「それぞれのおうちごはん」第3話~お母さんのオムライス
彼は自分の目の前のオムライスにスプーンを挿しいれた。レトロな洋食店ならではの銀色の楕円のお皿に、たっぷりケチャップのかかった黄色い玉子とその中に包まれた赤いチキンライス。
「どう? ひと口食べてみる?」
みずから食べる前に、わたしにそうやってシェアしてくれようとする。彼はそんな人だ。一緒に過ごす時間は、基本的に居心地よくて、いつの間にか3年が経った。結婚しようといってくれたのは半年前のことだった。わたしは自然に受け入れた。
「ううん、いい。もうすぐハンバーグもくるし」
「そう。じゃお先に」といって彼はケチャップたっぷりのオムライスを食べはじめた。
「おいしい?」と訊くと、目を大きく開いてうなずく。満足そうな表情だったので、なんだかこっちまで嬉しくなってしまった。
しばらくしてわたしの前にもお皿が現れた。グラスビールで口を潤した合間にこれから観にいく映画の話をしたり、いよいよ来週末に迫った両方の親同士の顔合わせの話をしたりした。そんなときだった。
「ねえ、ほんとにいいの?」と彼がオムライスのお皿をこちらに差し出そうとした。
「いらいなってば」
すこし口調が強かったのかもしれない。そのあと少しの間すべての話題は止んで、わたしたちは食事に没頭した。
オムライスはきらいじゃない。ケチャップ味も大好きだ。でも、わたしにとってその印象的な黄色と赤の色彩は、あの頃のすこし苦い思い出につながっているのだ。
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「こんな小さくていいの?」
母はわたしが差し出したお弁当箱を手に、目を丸くしていった。
「いいの。明日からこれにして。ダイエットするから。それに、わたしだけ、あんなに大きいお弁当持ってたら、お昼ごはんのとき恥ずかしいんだもん」
母は料理が上手な人で、わたしのお弁当はクラスでも有名だった。おいしそう。豪華、立派、羨ましい。お昼になると、みんなが母の作ったお弁当を覗き込んだ。エビフライに鶏の照り焼き、玉子焼きに椎茸のマヨネーズ焼き、ミートボール。千切りにしたにんじんのサラダもきれいで好きだった。そして、毎朝彩りよく詰められたお弁当を見て喜ぶわたしの姿に、母は嬉しそうだった。
あるときわたしは母に訊いたことがある。
「毎日お弁当作るのって大変じゃない」
それはどんな気持ちからだったのだろう。たぶん、クラスメートのひとりが、自分でお弁当を作っているという話を聞き、そして彼女が毎朝大変なんだよといっていたのが印象に残っていたのだと思う。
それを聞いた母はほほ笑んでこういった。
「そうね、面倒なときもあるけど、お昼に食べる姿を想像しながらお弁当を用意するのって、わたしの毎朝の楽しみなのよ」
でも、わたしはそんな母の楽しみを奪ってしまった。
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あの頃、わたしたちは競ったようにお弁当箱を小さくしていった。今になって振り返ると、育ち盛りによくあれで足りていたものだと思う。
当時のわたしは身長も体重も至って平均的だった。だから体重を減らすことが目的だったとは思わない。あれはただ、食べる量を減らすことだけが目的だった。
その証拠に、脂ものを控えようとか、たんぱく質を多くとろうとか、そんなことは考えなかったし、毎朝早く起きて走るとか、電車に乗っていた移動を徒歩に代えてみようとか、そんなことすらしようと思ったことがなかった。
ただただ、友人と比べて、競うように食事の量を抑えるという行為だった。
あれは思春期の一瞬の熱病のようなものだったのだろうか。今の高校生たちはどうなんだろう。おなじ熱にうかされているのだろうか。
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わたしの食事制限はお弁当だけに限らなかった。朝ごはんを抜くようになり、夕ごはんのハンバーグは小さくしてもらった。日曜のお昼のオムライスもどんどん小さくなっていった。すべてはわたしのリクエストで、母は困ったわねぇとこぼしながらも、娘の願いにこたえてくれていた。
そんなある日曜日のお昼だった。その日、父は朝からゴルフに出かけていて、お昼は母とふたりだった。
「オムライスできたよ」
母の声に、わたしは食卓に向かった。そしてお皿に載った黄色い塊を見ていった。
「なんか……大きくない?」
目の前にあるオムライスは、いつしか見慣れるようになったわたしサイズより、明らかにひとまわり以上大きかった。
不機嫌になったわたしの目を見ながら、母は向かいに座って、自分の分のオムライスをひと口食べた。
「あのね、このオムライスは大丈夫なの。実はちょっと秘密があって、ごはんの量はいつもより少ないくらいにしてあるんだよ。そのかわり、玉ねぎを半分としめじとえのきをたっぷり刻んで、それを合わせてみたの。お肉は鶏の胸肉の皮を外してあるから。ほら、ずっとダイエットを気にしてるから、わたしも色々調べてみて……」
話し続ける母の言葉を遮るようにテーブルを両手でたたくと、わたしはそのままオムライスの上にスプーンを突き刺して、そして家を飛び出してしまった。
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「で、どうなったの」
