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20年近く毎日勉強を続けて来て良かったこと

勉強をやり直し始めて20年近くが経過しました。

小学1年生の1+1からやり直したので、長い時間がかかりましたが、何とか今まで1日も休まずに学び続けることができています。

インフルエンザで熱が42℃まで上がった日も、入院した日も、交通事故に遭った日も、彼女と別れた日も、すべて関係なくただひたすらに勉強を続けてきました。

今では呼吸と同じような感覚なので、勉強をしていない状態の方が気持ち悪いです。
何かしらを読む、書く、調べる、考えるかしていないと生きている気がしません。
勉強という行為が、完全に生活の一部になっています。

今から勉強を切り離して、完全に学ばない日々を送るのは難しそうです。
やろうとしたことはあるのですが、結局何かしら考えてしまっているし、調べ始めてしまうので、勉強をしているのと一緒です。
それなら諦めて新しい書籍や論文を読み続ける人生にした方が良いだろうと思って、最近では気の向くままに学んでいます。

そんな私ですが、今回は約20年間勉強を続けてきて良かったことをまとめていこうと思います。
なんで勉強をしないといけないんだと憤っている若人の参考になれば良いなと思っています。



1.所得が増えた

まずは何と言ってもこれですね。

体感としては、学べば学ぶほど、資格や学位が増えれば増えるほど、所得が増えていった気がします。

私自身が、実学(実社会で実際に役に立つ学問)を最優先で学んできたからというのもありますが、実学の中でも比較的お金になりやすい分野ばかり選定してきたので、その効果が出ているのだろうと思います。

例えば、明日すべての仕事を失って、資産もすべて失ったとしても、何とかこの知識で生きていけるだろうなという確信があります。
それくらいの勉強はしてきたので、将来への不安がだいぶ軽減されました。

まだ勉強をやり直す前だった19歳くらいのとき、将来が不安すぎて死にたくなっていましたが、あの頃の不安はだいぶ無くなっています。
勉強のとても大きなメリットだと思います。


2.相手のレベルがわかるようになった

自分の知識が少しずつ増えていくにつれて、話している相手の知識レベルや思考レベルがある程度わかるようになりました。

そもそも対話している当事者間で、持っている情報の差が一定以上になってくると、対等な人間同士の会話が成り立ちません。
情報を多く持っている方が教える側で、持っていない方が教えられる側に回るなら良いですが、大抵の場合、持っていない側は自分が無知だということを自覚できていません。
ゆえに、対等なつもりで議論をしかけてきます。
そのような人との議論は、時間の無駄になることがよくあります。

そういう人生の浪費を避けるためには、相手の力量、知識量、教養をよく分析して、対話するに足る人間かどうかを見極めないといけません。

これはネットの世界でも同様です。
議論をする価値がある人間はけして多くはありませんから、基本的に議論を避けて関わらないというのが得策です。

自分の知識が増えれば増えるほど、相手をよく分析できるようになりますから、話すべき相手とそうではない相手を峻別することができるようになります。
その結果として時間を有効に活用できます。

これも勉強の大きなメリットの一つです。

そういえば、若い頃に資産家の人たちと多く出会いましたが、彼等も常に対話する相手を選んでいました。
対話する価値がないと判断した場合は、無駄な議論を一切せず、すぐに切り上げて立ち去っていきます。
ああいう効率的な生き方ができるようになるためには、一定の知識が必要なのだと今はわかります。


3.嘘を見抜けるようになった

これも大きなメリットだと思います。

様々な知識が増えてくると、嘘を嘘と見抜けるようになってきます。

社会には本当に様々な人がいて、人を騙してお金を詐取することで生活している人たちも一定数います。
ビジネスの世界でも同様で、平気な顔をして嘘をつける人間が一定数存在します。

そういう人間たちの嘘は、実に巧妙で、真実をいくつか混ぜてあります。
それゆえに、特定の視点で見れば真実のように見えるのです。

しかし、よく考えて、よく調べると、その裏に嘘が隠されていることに気づけます。

考える、調べるという行為は、勉強そのものなので、私の得意分野の一つです。
そのおかげでほぼ騙されることはなくなって来ていますし、嘘だと気づくのも早くなってきています。

もちろん、私より遥かに賢い人が本気で騙しに来たら騙されるでしょうけど、それだけの労力を私一人にかけるより、騙されやすいその他大勢を狙ったほうが遥かに儲かるので、プロの詐欺師なら普通はやりません。
その結果、私は被害に遭い難い状態になっています。

私は独り身なので個人的な利益として語っていますが、これは本来、家族というコミュニティ全体のメリットになります。
守るべき人がいる人にとっては、とても重要な能力だと思います。


4.先が読めるようになった

拙著「あすを学ぶ」でも述べましたが、私は今でも、祖母の遺言を大切にしています。


私の祖母は、離婚後に女手一つで子ども2人を育て上げた女傑です。
それはもう気が強い女性で、私が記憶している限りでもめちゃくちゃ強い女性でした。

疾うの昔に亡くなっているので、正確なことを今調べる術はないのですが、私が子供の頃に親戚たちから聞いた話では、大変な勉強家だったと聞いています。

たしか大正生まれなので、ガッツリ戦時中を生き抜いた女性ですが、あの時代には極めて珍しい女性の大卒者でした。
祖母は日系アメリカ人としてアメリカで生まれ育ったので、母語は英語で、10代後半から日本に来て日本語も流暢に話せます。

ちなみに私は、祖母の日本語しか聞いたことがないです。
英語を話せると知っていれば祖母から英語を習ったと思いますが、残念ながら祖母の流暢な英語を聴く機会はありませんでした。

