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トラブルと背中あわせのNY住まいさがし

今回のテーマ:住まい

by  らうす・こんぶ

私はニューヨークに21年暮らし、その間、8箇所に住んだ。ニューヨークのアパートは日本の感覚からするとかなり状態が悪いのに家賃が高いので、自分の予算で借りられるアパートに満足できたことがなかった。

部屋が狭すぎる。ゴキブリが多い。ネズミが多い。ルームメイトがいるとシャワーやキッチンが使いたい時に使えない。隣や上の階の人が出す騒音で眠れない。近所で何かというと夜中までどんちゃん騒ぎをする。壁が薄くて隣の物音が気になる。電気のアンペア数が少なすぎて、すぐにビルごと停電になる。年に数回、パイプが詰まってビル全体の水が出なくなる。目の前が消防署で夜中でもサイレンの音で叩き起こされる。冬に十分暖房が入らない。カリビアンの人たちが多いアパートに住んでいたときは、何の料理かわからないが、日本人には馴染みのない食べ物の匂いが気になった。何度もいい加減に壁やドアのペンキを塗り直すので、ペンキの厚みでドアがちゃんと閉まらない。コンセントがペンキで塞がれてプラグを差し込めない。などなど。以上、ぜ〜んぶ私が体験したトラブルだ。

日本に住んでいてもゴキブリくらいは出ることがあるが、それ以外、こんなトラブルは日本ではなかなか経験できないだろう。そういう意味では貴重な経験をしたと(自虐的に)言えなくもない。

そんなわけで少しでも経済的に余裕ができてましなアパートが借りられるようになると引っ越していたので、21年間で8箇所に住むようなことになってしまった。だから、私のニューヨーク暮らしを本にするとしたら、「住まい編」だけで1冊になるほどエピソードがある。でも、ここではそんなにたくさん披露できないのでひとつだけご紹介しよう。

私がニューヨークに行って間もない20年ほど前、学生やお金があまりない人たちは、不動産仲介業者を通すか、日本のスーパーの入り口などに貼ってある張り紙を見てアパートを探すのが普通だった。ニューヨークに行ったばかりでまだ右も左も分からない頃は、自分でアパートを借りて契約するとなると大変だし初期費用もかかるので、お金があまりない人(私!)はルームメイト募集の張り紙を見ては公衆電話から電話して、その部屋を見に行くということを繰り返して探していた。

その頃はケータイを持ってなかったし、ニューヨークの公衆電話は3台に1台は壊れているような状態で、お金を入れても通話できなかったり、しかも入れたお金が戻ってこないようなこともままあって、張り紙の主と連絡を取るだけでも容易なことではなかった。

ようやく連絡が取れて、道順を聞いてその部屋を見に行く。ニューヨークの地理にまだ慣れていない頃で、地下鉄であっちこっちの駅に降りて部屋を見に行くのは楽しかった。どんなコミュニティで、どんな部屋で、どんな人が住んでいるんだろうと、いつもワクワクしながら部屋を見に行った。いろんな国から来た人や、日本から夢を求めてきた若者たちの暮らしぶりが垣間見えるのも珍しくておもしろかった。

家賃と部屋の広さばかり気にしていて、部屋を見に行ったらちょっと治安の悪い場所だった(何しろ、予算が限られているので、家賃の安さで探すとそういうことになってしまう)というようなことがあったり、なんとか店子を獲得したい大家さんがボーッとした日本人(私!)を言葉巧みに誘導しようとすることも少なくなかった。さいわい変な人に騙されて条件の悪い部屋を高く借りる羽目になったとか、そういう目には合わなかったけれど。ニューヨークでは部屋探しひとつとっても、慣れないうちはけっこうなアドベンチャーだった。

で、私が巻き込まれそうになった出来事。部屋探しがひと段落して、結局アメリカ人の知人の、一般的にブラウンストーンと言われる戸建ての1階に住まわせてもらうことになった。そこは広いし、上の階には知人の夫婦が住んでいるので安心で申し分ない部屋だったが、1階で通りに面しているから窓を開けられないことと、日が差し込まなくて1日中暗いのが難点だった。それでも、とにかく私の新しい生活が始まった。

すると、あるとき、知らない日本人女性から電話がかかってきた。私にナントカいう男性の居場所を知らないかというのだ。なんだか私は疑われているらしい。で、話を聞くと、その女性はナントカいうアメリカ人(かな?)の男性とルームシェアしていたが、ある日突然、彼女の家財道具を持ってとんずらしてしまったというのだ。

どうして私が疑われたかというと…。部屋探しをしていた時に、私は部屋を見せてもらうためにあちこちに電話したり、留守電メッセージを残しておいたりした。私が張り紙を見て留守電メッセージを残した相手のひとりが、その日本人女性のとんずらしたルームメイトだったと、こういうことだったらしい。結局その人からは電話がなかったので、私はその部屋は見に行かなかったし、その男性と会ってもいないのだが、私の留守電メッセージがまだ電話機に残っていたので、それで私に電話をかけてきたということだった。

私はなんとか無事に21年間のニューヨーク生活を終えて帰国したが、その間大きなトラブルに遭遇しなかった(しても、助けてくれる人がいた)ことは素晴らしく幸運だったなあと思う。



らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。
らうす・こんぶのnote: 

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