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私と温泉と湯治⑥【熱塩温泉~小野川温泉へ】

<前回はこちら>

 出湯温泉を出立した後、予約履歴を見ると次は山形県「小野川温泉」に泊まっています。正確には覚えていませんが、この地は立ち寄りも含めると10回近く行っていると思います。今はやりませんが、昔は宮城から山形へぐるっと回り、最後はいつも小野川で〆るという具合でした。

 街の中心に簡素な造りの共同浴場「尼湯」があります。200円と格安でこの街のシンボルです。脱衣所から仕切りがなく、浅めの浴槽へ繋がる典型的な共同浴場スタイル。無色透明で湯花が舞う源泉は、これほどまでかというほどの美肌の湯です。


 5分も歩けば一周できる小さな温泉街。タイヤの焦げたような香りが漂う温泉街を浴衣姿の観光客がそぞろ歩き。ざわざわしたところは嫌いですが、小野川くらいの街造りは許容範囲です。
 近年水害が多く、ニュースを見る度に心が痛みます。湯治をする定宿も決まってきており、少し遠い存在になりつつあります。

 新潟県の出湯温泉から小野川温泉まで、これも結構な距離です。身体の負担を考えればどこかの立ち寄り湯で暫く骨を休めたはずです。全く記憶にないのですが、フォトを漁ると奇跡的に一枚の写真が残っていました。

 「熱塩温泉 下の湯共同浴場」です。見出し画像の写真です。

 
 本連載で掲げている写真は、この旅の道中で撮影したものではありません。この頃はまさか自分がブログをやるとは思っていませんし、元来ズボラな性分。出てきた食べ物はがっつきたいですし、風呂があればすぐに飛び込みたいです。
 今はブログのために必ず写真を撮るようにしていますが、毎回「面倒だな」と思っています。

 片道切符になることも覚悟して出たこの旅、熱塩温泉は初訪でした。「下の湯共同浴場」と隣の商店だけはちゃんと撮影しようとカメラを構えたようです。ただ外観だけで、浴槽の写真はありませんでした。

 こちらの湯に入るには、近くの「叶屋商店」というお土産屋でおばあちゃんに200円を渡します。温泉街の鄙びた商店、番台の老婦は炬燵に入りテレビを見てみかんを食べていました。

 この共同浴場、珍しいのは脱衣所が男女同じスペースなのです。
カーテンが取付けられて目隠しは出来るようにはなっていました。「保健所の指導のため取り付けた」という旨の掲示があった記憶があります。

 浴室は男女別ですが、一部カーテンで仕切られており、仕切り壁も胸元くらいの高さです。「女性が入るのは勇気がいるだろうな」と思いました。
 湯は熱塩というだけあって、舐めると少し塩の味がしました。この辺りは山塩が採れることで有名です。詳しいことは分かりませんが、太古の海底のプレートが隆起したのでしょうか。

 熱塩温泉から小野川温泉まで、雪の降る中一本道を北上しました。マップを見ていて道の駅「田沢 なごみの郷」に寄ったことを思い出しました。ここではもりそばを食べました。坂をゆっくり下っていくと、雪の小野川温泉街が見えてきました。

 この街には米沢方面からしか行ったことがありませんでした。初めて峠を越えてから見た小野川はいつもと違う雰囲気のように感じました。雪が降っていて誰も人がいなかったので、そう思ったのかも知れません。

 泊まったのは素泊可で、最も安い「小野川保養センター」です。冬場はカメムシや害虫も出ないので、迷わずボロ宿です。隙間風は石油ストーブと布団で何とでもなります。
 今確認したらまだ3,500円(込)で頑張っているようです。経営努力に感謝です。こちら平屋で年季が入っていますが、部屋は割と綺麗にされていますし、湯は小野川の共同泉がかけ流しです。

 炊事場を覗いたことがありましたが、ちょっとここで自炊をする勇気はありませんでした。滞在期間中は街中にある「龍華」という店で食べていました。冬の名物豆もやしラーメンを何度かいただきました。もやしが30㎝くらい長さがあり、ちょっと食べにくいですが美味しかったです。

 この時朝夕2食は食べれていました。年末が近づき、そろそろ山形も大雪が心配になるころです。ですが旅は更に北へ、かみのやまから肘折温泉の予約をこの滞在中に取りました。湯治場で年を越そうとしました。人生初のことです。

 
つづく
                          令和4年10月17日

叶屋商店と
下の湯共同浴場の写真はありました
中の写真は撮らなかったようです
小野川温泉「尼湯」
これも別の時期に撮った写真です
小野川関連の写真も3枚しかありません
小野川保養センター 1泊3,500円
その節はお世話になりました

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