なお祖母は、戦後にその英語能力を認められて、国家機関の通訳として活躍したそうです。
ただ、私が生まれた頃にはただのお婆ちゃんでした。
そんなに凄い人には見えなかったです。

あくまでも今思えばですが、確かにすごく論理的な人で、頭の回転も異常に早いスーパー婆ちゃんだったなと思います。
子供の頃はよその婆ちゃんをあまり知らなかったので比べられませんでしたが、今思えばとんでもなく賢い婆ちゃんでした。

そして祖母は、私に会う度に「勉強しなさいね。勉強しないと、先が見えなくなるよ」と言い続けていました。
先が見えなくというのは、未来を予想できなくなるという意味です。
私は今でも、その遺言を忠実に守っています。

おっさんになった今改めて考えると、祖母の言う通りだったなと思います。

勉強をすればするほど、先を予想できる事柄が増えていきました。
眼の前で起こる様々な事象のうち、先々起こることが予想できることが増えれば、準備して対応できます。
これがとても大きなアドバンテージになり、時には命を救えたこともあるほどです。


5.応用が利くようになった

法学をある程度修めた後くらいに実感したことですが、勉強というものは、ある程度深くなっていくと、ほぼ全科目で共通しているということがわかりました。

例えば、Aという科目を限界まで磨いて勉強してしまえば、その過程で身につけた様々な学習技術をそのままB科目にもC科目にも使えます。
私の感覚ではほとんど違いはなくて、どの科目だろうと勉強という作業は同じです。

伝わりやすくするために極端な例を言わせていただくと、今から医学部に入って医者になることも全然できますし、ロースクールに行って司法試験を突破することもできますし、商学部に行って公認会計士試験を突破することもおそらくできます。

私の中ではどの分野に進んでもやることはほとんど変わらないので、あとは時間の問題という感覚です。
それぞれ難易度や適性が異なるため、ゴールまでにかかる時間が変化するだけです。
一定の品質を保って勉強を継続していれば、そのうち突破できます。

これがとても大きなメリットだと感じています。

特に新しい分野の仕事を担当するときに重宝します。
私は時々、知人経営者の仕事をお手伝いするのですが、その仕事では、全く知らない分野の業務が含まれていたり、全く知らない業種の専門家と協業しないといけなかったりします。
そのたびに、限られた時間で最低限の知識を叩き込まないといけません。
そういう場合でも、特に焦ることなく資料を揃えて、必要勉強時間を計算し、黙々とこなすことができます。

やっていることは日頃の勉強の応用でしかないので、特段難しくはありません。
やりたいかやりたくないかの精神的な負荷の差はありますが、方法は共通していますので、確実にできます。
そういう確信が持てるというのは、仕事をする上でとても重要です。

周りの知人たちを見ていると、新しい分野の業務を担当することになったときに、なぜか途方に暮れていたり、勉強が全く間に合わずに大失敗しているケースをよく見かけるので、そういうのが無くなったというだけで大きなメリットだと感じます。


6.誰かを守れるようになった

独り身の男が何を言っているんだと思うかもしれませんが、私が勉強をやり直した本来の目的は、大切な人を守れる男になることです。
これは男として必須だと思っています。

ここでいう「守る」とは、肉体的な強さで守るという意味ではありません。
知識で守るという意味です。

肉体的にも守れればベストですが、残念ながら私は体が弱いです。
だからこそ、せめて知識的に守れないといけません。

それは会計の力でかもしれませんし、法律の力でかもしれません。
もしくは医学もありえます。
いずれにしても、知識が人の権利・利益・生命を守ることは間違いないです。

今まで、私がたまたま持っていた知識によって、何人もの人の人生を助けてきたので、それを確信できています。
知識は人を守る道具になり得ます。

これも勉強の大きなメリットの一つです。


7.誰かを頼る必要がなくなった

これはここ数年の話ですが、私はいつの間にか、誰かを頼るということをほとんどしなくなっています。

知識面では特にそうです。
誰かに聞いたり、教えを請う必要がなくなってきているのです。
なぜなら、調べればわかるからです。

大抵のことはネットで検索すればすぐに理解できます。
かなり難しい内容でも、自分で専門書や論文を探して読んで、知識を体系的に整理していけば、ほとんどのことを処理することができます。
これはコミュ障の私にとっては非常に大きなメリットです。

今まで、誰かに聞かなければわからないということが大きなストレスだったので、それが解消されただけでも勉強をしてきた意義がありました。

また、これは派生的なメリットも生み出します。
つまり、自分でいろいろと調べて、知識として頭に入っているので、その作業を誰かに依頼するときの相場感がある程度わかるのです。

原価を計算して、そこに人件費を乗っけると、大体このくらいの価格が適正値だなとわかります。
それを遥かに超える価格で見積もりで提示してくるような輩には依頼しなければいいだけです。

逆に、私が適正値だと思った金額より低い価格で誠実に見積もりを出してくる業者もいます。
そういう人には割増でお金を払って、次回以降も依頼するようにしています。
こうやって良い意味でのプロの繋がりができるので、様々な派生的なメリットが生まれています。



以上7つの主なメリットがあったと実感しております。
若い人たち全員に勉強しろとは言えませんが、勉強した方が人生楽に歩める可能性が高いぞとは思います。

知識を増やす活動は、自分の将来の選択肢を広げる活動そのものなので、選択肢を選べる側に回るためにも、とりあえず勉強だけはしておくというのが賢い選択だと思います。

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