同僚と、湯治に行く④【元湯に響くBGM】
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磐梯熱海に湯治に来て4日目、後輩のHがあることに気付いた。
H 「今日は少しあったかいですね」
私 「そうだな。入りやすいね。これぐらいがいい」
毎日2時間浸かる「湯元元湯」。その日によって浴感が少し違う。体感で1~2度だろうか。冷たい日は上がり湯(小浴槽、44度くらいある)が必要で、そのまま出ると少々身体が冷える。
温泉は毎日顔色を変える。色や温度、そして成分も。午前と午後で変色したり、リピートすると前訪の印象と違ったり。
時々旧分析書と、新たに取り直した分析書が並んでいる浴場もある。検体した時期によって泉質名すら変わることも。
特に雨や地震の影響は大きく、震災の影響で湯が止まったり、逆に噴出することも。大震災の際には、温泉番付東の横綱「草津温泉」においても、暫く色が薄くなるなどの影響が出たと聞いた。
以前訪れた湯宿温泉(群馬)「金田屋」にて、好事家が過ぎて館主にバルブ調整のやり方を教授いただいたことがある。ご主人曰く、湯の温度は絶対に一定にはならず、数時間に一度検温し、その都度湯を落とす量を絞るという。
これは源泉がかけ流しにされている証だ。ミリ単位の調整をするご主人の眼光は、真剣を研ぐ研磨職人、轆轤と向き合う陶芸家を彷彿させる迫力があった。源泉は本当に繊細で、生きているのだ。
温泉を観光資源にと、大量乱掘した温泉地では湯圧が下がり、源泉が枯渇してしまうこともある。これは湯をぞんざいに扱ったために、湯脈が臍を曲げてしまったように思えてならない。
日々変わる源泉の一方で、「湯元元湯」には毎日変わらず午後2時から4時頃にかけて流れるBGMがある。スピーカーからではなく、それはお爺さんの喉から放歌される。
私達とほぼ同じ時刻に浴場に現れ、大浴槽(温湯)の縁にタオルを敷き、それを枕に横になる。ちょうどリクライニングシートに背を預ける様な格好だ。
セットインと同時に閉眼し、コンセントを挿した様に悠々と何かを唄い出すお爺さん。常連客は誰も咎めることなく、皆心地良さそうにそれを聴いている。
私は最後まで会話することはなかったが、後輩のHは初日にこの方に声をかけられていた。あとで聞くとアトピー治療の心得を指南されたそうだ。
86歳だというこのお爺さん、本人は罹患者ではない。だが生き字引の如く、この浴場で湯治に挑む幾多の患者を見届けてきたのだろう。
結構な声量が場内に響き渡るが、浴室のため音が籠りハッキリとは聴こえない。
H 「何を唄ってるんですかね?」
私 「それが、分からないんだよ。いつも聞いてるんだけどね」
前回の湯治の際にも毎日お会いしたこの方。何曲かを歌い繋いでいる様子だった。
湯治生活5日目、遂にビッグチャンスが訪れる。私はアリーナ席(お爺さんのすぐ横)に身を沈めた。暫くすると、リクライニングし阿弥陀如来の如く静かに眼を閉じた。
(よしっ、絶対唄う。)
私も閉眼し、耳をすませた。するとあまりにも明瞭に、その歌詞を捉えた。
「しれ~とこ~のみさきに~、はまなすのさ~くころ~」
加藤登紀子『知床旅情』だ!
深遠な重低音が、浴場に響いた。旅の情けを綴る美しきメロディライン。若輩者がしゃしゃり出てはと流石に控えたが、気を許せばジョインしてしまいそうな心地良さだ。
私 「おい、H。分かったぞ、『知床旅情』だ!」
H 「すいません。。その歌、知らないです」
私 「???」
「そうか、、君まだ20代だもんな・・・」
翌日。全く同じ時間、全く同じシチュエーションが再現された。
「ゆうや~けこやけ~の、赤とんぼ~」
H 「赤とんぼの歌、歌ってましたね」
私 「『夕焼け小焼け』だ」
H 「とりあえず、2曲は分かりました」
私 「まだまだレパートリーはありそうだな」
今日もまた、好々爺の美声は共同浴場にこだまする。
令和3年9月19日
「知床旅情」
森繁久弥作詞・作曲
1.知床の岬に はまなすの咲くころ
思い出しておくれ 俺たちのことを
飲んで騒いで 丘にのぼれば
遥か国後(くなしり)に 白夜は明ける
2.旅の情か 酔うほどに さまよい
浜に出てみれば 月は照る波の上(え)
今宵こそ君を 抱きしめんと
岩かげに寄れば ピリカが笑う
3.別れの日は来た ラウスの村にも
君は出て行く 峠を越えて
忘れちゃいやだよ 気まぐれカラスさん
私を泣かすな 白いかもめを
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