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「それぞれのおうちごはん」第2話~トマト焼くの?

「あれ? 何これ。なんか変なもん入ってんだけど」
僕は目の前の味噌汁のお椀に箸を突っ込んで、くるくると軽く液体をかきまわした。
「変なもんじゃないよ。見てわかんないの」つゆの中の具を挟み上げた、僕の箸先を見て彼女が答えた。
「いや、わかるけど。わかるけど、トマトじゃん、これ」
「そうだよ」
「ふつう味噌汁にトマトって入れるか?」
そういうと、彼女は不思議そうな顔をした。
「え? 入れないの? うち、子どもの頃から味噌汁といえば、豆腐かトマトが基本なんだけど」
「ええっ。マジかよ。お前んち、トマト農家だっけ」
驚きつつも繰り出した僕のボケを意に介さず、彼女は続ける。
「トマトってなんとか酸って旨味が多いんだって。味噌は発酵食品で、これも旨味のもと。絶対合う組み合わせってやつだね」
絶対合う、そういわれても。僕の頭の中では、味噌とトマトは繋がらない。味噌汁の中のトマトは完全な異物で、食べる勇気が出なかった。

「あーあ、美味しいのに。もったいない」
キッチンの流しであと片付けをしながら、彼女はお椀に残ったトマトをスプーンですくって口に入れた。
「ほら、美味しいじゃん。お味噌の塩気がトマトの甘酸っぱさによく合うんだよね」
そういわれても、やっぱりぴんと来ない。

彼女と知り合ったのは、夏休みのことだった。僕たちは大学のサークル仲間同士で、夏合宿のときに、おなじチームになって意気投合した。お互い、故郷を離れて一人暮らしをしていることもあって、自然な流れで付き合うことになった。互いの部屋を行き来するようになって、そして、けさ初めて2人で朝を迎えたのだ。

「ほら、お皿拭いてくれる?」
彼女の手渡してきたふきんを受け取り、玉子焼きの載っていたお皿を拭いた。彼女の玉子焼きは、砂糖多めの甘い味付けで、実家の母が作る出汁のきいたスタイルとは全然違ったけれど、それはそれで美味しいと思って食べた。
「朝ごはん、うまかったよ。ありがとう」
「ほんとに? トマト残したくせに」
彼女は悪戯っぽい瞳で、僕の目の奥を覗き込んだ。
「いや、あれはさ、なんていうか、驚いちゃって。まさか味噌汁にトマトを入れるなんて……」
「そういうの固定観念っていうんだよ。知らないものにはチャレンジしなくちゃ。そうしないと世界が広がらないよ。誰だっけ、有名な冒険家かなんかがいってたじゃん。もっと広い視野をもたなきゃダメだよ」
いつの間にか、トマトと味噌汁の話がお椀の中から飛び出しはじめている。でも、彼女のいうとおりなのかもしれない。

「たしかに、そうかもなあ」と僕がいうと、彼女は小さく笑ってくれた。
「どうしたの。素直じゃん。いつもなら、トマトと冒険家の言葉なんて関係ないっていいそうなのに」
「ちょっと子どもの頃のことを思い出したんだ」
「へえ。どんなこと。トマトの話なの?」

トマト入りの味噌汁には驚かされたけど、トマトを生で食べなくちゃいけないという、制約なんかありはしない。それは田舎の母が教えてくれたことでもある。

ご多分に漏れず、僕の実家の食卓にのぼるトマトは、基本サラダの彩りだった。よく熟した赤色は子ども心にきれいだなと思っていた。

しかし、味となると話は別だ。ひと口噛むとぐにゅっとした中身が口の中に広がる。そして追いかけるように酸っぱさがやってくる。大人になった今もあの感触は、あまり得意とはいえない。そして子どもの頃の僕は、その感じがもっとはっきり苦手で、そのうえ酸味にやたらと敏感だった。

酢の物がダメ。酢豚がだめ。それどころか、ケチャップもマヨネーズも苦手だった。今でこそケチャップたっぷりのナポリタンは大好物で、それをいうと彼女は“お子ちゃま舌”だといってからかうが、僕は子どもの頃、その味に魅了されたことはない。あの頃の僕のナポリタンは、まったく違うものだった。

父や妹のナポリタンはケチャップ炒めだったけど、母が僕のために特別に作ってくれるナポリタンは、ミートソースをからめて炒めたスパゲティだった。あの味はいまでも無性に食べたくなるときがある。この話をすると、彼女は「それはミートソースじゃん」と笑いながら、ナポリタンじゃないと否定するけれど、僕にとってはどちらもナポリタンなのだ。

子どもの頃の好物なんて、ある意味ステレオタイプなもので、ハンバーグ、カレー、コロッケ、玉子焼き。そこに生野菜はたぶんラインナップしてこない。だから母は、僕たちに野菜を食べさせようといろんな工夫をしていた。

たとえばコロッケ。玉ねぎとひき肉だけで作るのではなく、我が家のコロッケには茹でて細かく刻んだほうれん草が入っていた。ハンバーグにみじん切りにして、赤ワインで煮詰めたしいたけが練り込まれていたこと、カレーにはすりおろしたにんじんがたっぷりと溶け込んでいたことは、大人になってから知った。

