に、髪型を整えたくなるんだ。

さて。発想を転換してみよう。そう。いつだって風は吹く。髪型は乱れる。その都度、ナルシスト。また風が吹く。乱れてナルシスト。この無限ループを断ち切る方法は、こうだ。風に吹かれて乱れた状態でこそ、ベストを迎える髪型にしてしまえばいいんだ。はなから風に吹かれることを織り込んでおくということ。はははん。腰を抜かすほど画期的な方法だね。

風が吹き、乱れた髪型をシミュレーションし、その状態こそが最も映える髪型を選び出す。もちろん美容師さん理容師さんにもその旨を伝え、協力体制を得たうえで、最終形態を仕上げていく。

スタイリングの方法はどうすればいい? 大丈夫。ドライヤーで人工的な風を起こせるじゃないの。自宅ではドライヤーで髪を乱し――おっと、語弊があった、乱れてこそ完成する髪型だもの、乱れるという表現はふさわしくないな――もとい、ドライヤーで髪を整え、そのまま外出。急な風が吹けば、髪型の磨きに拍車がかかる。吹けば吹くほど、最高潮を迎える。地下から吹き上げる突風なんて千載一遇のチャンスなわけだ。

どうだろう。こうすることで、髪型の崩れをいちいち気にする必要はなくなるし、風に吹かれた刹那、「髪型が乱れて変な感じになっちゃってる」という負の感情を抱く必要もなくなる。

風が吹くたびに髪型を整える無駄な時間も削れる。その時間を、彼女との有意義なデートの時間に充ててあげればいいわけだ。そして何より、ナルシストと呼ばれることもなくなるだろう。

ファッション界などが牽引し、風が吹いてこその髪型が、最も主流だというように流行りを操作してもらいたい。そうすると、国民全てが髪型を整え直す時間を割かなくなり、別のことに時間を使い始める。そう。一人ひとりの可処分時間が増えるわけだ。

結果的に、エンタメ業界が潤い始めるし、可処分時間を有意義に過ごそうと、消費活動も活発になるかもしれない。そうすれば経済だって活性化する。髪型を気にする時間で奪われていた恋人との時間も満たされ、より愛情が深まる。その結果、少子化対策にも寄与するかもしれない。

これで日本が良くなるぞと胸を躍らせていると、襲ってきた突風に手持ちの書類が吹き飛ばされ、ヒラリヒラリと風に舞う。走ってキャッチしようと試みたが、書類は水たまりへ。拾い上げてみるとそれは重要な契約書類だった。「嗚呼、案件がひとつ消失してしまった」。仕方がない、可処分時間を仕事に充て、モーレツに働く他ない。今日も明日も明後日も、我々の自由は風に吹かれているんだね。

デタラメだもの。


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