2本目の缶ビールを冷蔵庫から取り出しながら、彼が訊いた。シャワーを浴びた髪を乾かしているわたしの前のグラスが黄金色の液体で満たされる。
「最終的には謝ったよ」わたしはグラスの中身を半分のどに流し込んだ。「その日、家を飛び出したあと、近くの商店街をぶらぶらしてたの。そしたら、クラスの子とばったり会ったの。その子ね、いつも自分でお弁当を作ってきてる子でね、クラスでも有名な料理好きの子だったんだよね。ふだんはそんなに話すほうでもなかったんだけど、そのときはなんとなく彼女に、お母さんとお昼ごはんのことで喧嘩して、家を飛び出してきたんだって話したのね」
そしてオムライスのいきさつを話すと、彼女は、こう教えてくれたのだ。
「それはあんたが悪いよ。お母さん、心配してたんだね。わたしもさ、みんなのお弁当箱のサイズ、ずっと気になってたんだよね」
そういえば、彼女のお弁当箱は、一年前のわたしのものとおなじくらいのサイズだった。
「いってなかったかもしれないけど、わたしね、将来栄養士になりたいんだ。わたしの立場からいわせてもらうと、みんなのお弁当は運動量に対して絶対的にカロリーが足りないと思う。それにきっと、おうちのごはんだって少なめに少なめにってしてるんでしょ。毎日作ってくれてるお母さんからしたら、そりゃ心配だよ。だからダイエットのこと、お母さんなりに勉強したんじゃないかな」
「勉強?」
「そう。お母さんのオムライス、たぶん糖質を減らして作ってくれたんだよ」
友人はわたしに詳しく、糖質制限の効果を説明してくれた。
そういえば、彼女のお弁当は、野菜を使ったおかずがたくさん入っていたと思う。めんどうだといいながら、毎朝それを作っているのは、料理が好きだという動機だけだと思っていたけれど、目標があったことを知らされた。彼女いわく自分のお弁当は、クラスの流行よりひとまわり大きくても、カロリーに大差はなく、そして栄養は豊富だと教えられた。
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夕方近くまで商店街のハンバーガーショップで話し込んだあと、彼女は帰宅するわたしに連れ添ってくれた。そして、ばつが悪そうに家のチャイムを押したわたしの横で、母にこう挨拶した。
「お母さんのお弁当、ずっと憧れてたんです。毎朝あんな豪華なお弁当を用意してるって聞いて尊敬してました。わたし、料理が大好きで、いつかチャンスがあれば、あのお弁当作りのコツが知りたいなと思ってて」
母は突然の友人の言葉にも驚かず、むしろ嬉しそうだった。
🥚お母さんのアイディアオムライスのレシピ
🍗材料
・皮を外した鶏胸肉(またはササミ)
・玉ねぎ
・しめじ
・えのき
・ごはん
・ケチャップ
・こしょう
・卵
玉ねぎは1/2個くらい使います。ごはん粒に近くなるよう、できるだけ細かくするのがポイント。
ごはんはお茶碗半分くらいです。
ケチャップとこしょうを絡めながら炒めます。
あとは薄焼き卵で包むだけ。
ごはんの量を控えても美味しいオムライスができました。
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「で、結局その日はお母さんと彼女がふたりでうちの夕飯を作ったんだよね。ちょうど父はゴルフだったから、遅く帰ってきてもそのまま食べられるしってことで、お弁当を作ってくれたんだ」
「すごいじゃん。豪華だったんでしょ」
「うん。お母さんと栄養士の卵が本気出したからね。めちゃくちゃ立派だった。それを食べながら3人で話してたら、お昼の喧嘩のことなんてふっとんじゃってね。彼女には感謝だったなあ」
エビフライ、ミートボール、鶏の照り焼き、きゅうりとにんじんのサラダ、きのこのマリネと彩りよくおかずが並ぶお弁当箱の中、ごはんのポジションにはどん、と大きなオムライスが座っていた。
「わたしが食べてみたくて、お母さんにレシピ教えてもらったんだ」
彼女はそうほほ笑んだ。玉ねぎときのこたっぷりのオムライスは、驚くくらい、違和感のない仕上がりで、わたしはちょっと母を尊敬した。
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彼がテレビをつけると、人気のバラエティ番組の特集はダイエットだった。
「あ、この子だよ。今話してた同級生」
「ええっ。そうなの? すごいじゃん。よくテレビで見るよね」
「うん。今は大学で栄養学の研究してて論文とか発表してるらしいよ。3年前に同窓会で会ったときにそういってた」
テレビの中で彼女は、タレントたちの質問に答えて、糖質制限のレシピを紹介している。そして最後にこう添えた。
「わたしが糖質制限に興味を持ったのは、学生時代の同級生のお母さんが作ったメニューの影響なんですよ。それがオムライスだったんですね」
彼は、もういちど、へえすごいね。といった。それは彼女のことなのか、母のことなのか。
わたしは彼のグラスにビールを注いで、そしてテレビに視線を移すと、小さく乾杯、とつぶやいた。あの日の夢をかなえた友人は、深くお辞儀をして、画面はCМに切り替わるところだった。
(了)
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