母は料理が好きで、いろんなアイディアを僕たちの食卓に披露してくれた。そして僕は楽しそうに料理をする母の姿が好きで、夕方はキッチンで過ごすような小学生だった。

ある日、キッチンの母の傍で、いつものように手際よくととのえられていく夕飯の様子を見ていた僕は、何気なく問いかけた。

「このトマトどうするの?」
たぶん、あまり好きじゃないから、自分のお皿には載らないといいな、なんてことを考えていたんだと思う。
「さあ、何になるのかなあ」
母はなんだか楽しそうだった。

てっきり、いつものようにくし形になるんだと思っていたトマトは、まな板の上に載ると、ざくざくと大胆に切られていく。いつもと違うその姿に、僕の好奇心は掻き立てられた。

「ねえねえ、このトマトどうするの」
「あれ? トマトはきらいなんじゃなかったの」
鼻歌交じりに包丁を使っていた母は、なんだか嬉しそうな様子で、僕の目を見てほほ笑んだ。

フライパンに油を敷くと、母は手際よく豚肉と玉ねぎを炒めていく。そこににらの鮮やかな緑が加わる。にらはあんまり好きじゃないけれど、母の炒め物に入っているときは、けっこう好きだ。

「トマト焼くの?」
フライパンにいきなり飛び込んだ赤色を見て、僕は思わず訊いた。
「そう。トマトは加熱すると甘くなるんだよ」
「ええっ。本当に?」

僕にとってははじめてのことで、焼いたトマトが甘くなるなんて信じられなかった。でも、豚肉と玉ねぎの白に、にらの緑、そこに加わったトマトの赤。この3色の組み合わせは鮮やかだった。今もまぶたの奥に焼きついている。

「焼きトマトかあ」と、ひとしきり僕の思い出話を聞いた彼女はつぶやいた。「わたし、あんまり好きじゃないかも」
「え。食べたことあるんだ」
「ロンドンにいったときにね。フルブレックファストを頼んだら、お皿の端こっにこんがり焼いたトマトが載ってたの」
「どうだった」
「うーん。なんかチョー絶ビミョーだったな。ぐみぐみしてるし、けっきょく酸っぱいし。悪いけど残しちゃったよ」
「そっか」

「で、お母さんのトマト炒めはどうだったの」
彼女の言葉に僕はちょっと間をおいて答えた。
「それが、あんまり覚えてないんだよね」
「食べたんでしょ」
「うん。食べた。でも覚えてるのは、作ってるときのシーンばかりで、味がどうだったとか、完食したかとか、そういうことはなんにも覚えてないんだよね」
「そうなんだ」
「うん」
あの肉トマト炒めは、その日かぎりの登場で、そのあと二度と実家の食卓に出てくることはなかった。もしかしたら、両親や妹は食べていたのかもしれないが、すくなくとも僕にはそれっきりで、少年の日に見たまぼろしのようなものだった。

「ねえ。作りかた、覚えてるんでしょ」
「どうかな。炒めてただけだと思うよ」
「材料は」
「豚肉と玉ねぎとにら。そこにトマト。味付けは焼肉定食とかみたいな、ああいう感じ」
僕はたまに彼女といく、大学の近くの定食屋の味を思い出しつつ答えた。もちろん、そこに母の炒めものの味の記憶もプラスしながら。

「今度作ってみようよ。なんか気になってきた」
「ええっ。焼きトマト、ダメだったっていったじゃん」
「焼くと炒めるって、似て非なるものなんだよ。中華にトマトと卵の炒めものってあるけど、けっこう美味しかったし」
「でもうろ覚えだしさぁ。自分でも正解がわからない料理なんだけど」
「いいじゃん。できあがったのを食べて美味しかったら、それが我が家の味ってことでいいんじゃない」
そうか。それでもいいのかもしれない。

──我が家──

彼女のさりげないその言葉に、僕はなんだかこそばゆい幸せを感じていた。

🍅まぼろしのトマト焼き肉のレシピ

🍅材料
・豚肉
・玉ねぎ
・ニラ
・トマト
・醤油
・みりん
・砂糖
・おろしにんにく
・おろししょうが
・あらびきこしょう

トマトはざくざくと切って、種の部分も使います。

豚肉と玉ねぎを炒めます。

豚肉の色が変わったら、トマトとにらを投入。

醤油、みりん、砂糖、おろしにんにくとしょうがを合わせます。

味をからめるように炒めて、全体がなじんだらこしょうを振ります。

これでまぼろしの味、記憶の底のトマト焼き肉のできあがりです。

「ごはんできたよーっ」
階下から彼女が呼ぶ声がする。
僕はPCをシャットダウンして、「はーい」と返事した。

ダイニングテーブルには、すでに娘が着席して、僕を待っていた。
「パパ、遅いよ」
「ごめん、ごめん、お腹空いたね。さあ、食べよう」
「ママも早く」
娘が立ち上がって、キッチンで仕上がったメインの大皿を妻から受け取り、テーブルに運んできた。トマトが湯気を立てている。
「ほら、ママ特製のトマト焼き肉と、トマトのお味噌汁だよ」
「あたしね、トマト大好き」
娘の言葉に、僕と妻は目を見合わせてほほ笑んだ。

あの日、彼女が記憶の底から目覚めさせてくれたまぼろしの味は、いま我が家のおうちごはんの定番になっている。

(了)

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